愛媛県の市町村章一覧

愛媛県の市町村章一覧(えひめけんのしちょうそんしょういちらん)は、愛媛県内の市町村に制定されている、あるいは制定されていた市町村章の一覧である。なお、一覧の順序は全国地方公共団体コード順による。廃止された市町村章は廃止日から順に掲載している。

概要

蜜柑の栽培が盛んなことからこの果実を基本とした紋章が制作されている

市部

市章由来制定日備考
松山市「松山」を表したもの[8]1911年4月7日[8]1911年9月8日に再制定され、[9]1962年8月に改正された[10]
下村為山の作品である[11]
色は緑色が指定されている[12]
今治市「i」を表したもの[8]2005年1月16日[8]色は青色・緑色・橙色が指定されている[13]
2代目の市章である
宇和島市「U」を図案化したもの[8]2005年8月1日[8]色は青色・赤色・緑色が指定されている[14]
2代目の市章である
八幡浜市「八」とオレンジを表している[15]2005年11月5日[15]色は青色・緑色・橙色が指定されている[16]
2代目の市章である
新居浜市上下の「井」は新居を表し、間の開きは光芒を表している[15]1937年11月3日[15]
西条市四角形と「S」を表している[15]2004年10月1日[15]色は緑色・青色が指定されている[17]
2代目の市章である
大洲市大洲藩加藤家の家紋を表している[8]2005年1月11日[8]制定されていなくかつ市制施行時には使用されていたが、[10][18]旧市制40周年記念の一環で正式に1994年7月1日に制定され、新市制後に継承された[19]
色は青色が指定されている[19]
伊予市「いよ」を表している[8]2005年4月1日[8]色は青色・緑色・赤色が指定されている[20]
2代目の市章である
四国中央市「S」と「街」を表している[15]2004年4月1日[15]色は青色・緑色・橙色が指定されている[21]
西予市「西ヨ」を図案化したもの[15]2004年11月28日[15][22]色は青色が指定されている[23]
東温市「と」を図案化したもの[15]2004年9月21日[15]色は赤色・青色・緑色が指定されている[24]

町村部

町村町村章由来制定日備考
越智郡上島町「上」とを合わせたのを表している[8]2004年10月1日[8]色は赤色・青色・緑色が指定されている[25]
上浮穴郡久万高原町人間大地を結んでいるのを表している[8]2004年10月1日[8]色は橙色・青色・緑色が指定されている[26]
伊予郡松前町「まさき」を図案化したもの[8]1990年3月31日[8]
砥部町「とべ」を図案化したもの[15]2005年1月1日[15]旧々・砥部町制時の1935年に制定され[27]1965年8月2日に条例で公式化され、新町制時に継承される[28]
喜多郡内子町「U」を表している[8]2005年1月1日[8]色は水色・黄色・緑色が指定されている[29]
2代目の町章である
西宇和郡伊方町佐田岬半島と「i」を表している[15]2005年11月6日[15]3代目の町章である
北宇和郡松野町「マツノ」を図案化したもの[15]1965年12月24日[15]
鬼北町「きほく」を図案化したもの[15]2005年1月1日[15]色は緑色・青色が指定されている[30]
南宇和郡愛南町「ai」を図案化したもの[8]2004年10月1日[8]色は緑色・青色が指定されている[31]

廃止された市町村章

市郡町村市町村章由来制定日廃止日備考
越智郡波止浜町不明1922年[32]1955年2月1日町民の集会所と学校の裁縫室が建設されたのを機に公募された作品と龍神社の紋章とを参考にして作られた[32]
現在は今治市立波止浜小学校の校章として使用されている[32]
喜多郡河辺村不明不明1982年4月初代の村章である
南宇和郡御荘町三本の円と「荘」を丸くしたもの[33]不明1991年4月初代の町章である
地色は青色(海の色)が指定されている[33]
西宇和郡伊方町蜜柑の花を象徴し、「伊方」を円形に形どったもの、[3][34]1965年3月31日[34]1995年3月31日初代の町章である
宇摩郡別子山村「べっし山」を図案化したもの、[35][36]1978年6月28日[35]2003年4月1日1981年に再制定される[36]
西宇和郡三瓶町三つのを図案化したもの[7]不明[37]2004年4月1日
東宇和郡明浜町オレンジパールリアス式海岸を表している[7]1968年8月1日[38]濃紺と橙色が指定されている[7][39]
野村町「の」を円形に図案化したもの[40][7]1975年10月31日[40]
宇和町「和」と六つの「ウ」を表している[7]1954年3月31日[41]1956年4月に再制定される[42]
城川町「しろ川」を表している[7]1960年9月23日[43]
川之江市「川」を図案化したもの[44]1957年7月1日[44]川之江町章(制定日不明)として制定され、市制施行後に継承された[45]
伊予三島市「ミシマ」を図案化したもの[44]1955年5月1日[44]
宇摩郡土居町「どい」を図案化したもの[44]1974年11月1日[44]
新宮村「シン」を回転したもの[44]1975年11月17日[44]
上浮穴郡久万町
(主章)

(副章)
主章:「久万」を抽象的に図案化し、久万・川瀬・父二峰の三地区を三つの峰の形で表したもの[46]
副章:上部の楕円形は高原特有の冷風な大気、下部の楕円形は高原を想像する大地、中央は自然と共存する人々の暮らしを表したもの[47][48]
主章:1968年11月[49]
副章:不明[48]
2004年8月1日副章は色が上部の楕円形は青色・下部は緑色・中央の三角形は白色が指定されている[47]
美川村「美川」を表している[50]1970年1月1日[50]1969年12月20日に告示された[50]
面河村「お」を意匠化し、その内訳は中央の柱は山、両側の円身は仁淀川(面河川)・割石川、点は観光資源である紅葉を表したもの[51]1974年3月1日[51]
柳谷村「ヤナタニ」と円形に囲み、中心部にを想像し、杉を中心に三ヶ所の大字を表したもの[52]1969年12月25日[53]
温泉郡重信町「シ」を鳥の形に表したもの[54]1976年9月[55]2004年9月21日
川内町「カ」と「和」を表している1976年9月1日[56]制定前は作成されていなかった[57]
越智郡弓削町「弓」を図案化したもの[58]1966年1月[58]2004年10月1日
生名村「イクナ」を図案化したもの[58]1972年[58]
岩城村「岩」を象形化したもの[58]1932年12月20日[58]
魚島村「う」を意匠化し、「マ」を円形に配したもの[58]1973年12月22日[58]
南宇和郡御荘町「M」を表したもの[59]1991年4月[60]2代目の町章である
城辺町「輪」を表している[61]1966年9月21日[60][61]
西海町を三つの「ウ」を表し、「和」で纏めたもの[62]1972年11月[60]
一本松町「本」を中心にし、松葉で松を表し、「一」を円形に図案化したもの[63]1968年7月[60]
内海村「内」を図案化したもの[64]昭和時代[65]
西条市「西」を組み合わせて図案化したもの[66]1951年9月30日[66]2004年11月1日青色が指定されている[67]
1948年に制定されていたのを改正した[68]
初代の市章である
東予市「トーヨ」を円形に図案化したもの[66]1972年9月22日[66]
周桑郡丹原町「タ」と愛宕柿を図案化したもの[66]1974年4月1日[66]
小松町「小」を図案化したもの[66]1958年6月14日[66]
伊予郡広田村「広田」を表している[28]1977年12月23日[28]2005年1月1日
喜多郡内子町「内」を図案化したもの[69]1955年7月29日[69]初代の町章である
五十崎町「い」を図案化し,三本の横線を表したもの[69]1969年6月20日[69]
上浮穴郡小田町「小田」を図案化し、杉を三つの山で表したもの[70]1966年7月20日[70]
北宇和郡広見町「ヒロミ」を組み合わせて図案化したもの[71]1958年1月12日[71]
日吉村太陽と四つの「ひ」を表している[71]1966年5月1日[71]
北条市「北」を図案化したもの[72]1958年11月1日[72]
温泉郡中島町蜜柑の花を図案化し、「中」をその果実にかだとったもの[2]1959年3月31日[2]
喜多郡長浜町大洲藩加藤家の家紋と周りはを表している[19]1964年12月21日[19]2005年1月11日青色と黄金色が指定されている[19]
肱川町肱川を表している[19]1968年[19]
河辺村「カワベ」を図案化したもの[19]1982年4月[73]2代目の村章である
今治市「今」・「日」を象っている[4]1921年9月25日[4]2005年1月16日初代の市章である
越智郡朝倉村「朝」を図案化したもの[4]1970年6月1日[4]
玉川町「玉川」を図案化したもの[4]1966年4月1日[4]
波方町「波方」を「八方」として表している[4]1950年7月1日[4]波方村章として制定され、町制施行後に継承された[4]
色は青色が指定されている[74]
大西町「大」を円く図案化したもの[4]1971年9月27日[4]
菊間町「キクマ」を図案化したもの[75]不明[76]
吉海町上は「吉」・下は「海」を図案化したもの[4]1968年7月[4]
宮窪町「宮」を円形に意匠化したもの[4]1974年3月14日[4][77]1974年4月29日に再制定された[78]
伯方町「ハカタ」を丸く表したもの[4]1961年[4]
上浦町「上浦」を蜜柑の形に図案化したもの[4]1965年4月[4]
大三島町三つの「大」を図案化したもの[4]1961年7月7日[79]1961年11月に再制定される[4]
関前村「セキ」を図案化し、三つの山は岡村島大下島小大下島を表している[4]1978年9月[4]
八幡浜市「日本ヤワタハマ」を図案化したもの[80]1935年2月11日[80]2005年3月28日初代の市章である
西宇和郡保内町「ホ」を表している[80]1968年1月22日[80]
伊予市「イ」を図案化し、四つの「ヨ」を表している[6]1955年9月30日[6]2005年4月1日初代の市章である
伊予郡中山町「な」を円形に図案化したもの[6]1975年10月1日[6]
双海町蜜柑と波頭を象ったもの[6]1974年8月29日[6]
西宇和郡伊方町全体は「い」を意匠化し、上部はエネルギーとミカン・下部は宇和海伊予灘の波と空を表したもの[81]1995年3月31日[81][82]2代目の町章である
色は青色と橙色が指定されている[81]
瀬戸町「セ」をの形に表したもの[83]1966年5月10日[84]
三崎町「ミサキ」を意匠化し、三本の曲線を表したもの[85]1965年[86]
宇和島市「八」を「宇」で囲んだもの[87]1921年9月1日[87]2005年8月1日初代の市章である
北宇和郡吉田町蜜柑の花を表している[87]1957年9月25日[87]
三間町「三間」を図案化したもの[87]1968年11月1日[87]1916年頃に三間村章として使用されていたものを三間町章として継承され、正式に制定された[87]
津島町満願寺の境内にある「二重柿」を図案化し、「ツシマ」を表したもの[87]1969年1月1日[87]緑色が指定されている[87]

参考文献

書籍

  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113。
  • 中川幸也『シリーズ人間とシンボル第2号「都市の旗と紋章」』中川ケミカル、1987年10月11日。
  • 近藤春夫『都市の紋章 : 一名・自治体の徽章』行水社、1915年。NDLJP:955061
  • 丹羽基二『日本の市章 (西日本)』保育社、1984年5月5日。
  • 望月政治『都章道章府章県章市章のすべて』日本出版貿易株式会社、1973年7月7日。
  • NHK情報ネットワーク『NHKふるさとデータブック8 [四国]』日本放送協会、1992年5月1日。

資料集

  • 西予市役所『西予市章』愛媛県西予市。

都道府県書籍

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』角川書店、1981年10月。
  • 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室『愛媛県百科大事典 上』愛媛新聞社、1985年。
  • 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室『愛媛県百科大事典 下』愛媛新聞社、1985年。

東予地域

  • 菊間町誌編纂委員会『菊間町誌』愛媛県越智郡菊間町、1979年。
  • 大西町役場『大西町例規集』愛媛県越智郡大西町。
  • 大西町企画調整課編『大西町勢要覧』愛媛県越智郡大西町、2000年3月。
  • 宮窪町役場『宮窪町例規集』愛媛県越智郡宮窪町。
  • 宮窪町誌編集委員会編集『宮窪町誌』愛媛県越智郡宮窪町、1994年。
  • 宮窪町役場『公民館報宮窪 昭和49年1月1日号』愛媛県越智郡宮窪町、1974年1月1日。
  • 関前村役場『関前村例規集』愛媛県越智郡関前村。
  • 関前村誌編集委員会編集『関前村誌』愛媛県越智郡関前村教育委員会、1997年3月。
  • 東予市役所『東予市例規集』愛媛県東予市。

中予地域

  • 柳谷村誌編纂委員会『柳谷村誌』愛媛県上浮穴郡柳谷村、1984年3月20日。

南予地域

  • 伊方町町長公室『伊方町を語る 伊方町勢要覧 1994』愛媛県西宇和郡伊方町、1994年8月。
  • 伊方町町長公室『伊方町を語る 伊方町勢要覧 1998』愛媛県西宇和郡伊方町、1998年3月。
  • 瀬戸町誌編纂委員会『瀬戸町誌』愛媛県西宇和郡瀬戸町、1986年3月。
  • 柳谷村誌編纂委員会『柳谷村誌』愛媛県上浮穴郡柳谷村、1984年3月20日。
  • 野村町誌編纂委員会『野村町誌』愛媛県東宇和郡野村町、1997年3月31日。
  • 野村町誌編纂委員会『野村町誌 完結編』愛媛県東宇和郡野村町、2009年3月31日。
  • 明浜町役場『明浜町勢要覧1998』愛媛県東宇和郡明浜町、1998年。
  • 河辺村誌編纂運営委員会『河辺村誌 新刊』愛媛県喜多郡河辺村、2005年1月。
  • 野村町役場『野村町例規集』愛媛県東宇和郡野村町。


脚注

  1. 愛媛県のシンボル
  2. 第1回松山市・中島町合併協議会附属資料 協議第5号 資料
  3. NHKふるさとデータブック p312
  4. 今治市及び越智郡10か町村合併協議会 付属資料 慣行の取扱い
  5. NHKふるさとデータブック p252
  6. 伊予市・中山町・双海町合併協議会 慣行の取扱いについて
  7. 東宇和・三瓶合併協議会 慣行の取扱いに関する項目の現況及び調整方針
  8. 図典 日本の市町村章 p197
  9. 一名 p80
  10. 都市の旗と紋章 p50
  11. 松山市章
  12. NHKふるさとデータブック p208
  13. 今治市市章制定
  14. 宇和島市の概要 Archived 2012年5月5日, at the Wayback Machine.
  15. 図典 日本の市町村章 p198
  16. 八幡浜市章
  17. 西条市市章
  18. 都章道章府章県章市章のすべて p515
  19. 大洲喜多合併協議会事務局 協議第13号附属資料 慣行の取扱いについて
  20. 、伊予市市章制定条例
  21. 四国中央市章条例
  22. 西予市章 告示第523号
  23. 西予市の紹介
  24. 東温市章及び市旗に関する条例
  25. 上島町プロフィール
  26. 久万町歌・町章・町花・町木
  27. NHKふるさとデータブック p291
  28. 砥部町・広田村合併協議会の調整方針説明資料
  29. 内子町町章及び町旗に関する条例
  30. 鬼北町章
  31. 愛南町町章条例
  32. 今治市立波止浜小学校 - 校章・校歌
  33. 愛媛県百科大事典 下 p528
  34. 伊方町を語る 1994 目次
  35. NHKふるさとデータブック p241
  36. 新居浜市・別子山村合併協議会 慣行の取り扱い
  37. 三瓶町役場
  38. 明浜町勢要覧1998
  39. NHKふるさとデータブック p319
  40. 野村町誌 完結編 先頭ページ
  41. NHKふるさとデータブック p322
  42. 宇和町の歩み
  43. 城川のあゆみ
  44. 宇摩合併協議会項目別調整方針 慣行の取り扱い
  45. 愛媛県百科大事典 下 p321
  46. 愛媛県百科大事典 下 p1006
  47. NHKふるさとデータブック p281
  48. 久万町役場
  49. かみうけな合併協議会 町村章の状況
  50. 美川村二十年誌 村章制定
  51. NHKふるさとデータブック p283
  52. NHKふるさとデータブック p287
  53. 柳谷村誌 p893
  54. 重信町川内町合併協議会 第11号
  55. 広報しげのぶ 2004年9月号特別号 重信町の歩み
  56. 川内町章・町の木・町の花・イメージソング
  57. 広報かわうち 昭和52年1月号 第95号 p4
  58. 上島合併協議会調整方針 慣行の取り扱い
  59. 御荘町の概要
  60. 南宇和合併協議会 町村章の状況
  61. 城辺町民憲章・概要・地勢
  62. NHKふるさとデータブック p350
  63. NHKふるさとデータブック p348
  64. NHKふるさとデータブック p341
  65. 内海村役場
  66. 西条市・東予市・丹原町・小松町合併協議会の調整方針説明資料 慣行の取り扱い
  67. 旧・西条市章・樹・花・鳥・色
  68. 旧・西条市のあゆみ
  69. 内子町・五十崎町合併協議会の調整方針 慣行の取扱い
  70. NHKふるさとデータブック p288
  71. 広見町・日吉村合併協議会 慣行の取り扱い
  72. 合併前の愛媛県北条市について
  73. 河辺村誌 新刊
  74. NHKふるさとデータブック p251
  75. 菊間町って?
  76. 菊間町役場
  77. 公民館報宮窪 昭和49年1月1日号
  78. NHKふるさとデータブック p257
  79. 広報大三島 2004年1月号 p11
  80. 八幡浜市・保内町合併協議会 慣行の取扱いについて
  81. 伊方町を語る 1998 目次
  82. 伊方町・瀬戸町合併協議会 項目別調整内容 慣行の取扱い
  83. 風車のまち 瀬戸
  84. 瀬戸町史 p477
  85. NHKふるさとデータブック p316
  86. 三崎町誌 p223
  87. 宇和島市・吉田町・三間町・津島町合併協議会 調整内容 慣行の取扱い

関連項目

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