職業としての小説家

職業としての小説家』(しょくぎょうとしてのしょうせつか)は、村上春樹の自伝的エッセイ[注 1]

職業としての小説家
著者 村上春樹
イラスト 写真:荒木経惟
発行日 2015年9月10日
発行元 スイッチ・パブリッシング
ジャンル エッセイ
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ページ数 315
コード ISBN 978-4884184438
ウィキポータル 文学
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概要

2015年9月10日、スイッチ・パブリッシングより刊行された[1]。雑誌『MONKEY』に連載されたエッセイ「村上春樹私的講演録 職業としての小説家」、『考える人』に掲載された講演原稿[注 2]、および書き下ろしの文章から成る。

台頭するインターネット書店への対抗策として、紀伊國屋書店が本書の初版10万冊のうち9割を出版社から直接買い取ったことで話題となった。紀伊國屋書店は9万冊のうち3万~4冊を自社店舗で販売し、残りを他社の書店に供給するという戦略をとった[2]

2016年10月1日、新潮文庫として文庫化された[3]

『MONKEY』Vol.7(2015年10月15日)に「『職業としての小説家』刊行記念 村上春樹インタビュー」が掲載された。聞き手は川上未映子[4][注 3]。川上のインタビューはのちに『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)に収録された。

内容

タイトル掲載誌取り上げられている人物・作品・事物等
第一回小説家は寛容な人種なのか『MONKEY』2013年10月7日発行 Vol.1マルセル・プルーストジェームズ・ジョイス
第二回小説家になった頃『MONKEY』2014年2月15日発行 Vol.2デイブ・ヒルトン[注 4]アゴタ・クリストフ、『風の歌を聴け』、向井滋春高瀬アキ杉本喜代志川口大三郎事件[注 5]
第三回文学賞について『MONKEY』2014年6月15日発行 Vol.3レイモンド・チャンドラーネルソン・オルグレン芥川龍之介賞群像新人文学賞
第四回オリジナリティーについて『MONKEY』2014年10月15日発行 Vol.4『火星の人類学者』(オリヴァー・サックス)、『春の祭典』、ズビグニェフ・ヘルベルト
第五回さて、何を書けばいいのか?『MONKEY』2015年2月15日発行 Vol.5ポール・ヴァレリー、『KAFKA/迷宮の悪夢』(1991年)、『E.T.』(1982年)、
アーネスト・ヘミングウェイ
第六回時間を味方につける──長編小説を書くこと『MONKEY』2015年6月15日発行 Vol.6アイザック・ディネーセン、『ダンス・ダンス・ダンス』、レイモンド・カーヴァー
第七回どこまでも個人的でフィジカルな営み書き下ろしアンソニー・トロロープ、フランツ・カフカ
第八回学校について書き下ろし福島第一原子力発電所事故
第九回どんな人物を登場させようか?書き下ろしサマセット・モームカート・ヴォネガット・ジュニア、『悪霊
第十回誰のために書くのか?書き下ろしコインロッカー・ベイビーズ』(村上龍)、「ガーデン・パーティー」(リック・ネルソン[注 6][注 7]
第十一回海外へ出て行く。新しいフロンティア書き下ろしアマンダ・アーバン、サニー・メータ、ゲーリー・フィスケットジョン、ロバート・ゴッドリーブ、
リンダ・アッシャー、チップ・キッド、アルフレッド・バーンバウムジェイ・ルービン
フィリップ・ガブリエル、テッド・グーセン
第十二回物語があるところ・河合隼雄先生の思い出考える人』2013年夏号河合隼雄

翻訳

翻訳言語翻訳者発行日発行元
ドイツ語 Ursula Gräfe2016年DuMont Buchverlag
イタリア語 Antonietta Pastore2017年Einaudi
中国語 (繁体字) 頼明珠2016年1月22日時報文化
中国語 (簡体字) 施小煒2017年1月南海出版公司
韓国語 梁潤玉2016年4月25日現代文学

脚注

注釈

  1. 帯文の言葉より。「自分的エッセイ 村上春樹『職業としての小説家』」と書かれてある。
  2. 2013年5月6日、村上は河合隼雄物語賞・学芸賞創設を記念して公開インタビューとスピーチを京都大学で行った。そのスピーチの原稿が『考える人』2013年夏号に掲載された。
  3. 2015年11月28日~29日に郡山市で開催された文学講座「ただようまなびや 文学の学校」に村上はゲスト出演。会場で朗読を行うほか、28日に川上未映子が行った短歌のワークショップにも参加した[5]
  4. 村上はデビュー間もない頃『ナンバー』1980年10月5日号に「デイヴ・ヒルトンのシーズン」というエッセイを寄稿している。同エッセイは長い時を経て『村上春樹 雑文集』(新潮社、2011年1月)に収録された。
  5. (僕らがいつも使っていた文学部の教室でも、ノンポリの学生が一人殺害されました)スイッチ・パブリッシング版37頁とあるが、これは川口大三郎事件である。
  6. 村上は「僕が作家になり、本を定期的に出版するようになって、ひとつ身にしみて学んだ教訓があります。それは『何をどのように書いたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ』ということです」と言い、リック・ネルソンが1972年に発表したヒット曲「思い出のガーデン・パーティー」の歌詞を引用する。「もし全員を楽しませられないのなら/自分で楽しむしかないじゃないか」[6]
  7. 辺境・近境』所収の「メキシコ大旅行」でも村上は「ガーデン・パーティー」の歌詞を引用している。「彼はそんな熱い思いを託して『ガーデン・パーティー』という曲を書いた。リックはその中でこう歌った。『もし思い出の他に歌うものがないのなら、僕はトラック運転手にでもなるさ(If memories were all I sang, I'd rather drive a truck)』と」[7]

出典

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