森浩二

森 浩二(もり こうじ、1962年1月1日 - )は、高知県中村市(現:四万十市)出身の元プロ野球選手投手)。

森 浩二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県四万十市
生年月日 (1962-01-01) 1962年1月1日(61歳)
身長
体重
179 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1982年6月21日
最終出場 1993年9月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

高知商高では、2年生時の1978年に、主戦投手として夏の甲子園に出場。決勝戦に駒を進め、PL学園高と対戦する。エース西田真次と投げ合い、2-0とリードして9回裏を迎えたが、優勝を目前にして逆転サヨナラ負けを喫した[1]逆転のPLも参照)。翌1979年春の選抜は、2回戦で牛島和彦香川伸行らのいた浪商高に惜敗[2]。同年夏は県予選準々決勝で安芸高に敗退、甲子園には届かなかった。1年下のチームメートに中西清起がいる。

1979年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。

1982年には一軍に上がり登板。

1983年8月に初勝利、10月には初先発を果たす。

1988年には自己最多の42試合に登板。

1989年にも40試合に登板。いずれもチーム最多であった。しかしその後は故障もあって登板機会が激減。

1992年オフに西岡剛投手との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。

1993年は中継ぎとして21試合に登板し、リーグ優勝にも貢献するが、同年限りで現役引退。

2007年までオリックスのアシスタントスタッフ(打撃投手)を務めた後に、オリックスの選手寮「青濤館」の副寮長を務める。その後、2010年8月2日に前任の保谷俊夫の急逝により後任として寮長に就任した。

2013年7月1日からオリックスの編成部プロスカウト、2017年からオリックスの編成部プロ調査グループ長に就任した。

甲子園を沸かせた左腕もプロでは左のワンポイント要員に終始。また1球敗戦投手を2度記録しているのは森だけである。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1982 阪急
オリックス
40000000------143.240200000000.001.64
1983 131000100--1.00011424.034370180020166.001.71
1984 231000020--.00016640.1466602140024235.131.30
1985 120000000------5912.1152601300996.571.70
1986 350000000------13931.2356503250018143.981.26
1987 320000000------14533.1447802170020184.861.56
1988 420000210--.66722854.16141231231025223.641.34
1989 400000120--.33311527.2253911110015144.551.23
1990 20000000------92.042000110229.002.00
1991 30000010--.000132.0610001006418.003.00
1992 40000000------244.1910021007612.462.08
1993 ヤクルト 210000000------5713.2131400600442.631.24
通算:12年 2312000460--.4001083249.12963659413110201501324.761.42
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 34 (1980年 - 1992年)
  • 12 (1993年)
  • 100 (1994年 - 2007年) ※打撃投手

脚注

  1. 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

外部リンク

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