鍋屋道夫
鍋屋 道夫(なべや みちお、1961年6月26日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。1988年から1989年までの登録名は鍋屋 道桜(読み同じ)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県西宮市 |
生年月日 | 1961年6月26日(61歳) |
身長 体重 |
184 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト5位 |
初出場 | 1985年4月21日 |
最終出場 | 1988年10月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
1982年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団。
プロ3年目の1985年4月21日に一軍初登板を果たし好投を見せるが、2度目の登板となった5月3日のヤクルト戦にて打者3人に対し3連続四球で1死も取れず降板。以降は首脳陣の信頼を失い2軍暮らしが続く。その後も不振続きで、一軍定着には至らずに1度は消えたトレード案が再燃することとなる。
1988年10月、高代慎也との交換トレードで滝口光則と共に日本ハムファイターズへ移籍。日本ハムでは一軍登板のないまま、翌1989年限りで現役を引退。
現役引退後、1990年から中日ドラゴンズで打撃投手となる。現在は、スポーツDEPO岐阜県庁前店に勤務している[1]。その傍らで野球塾の講師も務める。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985 | 広島 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 16 | 2.1 | 3 | 1 | 7 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 15.43 | 4.29 |
1987 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 1.0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 | |
1988 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 13 | 4.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
通算:3年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 34 | 7.1 | 7 | 1 | 9 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.91 | 2.18 |
背番号
- 39 (1983年 - 1988年)
- 34 (1989年)
- 91 (1990年 - 1991年)
- 121 (1996年 - 1998年)
登録名
- 鍋屋 道夫 (なべや みちお、1983年 - 1987年)
- 鍋屋 道桜 (なべや みちお、1988年 - 1989年)
脚注
- 週刊ベースボール2012年4月16日号 P14
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