斉藤秀光

斉藤 秀光(さいとう ひでみつ、1975年4月18日 - )は、神奈川県横浜市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

斉藤 秀光
アスミビルダーズ 監督 #88
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市南区
生年月日 (1975-04-18) 1975年4月18日(48歳)
身長
体重
182 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1993年 ドラフト3位
初出場 1996年4月6日
最終出場 2008年6月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

経歴

中本牧リトルシニア出身。横浜商科大学高等学校時代に第75回全国高等学校野球選手権大会に4番打者として出場[1]1993年のドラフト会議オリックス・ブルーウェーブから3位で指名され入団[1]。内野であれば4ポジション全てを守れる高い守備力を評価された一方で、打撃成績は良くなかったため、スイッチヒッターに挑戦したり守備固めとしての起用や打順が回ってくると代打を送られることも多かった(2000年までは出場試合数に比べて打席数が極端に少ない)。2年目の1995年ジュニアオールスターゲームに出場。

2002年塩谷和彦との交換トレードで阪神タイガースへ移籍[1]2003年には二軍で打率.341を記録してウエスタン・リーグ首位打者のタイトルを獲得するが一軍出場はほとんどなかった。オフに葛城育郎牧野塁との交換トレードで谷中真二と共に再びオリックスに移籍。古巣に復帰した2004年は打撃好調で自己最多となる104試合に出場、5番打者としての出場もあった。2005年分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。楽天では打撃が落ち込んでしまい一軍出場が減少。翌2006年シーズン途中に松本輝との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスに移籍。

2007年は前年シーズン中から病気療養のため休養していた王貞治監督の復帰初戦であるオープン戦の開幕戦でサヨナラ打を放つなどオープン戦から好調で、松中信彦の守備固めや川﨑宗則のケガなどでチャンスをつかみ、内野の4ポジションすべてで出場した。しかし怪我の影響もあってシーズンでは無安打に終わる。10月6日に球団から戦力外通告を受けて退団。第1回の合同トライアウトを受験後、斉藤の地元である横浜ベイスターズに守備力を見込まれ入団となった。

2008年は7試合の出場に終わる。2009年は一軍出場が無く、10月1日付で戦力外通告を受ける。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加したが、獲得する球団は現れず現役を引退。

引退後は地元の神奈川県で少年野球の指導者となっている。コロナベースボールアカデミー相模原校・横浜瀬谷校でコーチを務めたのち、2013年にはプロ野球選手時代の一時期(2001年、2004年 - 2006年)同僚だった戸叶尚と共に横浜緑ボーイズを発足後、2018年に退任。現在はアスミビルダーズ(旧:神戸ビルダーズ)の監督を務めている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1996 オリックス 2811111200020000000050.182.182.182.364
1998 6320000000001000000.000.000.000.000
1999 4116122100010001030030.083.267 .083.350
2000 5825225200022200030090.091.200 .091.291
2002 阪神 144441680011140010200150.195.233 .268.501
2003 4110000000000000000.000.000.000.000
2004 オリックス 104284233335914349126631113504527.253.359.391.750
2005 楽天 5593908213213182110200281.233.250.344.594
2006 ソフトバンク 4980100010011000030.125.125.125.250
2007 2115132000001000110050.000.067.000.067
2008 横浜 7660000000000000040.000.000.000.000
通算:11年 342507439579417561394110516246041248.214.293.317.610

記録

背番号

  • 54 (1994年 - 2001年)
  • 40 (2002年 - 2003年)
  • 36 (2004年)
  • 5 (2005年 - 2006年途中)
  • 67 (2006年途中 - 2007年)
  • 56 (2008年 - 2009年)

脚注

  1. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、237ページ

関連項目

外部リンク

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