福岡刑務所

福岡刑務所(ふくおかけいむしょ)は、法務省矯正局福岡矯正管区に属する刑務所福岡県糟屋郡宇美町に位置し[1]九州最大・日本第三(府中刑務所大阪刑務所に次ぐ)の規模を持つ。通称「福刑(ふっけい)」。

下部機関として4か所の支所(大牟田拘置支所・久留米拘置支所・飯塚拘置支所・厳原拘置支所)を持つほか、福岡拘置所福岡市内にある。

所在地

収容分類級

  • B級
  • P級

犯罪傾向の進んだ短期受刑者・身体障害者を収容する。現在地移転前(百道時代)は刑場絞首台)が設置され死刑執行が行われていた[3]

収容定員

  • 2,100人(平成17年5月現在)

沿革

  • 1913年(大正2年) - 「福岡監獄署」として須崎(現:福岡市博多区須崎)から藤崎地区(現:福岡市早良区百道)へ移転し[4]、現在地へ移転するまでの所在地は「福岡市早良区百道二丁目を中心に同一丁目にかけての地域(福岡市地下鉄空港線藤崎駅付近)」だった[3]
    • 免田事件(戦後四大死刑冤罪事件)の冤罪被害者で再審により無罪が確定した元死刑囚・免田栄は自著(2004)で「福岡刑務所は広さ約3万坪で、道路を隔てて『藤崎拘置区』(死刑台を有し死刑囚が収監される拘置支所)があり、その周りに松林・墓地・寺があった」と述べている[5]。同地の刑場跡には退職した元看守の手により立体仏が建立されている[6]
    • 佐木隆三の『復讐するは我にあり』によれば1970年(昭和45年)12月11日に死刑囚・西口彰の死刑が執行された場所は「福岡市早良区百道二丁目16番地10号 福岡刑務所土手町拘置支所」だったが[7]、同地の住所は現在の福岡拘置所に相当する[1]
  • 1965年(昭和40年) - 現在地に移転[3]

組織

所長の下に4部1室を持つ5部制である。

  • 総務部(庶務課、会計課、用度課)
  • 処遇部(処遇担当、作業担当)
  • 教育部
  • 医務部(保健課、医療第一課、医療第二課)
  • 分類審議室

外観・設備

  • 刑務作業設備は豊富で、木工・印刷・洋裁・金属・革工作業場などを設置。
  • 待機ボックス。電話ボックス状の形で、幅と奥行きが共に約60センチ、高さが約180センチ。ボックス内では座ることが可能、受刑者が中に入ると外から施錠される。福岡県弁護士会によると受刑者の間では「びっくり箱」とも呼ばれているという。

特記事項

  • 社会復帰をスムーズにするため、小型車両系建設機械・溶接の職業訓練を実施。
  • Y・YL級、性犯罪者などを考査分類し処遇を決定する、いわゆる「分類センター」が存在。

著名な受刑者

脚注

  1. 施設所在地及び面会受付時間一覧”. 法務省 (2017年12月1日). 2020年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月13日閲覧。
  2. 福岡刑務所 (PDF). 法務省. 2019年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月13日閲覧。
  3. 永田 2017, p. 79.
  4. 林文理 (2005年3月21日). No.254 百道浜ものがたり”. 福岡市博物館. 2020年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月13日閲覧。
  5. 免田 2004, p. 64.
  6. 免田 2004, pp. 64–65.
  7. 佐木 2009, p. 48.
  8. 免田 2004, p. 91.

関連書籍

参考文献

  • 免田栄『免田栄 獄中ノート 私の見送った死刑囚たち』(第1刷発行)インパクト出版会、2004年8月10日、91-92頁。ISBN 978-4755401435。
  • 佐木隆三復讐するは我にあり』(電子書籍版 改訂新版)文藝春秋文春文庫〉、2009年11月10日、48頁。ISBN 978-4167215170。
  • 永田憲史「〔論説〕 刑場跡地をどのように取扱うべきか ―旧名古屋刑務所の刑場跡地を素材に ―」『Nomos』第40号、関西大学、2017年6月、 オリジナルの2020年3月13日時点におけるアーカイブ、2020年3月13日閲覧

外部リンク

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