巨人の肩の上

巨人の肩の上にのる矮人」(きょじんのかたのうえにのるわいじん、ラテン語: nani gigantum umeris insidentes [1])という言葉は、西洋のメタファーであり、現代の解釈では、先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見することを指す。「巨人の肩の上に立つ」、「巨人の肩に座る」、「巨人の肩に登る」、「巨人の肩に乗る小人」、「巨人の肩に立つ侏儒」などの形でも使われる。科学者アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡で用いた、[2]

私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです。(英語: If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.[3][注 1]

ギリシア神話の盲目の巨人オーリーオーンとその肩に付き従う奴隷ケーダリオーンプッサン、1658年)

という一節を通してよく知られている。このニュートンの手紙が原典だと信じられていることも多いが[4][5]、最初に用いたのは12世紀フランス哲学者シャルトルのベルナールとされる[6]

帰属と意味

この言葉は古代文化の偉大さを認め継承した上で進歩を意識する、12世紀ルネサンス期の人文主義における穏健な進歩思想を象徴したものとされ[7][8][9]シャルトル学派シャルトルのベルナールに帰せられている。文献上の出典は、ソールズベリのジョンが1159年の著書『メタロギコン』(Metalogicon) で次のように述べた箇所である[1]

私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだとシャルトルのベルナールはよく言った。私たちが彼らよりもよく、また遠くまでを見ることができるのは、私たち自身に優れた視力があるからでもなく、ほかの優れた身体的特徴があるからでもなく、ただ彼らの巨大さによって私たちが高く引き上げられているからなのだと。(ラテン語: Dicebat Bernardus Carnotensis nos esse quasi nanos gigantum[注 2] umeris insidentes, ut possimus plura eis et remotiora uidere, non utique proprii uisus acumine, aut eminentia corporis, sed quia in altum subuehimur et extollimur magnitudine gigantea.[11] など)

ベルナールはここで同時代(12世紀)の学者を古代ギリシアローマの学者と比べていたのだとされる[12][13][1]。この言葉は古代に対する同時代の劣等感と同時代における進歩への自信との両面性をもっている[9][8]。のちのルネサンス期の新旧論争では、古代派と近代派の両方がそれぞれ力点を変えてこの言葉を援用した[14][15][1][16]

なお、同じくシャルトル学派でジョンの先学、ベルナールの後学にあたるコンシュのギョームが著書『プリスキアヌス註釈』で似た文脈で似た表現を使っていることを マックス・カーナーエドゥアール・ジュノーは指摘した[9][17][18]。ギョームはプリスキアヌスの「若いほどものがよく見える」(ラテン語: quanto sunt iuniores, tanto perspicaciores)という言葉を解釈するにあたって、現代がよって立つ古代を巨人にたとえた[19]

預言者の肩の上に福音書記者が乗っている構図(シャルトル大聖堂ステンドグラス

シャルトルのベルナールに由来するとされるこの構図はシャルトル大聖堂ステンドグラスに見ることができる[20][21](製作年代は13世紀初頭[注 4])。大聖堂南翼廊バラ窓下の縦長の窓には、旧約聖書の4人の預言者イザヤエレミヤエゼキエルダニエル)が大男として、新約聖書の4人の福音書記者マタイマルコルカヨハネ)が彼らの肩の上に座る普通の大きさの人として描かれている[24]。上方に描かれたメシアに福音記者と預言者が目を向ける形の図であり[23]、肩の上の小さな福音記者のほうがより遠くまで見ることができる様子が示されている[22][24][注 5]

この言葉はトサフィストユダヤ教の聖典の註解学者)イザヤ・ディ・トラニ(1180年頃 - 1250年頃)のレスポンサラビ回答集)にも見ることができる[25]

博識な賢者にかく問う者があった。「先人は我々自身よりも賢明であったことを我々は認める一方で、先人の見解を批判し、しばしば否定し、真実は我々とともにこそあると主張する。これ如何に。」賢者答えて曰く、「矮人と巨人、いずれが遠くまで見渡せるか。無論、目が矮人よりも高くに位置する巨人である。しかし矮人が巨人の肩の上に乗せられたならば、いずれが遠くまで見渡せるか。 … つまり我々もまた、巨人の肩にまたがった矮人である。我々は彼らの知識から学び、さらに先へと進む。彼らの知識により我々はより多くを学び、言うべきことを言えるようになるが、これは我々が彼らよりも優れているからではない。」[26]

この言葉の原典を16世紀の神学者ディエゴ・エステラに求める説がロバート・バートンによる言及などを通じて流布していたが、その説が誤りであることをロバート・キング・マートンが1965年の著書 On The Shoulders of Giants: A Shandean Postscript [6]で明らかにした[27][28][5]

各分野における適用

自然科学

近代自然科学とともに成立した科学的方法では、新たな科学的成果はそれ以前の成果の上に論理的整合性を持って積み重なり、またさらにその上に新たな仕事がなされるという形で順々に積み重なっていく[29]。例として、物理学者の江崎玲於奈は、自身によるトンネルダイオード超格子の成果について「ブロッホゼーナーショックレーなどの巨人の肩の上でなしたのだと言えるでしょうし、また、私の肩の上でも新しい仕事が次々となされているのが現状」であると述べる[29]

ここで、科学的成果にはごく一部の高インパクト成果(いわゆる大発見・大発明)と、大多数を占める平凡な成果があるが、科学技術の進展にはどちらが強く寄与するかという議論がある。これに対しては大きく分けて2つの立場がある[30]

  1. 科学の進歩は、多数の平凡な研究者たちの仕事の総体の上に構築されるものである。[注 6](漸進的進歩)
  2. 科学の進歩は、限られたエリート研究者(巨人)の肩の上に立つことにより構築されるものであり、平凡な研究者たちの成果の重要性は比較的低い。(革命的進歩)

前者の立場は哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』の中で表明したものであり、その名を取ってオルテガ仮説と呼ばれる[32][33][注 7]。後者の立場はアイザック・ニュートンが用いた「巨人の肩の上」の表現にちなんでニュートン仮説と呼ばれる[34]

論文の被引用(被参照)回数をもとにした計量研究の限りにおいては、ニュートン仮説の方が現実に近いという結果が得られている[32][34][35]。その場合、「巨人の肩の上に乗った巨人の肩の上からはさらに遠くを見通すことができるが、巨人の肩の上に乗った矮人の肩の上からは新たな視点は得られない」、と表現できる結論に行き着く。しかし、被引用数のみに基づく計量手法の限界[注 8]をはじめとした数々の手法の不備が指摘されており、この結論を下すには尚早だという反対意見もある[36][37]

著作権

「巨人の肩の上」の比喩は著作権法を論じるときによく用いられる[38][39]。作品への一定の権利を保護することで作者の創作へのインセンティブを確保しつつ、他者がその作品を利用して新たな創作をするのを妨げないようにするという考え方が著作権や知的財産の基礎にあり[40][41]、その考え方およびその背景となる進歩思想を「巨人」の比喩がよく表しているからである[40][39]

1990年にアメリカ合衆国ソフトウェアユーザインタフェース著作権について争われた裁判 Lotus Development Corp. v. Paperback Software International で判事ロバート・キートンロバート・キング・マートンの用語「OTSOG」(On The Shoulders Of Giants の略)[6]を引用し、先人の残した仕事を利用してはじめて新たな創作が生まれるという「OTSOG 原理」が著作権による限定的な形の独占とどのように両立するかを述べた[42][43][44]。この事件は Paperback Software International 社が自社の表計算ソフト「VP-Planner」に Lotus Development 社の製品 Lotus 1-2-3グラフィカルユーザインタフェースやコマンド体系をとりいれ販売したところ、Lotus 社が著作権侵害として訴えたものである[42][43][44]。キートンはこの判決で、「巨人の肩の上」の比喩で説かれる科学と技術の漸進性は著作権の基礎にあり過去の判例にも支持されていることを述べたうえで、既存の製品に対して新たな改善をするにあたっては(著作権で保護されない)アイデアが利用可能になっていることで十分であるとし、アイデアを実践して作られた表現としての特定のユーザーインタフェースを限定的に独占させることで、差異を生み出す動機付けが他者に与えられイノベーションがうながされるとした[42][43][注 9]

フリーソフトウェア運動

「巨人の肩に乗る」というメタファーはフリーソフトウェア運動を推進しその正当性を示すためにも用いられる。

レッドハットボブ・ヤングは2002年の著書『リチャード・ストールマンと自由ソフトウェア革命』で、人々が巨人の肩に乗ることを可能にするものだとしてフリーソフトウェア運動を支持し、巨人の肩に乗ることは車輪の再発明の対極にあるとも述べた[48]。 同書ではさらにリーナス・トーバルズの発言が次のように引用されている[49]

GCC を統合したことで Linux は性能が改善した。問題も起きた。GPL の「感染」力は Linux カーネルには適用されなかったが、自分のフリーソフトウェア・オペレーティングシステムのために積極的に GCC を借りたことによって、トーバルズには他の人々にお返しをすることへの何らかの責任が生じていた。このことについてトーバルズは後年「私は自分を巨人の肩の上に持ち上げていた」と述べた。彼が以後、他の人々が自分に同じような支援を求めてきたらどうなるだろう、と考えるようになったのも不思議ではない。

脚注

注釈

  1. 現代の正書法では If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.
  2. gigantium とも[10]
  3. 提示した既存の翻訳は参照するにとどめ、本稿には改めて訳したものを示した。
  4. 1221年頃[22]、1230年頃[23]など揺れがある。
  5. 実際、預言者メシアを語ったが、福音記者はメシアを目にした[24]
  6. 大衆の反逆』においては以下のような表現:「実験科学の進歩の大部分は、驚くほど平凡な、また平凡以下の人々によってなされてきた」(スペイン語: la ciencia experimental ha progresado en buena parte merced al trabajo de hombres fabulosamente mediocres, y aun menos que mediocres.[31]
  7. Jonathan R. Cole[32]が「オルテガ仮説」として整理した議論には、オルテガの論旨が十分に反映されていないともいわれる[33]
  8. 例えばインパクトファクターに対する批判のような限界。
  9. Paperback 社はさらに、Lotus 1-2-3 のユーザインタフェースが表計算ソフトのデファクトスタンダードとなっており、ユーザの学習負担を軽減するためには同じ表現を使わざるをえないと主張したが、判事ロバート・キートンは Lotus 1-2-3 と互換性のない Microsoft Excel などの成功例を挙げてその主張をしりぞけた[42]。キートンのこの判決に対しては、ユーザインターフェースの権利保護の範囲を広く認定しすぎたとの批判もあがった[45][46][47]

出典

  1. 柴田平三郎「第1章〈巨人の肩の上に乗る矮人〉」『中世の春―ソールズベリのジョンの思想世界』慶應義塾大学出版会、2002年5月20日、13-44頁。ISBN 4-7664-0903-5。
  2. Isaac Newton (1959). H. W. Turnball. ed. The Correspondence of Isaac Newton. 1. p. 416. OCLC 460590510
  3. Issac Newton (1675-02-05), “Isaac Newton letter to Robert Hooke, 1675”, Simon Gratz autograph collection (#0250A) (Historical Society of Pennsylvania), https://discover.hsp.org/Record/dc-9792/Description
  4. 林紘一郎「第1章 学問における引用の役割」『引用する極意 引用される極意』勁草書房、2009年4月15日、1頁。ISBN 978-4326000333。
  5. Romolo M. Dorizzi, Piersandro Sette, Anna Maria Azzini (2014-08), “On the Shoulders of Giants: A 1500-Year-Old Aphorism”, The American Journal of Medicine, doi:10.1016/j.amjmed.2014.03.036, PMID 25107403
  6. Robert King Merton (1965). On The Shoulders of Giants: A Shandean Postscript. Free Press. OCLC 192589
  7. 新倉俊一「アベラールとその後裔たち―中世知識人の或る系譜―」『思想』第554号、1156-1157頁、1970年8月。ISSN 03862755
  8. ジャック・ヴェルジェ『入門 十二世紀ルネサンス』野口洋二(翻訳)、1996年、21-23頁。ISBN 4-423-46051-3。
  9. 甚野尚志『十二世紀ルネサンスの精神―ソールズベリのジョンの思想構造』知泉書館、2009年3月、25-27頁。ISBN 978-4-86285-053-9。
  10. Ioannes Saresberiensis, Metalogicus, 3, CAP. III. Quae sit praedicamentorum conceptio, et quibus contenta sit sobrietas philosophantium.”. チューリッヒ大学. 2014年3月2日閲覧。
  11. John of Salisbury, J. B. Hall (ed.), 1991, Ioannis Saresberiensis Metalogicon, III, 4, 45 (p. 116), (Corpus Christianorum Continuatio Mediaeualis CCSM 98), Brepols, ISBN 2-503-03982-0. 日本語訳は「ソールズベリーのヨハネス―メタロギコン」 第3巻第4章(甚野尚志中澤務、F・ペレス訳)、岩熊幸男編訳・監修『中世思想原典集成6 シャルトル学派』、平凡社、2002、730-731ページ、 ISBN 4582734189 [注 3]坂本賢三『科学思想史』1984年、167-173ページ、ISBN 4000201026、全国書誌番号:85006792 [注 3]
  12. R. W. Southern (1952), “Ch. IV (II.B)”, Making of the Middle Ages, OCLC 4125897
  13. 阿部謹也「歴史意識の東西」『哲学』第56号、日本哲学会、4-21頁、2005年。doi:10.11439/philosophy1952.2005.4
  14. Gunter Gebauer (1995). Mimesis: Culture, Art, Society. University of California Press. pp. 82-85. ISBN 9780520084599. https://books.google.co.jp/books?id=-B8jLLKokSkC&pg=PA83&redir_esc=y&hl=ja
  15. James E. Force (1999), “Newton, the "Ancients," and the "Moderns"”, Newton and Religion: Context, Nature, and Influence, Springer, pp. 242-243, ISBN 9780792357445, https://books.google.co.jp/books?id=gJKaqMDxyL0C&pg=PA242&redir_esc=y&hl=ja
  16. 石丸博「〈古代と近代〉(上) 問題のスケッチ」『社会科学論集』40・41、愛知教育大学地域社会システム講座、25-53頁、2003年。ISSN 0288-5778 NAID 120001400355https://hdl.handle.net/10424/1992
  17. 前掲・甚野ら「ソールズベリのヨハネス メタロギコン」注302、『中世思想原典集成6 シャルトル学派』、833ページ。
  18. Édouard Jeauneau (2009). Rethinking the School of Chartres. Claude Paul Desmarais (translation). University of Toronto Press. p. 50. ISBN 9781442600072. https://books.google.co.jp/books?id=qlioj9mAe0cC&pg=PA50&redir_esc=y&hl=ja
  19. Gerhart B. Ladner (1983), “Terms and ideas of renewal in the twelfth century”, Images and Ideas in the Middle Ages. Selected Studies in History and Art, 1, pp. 687-724, ISBN 8884988985, https://books.google.co.jp/books?id=PMcltRkgyE0C&pg=PA697&redir_esc=y&hl=ja
  20. Carleton B. Chapman (1987-05), “John Shaw Billings, 1838-1913: nineteenth century giant”, Bulletin of the New York Academy of Medicine 63 (4), PMID 3304491
  21. 伊藤敏樹「西欧中世における対話の精神 -弁証論議の 系譜その1-」『商學集志 人文科学編』第9巻第1号、日本大学商学研究会、22頁、1977年6月。ISSN 02877031
  22. M. T. Clanchy (1975-10), “Moderni in Education and Government in England”, Speculum 50 (4): 671-688, doi:10.2307/2855473
  23. Leo J. O'Donovan (2005-10), “On Pilgrimage to Chartres: Honouring the Centenary of Hans Urs von Balthasar's Birth”, The Way 44 (4): 65-80, ISSN 0043-1575, http://www.theway.org.uk/back/444ODonovan.pdf
  24. Rafael Bailón-Moreno, Encarnación Jurado-Alameda, Rosario Ruiz-Baños, Jean Pierre Courtial, Evaristo Jiménez-Contreras (2007-04), “The pulsing structure of science: Ortega y Gasset, Saint Matthew, fractality and transfractality”, Scientometrics 71 (1): 3-24, doi:10.1007/s11192-007-1600-8
  25. Yĕšaʻyā Ben Malî dî Ṭranî haz-zāqēn (13世紀), תשובות הרי״ד (Tĕšûvôt hā-Rîʺd), OCLC 249158601. 301-303.
  26. Shnayer Z. Leiman (1993), “Dwarfs on the Shoulders of Giants”, Tradition 27 (3), ISSN 0041-0608, http://leimanlibrary.com/texts_of_publications/60.%20Dwarfs%20on%20the%20Shoulders%20of%20Giants.pdf
  27. 風間賢二「ロバート・K・マートン『巨人の肩の上で』」『文藝』1995年春、222-223頁、1995年。ISSN 05251885
  28. 古賀稔章 (2013年11月8日). 「未来の書物の歴史」 第3回「自然という書物(前編)」”. VOYAGER. 2014年4月1日閲覧。
  29. 江崎玲於奈個の創造性を大切に」『平成19年版 科学技術白書』、文部科学省、2007年https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200701/080/009.htm
  30. David J. Hess (1997). Science Studies: An Advanced Introduction. New York University Press. p. 71. ISBN 0814735649
  31. José Ortega y Gasset (1930). “XII. La barbarie del «especialismo»”. La rebelión de las masas
  32. Jonathan R. Cole; Stephen Cole (1972-10-27). “The Ortega hypothesis”. Science 178 (4059): 368-375. doi:10.2307/1735508. http://www.jstor.org/stable/1735508.
  33. 名和小太郎「〔情報論議 根掘り葉掘り〕 クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った」『情報管理』第57巻第3号、199-203頁、2014年。doi:10.1241/johokanri.57.199
  34. M. Oromaner (1985-01-26). “The Ortega hypothesis and influential articles in American sociology”. Scientometrics 7 (1): 3-10. doi:10.1007/BF02020136. http://www.akademiai.com/content/LN8627316R60MX12.
  35. Lutz Bornmann; Félix de Moya Anegón; Loet Leydesdorff (2010-10-13). “Do Scientific Advancements Lean on the Shoulders of Giants? A Bibliometric Investigation of the Ortega Hypothesis”. PLoS ONE 5 (10): e13327. doi:10.1371/journal.pone.0013327.
  36. S. A. Goudsmit; John D. McGervey; Robert J. Yaes; Jonathan R. Cole; Stephen Cole (1974-01-11). “Citation Analysis”. Science 183 (4120): 28-33. doi:10.2307/1737230. http://www.jstor.org/stable/1737230.
  37. M. H. MacRoberts; Barbara R. MacRoberts (1987-11-01). “Testing the Ortega hypothesis: Facts and artifacts”. Scientometrics 12 (5-6): 293-295. doi:10.1007/BF02016665.
  38. 金正勲 (2007年7月13日). 文化庁第5回コンテンツ流通促進シンポジウム次世代ネットワーク社会の到来は著作権制度を揺るがすのか”. 文化庁. 2013年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月2日閲覧。
  39. Michael D. Birnhack (2001), “The Idea of Progress in Copyright Law”, Buffalo Intellectual Property Law Journal 1: 46-50, doi:10.2139/ssrn.297126, http://law.bepress.com/taulwps/art64
  40. 名和小太郎インターネット時代の著作権制度」『デジタル著作権』ソフトバンクパブリッシング、2002年12月22日、113-134頁。ISBN 4797319135http://www.nawa-k.info/gbs7.html
  41. Zachariah Chafee, Jr. (1945-06), “Reflections on the Law of Copyright: I”, Columbia Law Review 16 (4): 511, doi:10.2307/1117985
  42. Keeton, J., “Lotus Development Corp. v. Paperback Software International, U.S. District Court, District of Massachusetts, June 28, 1990”, Federal Supplement 740: 37, http://digital-law-online.info/cases/15PQ2D1577.htm
  43. Lionel M. Lavenue (1992), “Lotus Development Corp. v. Paperback Software Int'l: Copyrightability for the User Interface of Computer Software in the United States and the International Realm”, American University International Law Review 7 (2): 289-343, http://digitalcommons.wcl.american.edu/auilr/vol7/iss2/9/
  44. 名和小太郎「〔情報論議 根掘り葉掘り〕 巨人の肩の上に」『情報管理』第51巻第1号、74-76頁、2008年。doi:10.1241/johokanri.51.74
  45. Pamela Samuelson (1991), “Computer Programs, User Interfaces, and Section 102(b) of the Copyright Act of 1976: A Critique of Lotus v. Paperback”, High Technology Law Journal 6: 209-269, http://scholarship.law.berkeley.edu/facpubs/1378
  46. Ignatin, Gary R (1992), “Let the hackers hack: Allowing the reverse engineering of copyrighted computer programs to achieve compatibility”, University of Pennsylvania Law Review 140 (5): 1999-2050, http://scholarship.law.upenn.edu/penn_law_review/vol140/iss5/20/
  47. Stanley Lai (2000). The Copyright Protection of Computer Software in the United Kingdom. Hart Publishing. p. 69. ISBN 9781841130873. https://books.google.co.jp/books?id=ZpR-CAFuYtgC&pg=PA69&hl=en&sa=X&ei=F08TU7eVAomgkgX37ICwBg&ved=0CDsQ6AEwAg#v=onepage&f=false
  48. Sam Williams (2002). “10. GNU/Linux”. Free as in freedom. O'Reilly Media. ISBN 9780596002879. http://oreilly.com/openbook/freedom/ch10.html日本語訳)。
  49. Sam Williams (2002). “9. The GNU General Public License”. Free as in freedom. O'Reilly Media. ISBN 9780596002879. http://oreilly.com/openbook/freedom/ch09.html日本語訳[注 3]

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.