1962年の大洋ホエールズ
1962年の大洋ホエールズでは、1962年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
1962年の大洋ホエールズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ2位 | |
71勝59敗4分 勝率.546[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県川崎市 |
球場 | 川崎球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 中部謙吉 |
経営母体 | 大洋漁業 |
監督 | 三原脩 |
« 1961 1963 » |
この年の大洋ホエールズは、三原脩監督の3年目のシーズンである。
概要
前年最下位の雪辱を期すべく、三原監督は打線を強化して「メガトン打線」と名付け、4番に桑田武を、5番に中日から移籍の森徹を据え、この年入団の稲川誠が開幕からローテーションに入り、秋山登や島田源太郎らと強力ローテーションを形成。それ以外にものちに2000本安打達成の松原誠(当時は捕手で入団し、その後内野手に転向)や、フランシス・アグウィリー(アグウィリー)などが入団するなど戦力を一新したチームはペナント奪回に燃えるべく、開幕から勝ち続けて7月まで首位に立っていた。しかし、8月に入るとメガトン打線の勢いが止まり阪神が首位を奪還。その後も阪神とマッチレースを展開しスタメンに偵察オーダー、秋山の2日連続完封勝利など奇襲を仕掛けるも阪神戦以外で勝てなかったのが響き、最後は阪神の優勝を許して2位に終わった。投手陣は秋山が26勝、新人の稲川が12勝をあげるなど先発陣の活躍でチーム防御率2.73と健闘し、打撃陣もメガトン打線の活躍でリーグ3位の100本塁打を記録したが、守備が粗くリーグ最多の110失策もV逸の原因となった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 近藤昭仁 |
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2 | 遊 | 鈴木武 |
3 | 中 | 近藤和彦 |
4 | 一 | マック |
5 | 左 | 黒木基康 |
6 | 右 | 森徹 |
7 | 三 | アグウィリー |
8 | 捕 | 土井淳 |
9 | 投 | 島田源太郎 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 大洋 | -- | 大洋 | -- | 大洋 | -- | 阪神 | -- | 阪神 | -- | 阪神 | -- |
2位 | 阪神 | 0.0 | 阪神 | 1.0 | 阪神 | 2.5 | 大洋 | 2.0 | 大洋 | 2.5 | 大洋 | 4.0 |
3位 | 巨人 | 1.0 | 巨人 | 1.5 | 巨人 | 4.5 | 巨人 | 8.0 | 中日 | 6.5 | 中日 | 5.0 |
4位 | 中日 | 1.5 | 国鉄 | 5.0 | 国鉄 | 6.0 | 中日 | 9.5 | 巨人 | 8.0 | 巨人 | 8.0 |
5位 | 広島 | 1.5 | 中日 | 5.0 | 中日 | 10.0 | 国鉄 | 12.5 | 広島 | 16.5 | 広島 | 19.0 |
6位 | 国鉄 | 2.0 | 広島 | 5.5 | 広島 | 13.0 | 広島 | 16.0 | 国鉄 | 20.5 | 国鉄 | 24.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 阪神タイガース | 75 | 55 | 3 | .577 | --- |
2位 | 大洋ホエールズ | 71 | 59 | 4 | .546 | 4.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 70 | 60 | 3 | .538 | 5.0 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 67 | 63 | 4 | .515 | 8.0 |
5位 | 広島カープ | 56 | 74 | 4 | .431 | 19.0 |
6位 | 国鉄スワローズ | 51 | 79 | 4 | .392 | 24.0 |
オールスターゲーム
詳細は「1962年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
監督 | 三原脩 | |||
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ファン投票 | 近藤昭仁 | 近藤和彦 | 森徹 | |
監督推薦 | 秋山登 | 権藤正利 | 桑田武 | 麻生実男 |
補充選手 | 土井淳 |
できごと
選手・スタッフ
脚注
注釈
- 1960年に一塁手部門で受賞しており、通算3度目。
出典
- “年度別成績 1962年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月25日閲覧。
- “【9月22日】1962年(昭37) 三原監督、ルール守ってアテ馬7人 エースも三塁守らせる”. スポーツニッポン (2012年9月22日). 2015年11月22日閲覧。
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