小池和博
経歴
浦和高校時代の1970年、松阪競輪場で開催された、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会のスクラッチレース(現 スプリント)で優勝経験がある。
競輪選手としてのデビュー戦は1972年10月7日、ホームバンクの大宮競輪場で迎え2着。
1976年の高松宮杯決勝戦において、優勝した荒木実に続き2着。翌1977年、一宮競輪場で開催された第30回日本選手権競輪決勝は、中野浩一が初めて特別競輪(GI)の決勝へと駒を進めた一戦だったが、果敢に逃げる前年の日本選手権覇者である、同県の新井正昭の番手につけ、ゴール前、新井を捕らえて優勝を果たした。しかしその後、GIの出場は1988年頃までは常時果たしたものの、決勝進出は一度も果たせなかった。2002年7月31日に引退。通算318勝。
現役引退後は、自営を主業としながら、大宮競輪場、西武園競輪場が開催される日には、解説員という肩書きの下、場内実況のレース解説を行っている。
関連項目
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