谷駅

谷駅(たにえき)は、静岡県浜松市都田町(開業時は旧・引佐郡都田村都田、現・浜松市北区都田町)にあった遠州鉄道奥山線廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年(昭和39年)11月1日に廃駅となった。

谷駅
たに
Tani
都田口 (1.4 km)
(1.4 km) 祝田
所在地 静岡県浜松市(現・北区)都田町
北緯34度48分20.5秒 東経137度42分09.4秒
所属事業者 遠州鉄道
所属路線 奥山線
キロ程 13.1 km(遠鉄浜松起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1914年(大正3年)11月30日
廃止年月日 1964年(昭和39年)11月1日
備考 奥山線廃線に伴い廃駅

歴史

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[4]。ホームは線路の南側(奥山方面に向かって左手側)に存在した[4]転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]蒸気機関車運行時代は給水所として重要な位置を占め[5]、自然水を貯槽する形の給水機が設置されていたが、晩年はその跡も残っていなかった[4]。また附近の沢からバケツに水を汲むこともあったという[5]

列車交換設備を有さない無人駅となっていた[4][6]。駅舎は無いがホーム中央部分に開放式の待合所を有していた[4]。ホームは遠鉄浜松方にスロープを有し[4]駅施設外に連絡していた。

1916年(大正5年)頃の紀行文に、当駅で蒸気機関車の給水のために10分ほど停車した、との記述がある[5]。1951年(昭和26年)のディーゼル化後辺りから利用者が急速に減り、乗客が手を上げないと停車しないこともあったという[5]

駅周辺

ひなびた山間の小駅であった[7]。都田口駅から祝田駅へと至る区間は下り勾配となっており、当駅はその途中の木立を抜けた見通しの良い築堤上に位置し[4]、視界が開けた先には金指や祝田の町並みが見えた[5]。駅のすぐ下に水車小屋があった[4]。丘や木立など、奥山線の絶好の撮影地として知られていた[4]

駅跡

1997年(平成9年)時点では、駅跡は判然としなかった[8]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[9]

また、1997年(平成9年)時点では、当駅跡附近に築堤と小さな鉄橋が残存していた[8]。中部電力遠江変電所の前にある[8]。2007年(平成19年)8月時点でもガーダー橋が確認でき[7][6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[9]

隣の駅

遠州鉄道
奥山線
都田口駅 - 谷駅 - 祝田駅

脚注

  1. 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)216ページより。
  2. 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介新潮社2008年11月発行)35ページより。
  3. 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年5月発行)71ページより。
  4. 書籍『RM LIBRARY 10 追憶の遠州鉄道奥山線』(著:飯島嚴、ネコ・パブリッシング、2000年5月発行)18ページより。
  5. 書籍『今は昔 しずおか懐かし鉄道』(編:静岡新聞社静新新書2006年6月発行)82,85,89-90ページより。
  6. 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)44-47ページより。
  7. 『新 消えた轍 6』74,76ページより。
  8. 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング、1997年5月発行)93-94ページより。
  9. 『新 鉄道廃線跡を歩く3』128-129ページより。

関連項目

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