大屋駅
大屋駅(おおやえき)は、長野県上田市大屋にあるしなの鉄道しなの鉄道線の駅である[1]。
大屋駅 | |
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駅舎(2021年10月) | |
おおや ŌYA | |
所在地 | 長野県上田市大屋[1]454 |
所属事業者 | しなの鉄道 |
所属路線 | ■しなの鉄道線 |
キロ程 | 34.7 km(軽井沢起点) |
電報略号 | オウ[1]←ヲウ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
839人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1896年(明治29年)1月20日[1] |
備考 |
直営駅 標高:482m[1] |
歴史
明治初期には諏訪地域の蚕糸業者は、甲州街道を使用して甲武鉄道の八王子駅まで生糸を陸送していたが、1888年(明治21年)に信越本線が開通すると、和田峠を越えて長久保宿経由で信越本線の田中駅まで陸送するようになった。しかし諏訪地域から田中駅までは遠く不便であったため、諏訪地方の養蚕業者や地域住民が陳情を行った結果、日本初の請願駅として1896年(明治29年)に長久保宿により近い田中駅 - 上田駅の間に大家駅[注 1]が開業した。これによって生糸の輸出港である横浜までの輸送時間が大幅に短縮され、輸出相場に対応した出荷が可能となった [注 2]。
日本初の請願駅として駅前に石の碑文が設置されており[2]、こうした生糸輸送をめぐる当駅が持つ歴史的意義について、日本の産業近代化に貢献した産業遺産としての価値を持っていると評価されたことから、2007年(平成19年)には上田市の製糸関連遺産として信州大学繊維学部講堂などと共に、経済産業省の近代化産業遺産に認定された。
年表
- 1896年(明治29年)1月20日:官設鉄道信越線の駅として開業[1][3]。
- 1918年(大正7年)11月21日:丸子鉄道(後の上田丸子電鉄)が開業し、乗り入れ。
- 1925年(大正14年)8月1日:丸子鉄道が上田東駅まで延伸。スイッチバック方式の交換駅となる。
- 1956年(昭和31年)4月:上田丸子電鉄丸子線大屋駅駅舎が完成。改札口が分離。
- 1969年(昭和44年)4月19日:上田丸子電鉄丸子線廃止(大屋駅舎は解体され、駐車場となった)。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[3]。
- 1997年(平成9年)10月1日:北陸新幹線開業に伴う経営分離により、しなの鉄道に移管[3]。
- 2003年(平成15年)7月7日:駅待合室内に売店「アットライフ」が開業[4]。
- 2007年(平成19年)11月30日:経済産業省より近代化産業遺産群33に認定されることが公表される[1]。
- 2022年(令和4年)4月:土曜・休日を無人化[5]。
上田丸子電鉄大屋駅
電鉄大屋駅 | |
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でんてつおおや Dentetsu-Ōya | |
所在地 | 長野県上田市大屋 |
所属事業者 | 上田丸子電鉄 |
所属路線 | 丸子線 |
キロ程 | 5.4 km(上田東起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1918年(大正7年)11月21日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)4月20日 |
備考 | 丸子線廃線に伴い廃駅 |
上田丸子電鉄の電鉄大屋駅は、上田丸子電鉄丸子線が丸子鉄道線の第一期線として開業した際、起点駅として設置された。開業時から貨物輸送の関係からスイッチバック機能を持っていて国鉄信越本線を介しての貨車受渡しを行っていたが、第二期線として上田東駅まで延伸すると、珍しいスイッチバック方式の列車交換駅となり線路が複雑となった。そこで1959年(昭和34年)には当時としては全国でも珍しい電気式系伝装置を装着し、交換を容易にする改良を行った。ホームは現在の駅舎の待合室の隣にあり、改札は丸子鉄道~上田丸子電鉄初期は共通であったが、1956年(昭和31年)に独自の駅舎が完成すると分離、廃止まで続いた。
当駅跡地は、現在しなの鉄道直営の駐車場となっている[1]。
駅構造
直営駅であり[6]、相対式(下り線)および島式(上り線)の2面2線構造をもつ[1]。かつては貨物列車用の中線(JR時代に撤去)および、上り待避線(しなの鉄道移管後に撤去)を有していた。またJR時代には特急「あさま」の一部も停車していた。
駅待合室では当時駅業務受託業者が運営する売店「アットライフ」が、平日と土曜のみ営業していたが、2016年1月時点では売店はすでに存在していなかった。
駅舎の切り妻部分に、大屋の頭文字Oをかたどったと思われる飾りが付けられている[2]。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■しなの鉄道線 | 下り | 長野方面 |
2 | 上り | 軽井沢方面 |
(出典:しなの鉄道:駅構内マップ)
- 当駅には発車ベルが設置されている。
- 改札口(2021年10月)
- 待合室(2021年10月)
- ホーム(2021年10月)
利用状況
年間乗車人数及び1日あたりおおよその乗車人員は次のとおり[7]。
- 2000年度 590千人 : 1,616人/日
- 2001年度 568千人 : 1,556人/日
- 2002年度 538千人 : 1,474人/日
- 2003年度 516千人 : 1,410人/日
- 2004年度 509千人 : 1,395人/日
- 2005年度 495千人 : 1,356人/日
- 2006年度 485千人 : 1,329人/日
- 2007年度 459千人 : 1,254人/日
- 2008年度 460千人 : 1,260人/日
- 2009年度 435千人 : 1,192人/日
- 2010年度 420千人 : 1,151人/日
- 2011年度 421千人 : 1,153人/日
- 2012年度 420千人 : 1,148人/日
- 2013年度 431千人 : 1,181人/日
- 2014年度 413千人 : 1,132人/日
- 2015年度 407千人 : 1,112人/日
- 2016年度 397千人 : 1,088人/日
- 2017年度 380千人 : 1,041人/日
- 2018年度 355千人 : 973人/日
- 2019年度 307千人 : 839人/日
バス路線
上田駅方面行きと、JRバスは、駅ロータリーに進入せず、大屋駅前交差点南側の新聞販売店前(対面の居酒屋前)にて客扱いを行う。佐久上田線のみ国道18号線上大屋西交差点東側付近(徒歩約5分)に停留所(大屋北)がある。その他は駅正面左側に停留所がある。
- 姫木平中央
- 上田駅
- 奥鹿教湯(鹿教湯三才山病院)
- 下沖(土曜休日運休)
- 下秋和
- 東信観光バス
- 芦田(立科町役場前)
- 上田市 オレンジバス
- 神川・神科コース:火・金曜日のみ運行で1日2便運行。駅前ロータリー発着
- 上田市 丸子地域循環バス まりんこ号
- 東コース:石井バス停(県道大屋芦田線石井交差点東側付近。東信観光バス、または徒歩にて連絡。約500メートル)1日上下2便ずつ運行
隣の駅
脚注
出典
- 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、246頁。ISBN 9784784071647。
- 日本絹の道/日本初の請願駅・大屋駅 山浦直人(交通史研究者)、おらほ放送局(長野大学前川道博研究室)
- 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、576-577頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 「しなの鉄道大屋駅の売店 営業契約、地元業者と結ぶ 7日開業へ」『信濃毎日新聞』信濃毎日新聞社、2003年7月3日、朝刊、20面。
- “しなの鉄道、乗り継ぎ割引を廃止 減便や無人駅拡大も 22年春から順次 経営改善策”. 信濃毎日新聞. (2021年11月27日) 2021年12月6日閲覧。
- “窓口営業時間 | 時刻表・運賃・各種乗車券 | しなの鉄道株式会社”. www.shinanorailway.co.jp. 2022年4月3日閲覧。
- 上田市の統計 - 上田市
参考文献
- 老川慶喜『鉄道』(初版)東京堂出版〈日本史小百科 - 近代〉、1996年9月17日。ISBN 978-4490202908。
- “経済産業省 近代化産業遺産群33~近代化産業遺産群が紡ぎ出す先人達の物語~” (PDF). 経済産業省 (2007年11月30日). 2013年5月16日閲覧。