富永格郎

富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 2014年7月18日)は、京都府京都市中京区西ノ京小堀町出身のプロ野球選手である。ポジションは投手

富永 格郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市中京区西ノ京小堀町
生年月日 1937年5月4日
没年月日 (2014-07-18) 2014年7月18日(77歳没)
身長
体重
181 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1956年
初出場 1956年
最終出場 1966年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

立命館高校では1955年に、チームの主戦投手として、二塁手辰市祐英らとともに夏の甲子園に出場。立命館高はこの大会で、中京商桐生高などと共に優勝候補のひとつと目されていた。準々決勝では津久見高田中喜八郎と投げ合い完封勝利。準決勝に進むが坂出商の岡崎秀智投手(中大電電関東)に抑えられ、1-2で惜敗した[1]。8月には辰市らとともに全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準々決勝で新宮高前岡勤也に投げ勝ち2-0で完封、準決勝に進むが四日市高高橋正勝に抑えられ敗退。

高校卒業後、1956年東映フライヤーズへ入団。1年目より先発陣の一角として起用され、この年は自己最多となるシーズン11勝を挙げた。翌1957年も6勝を記録するが、その後は一時低迷、中継ぎに回る。しかし1961年には先発に復帰し8勝、1962年も8勝を挙げた。同年のリーグ優勝に貢献、日本シリーズではリリーフで3試合に登板している。1963年以降は成績が振るわず、1966年無償トレードサンケイアトムズへ移籍。ここでも活躍の場はなく同年オフに引退した。

速球に威力があり、変化球はスライダー、カーブ、シュートを武器とした。

家族

「スカウト トニー・ルカデロ最後の旅」(マーク・ワインガードナー  Mark Winegardner 著 東京書籍1992年初版)、「メタルギアソリッド」(レイモンド・ベンソン著 角川文庫 2008年)、「虚栄は死なず」(ルース・レンデル著 光文社文庫)、「Xmen 2」(クリス・クレアモン著)などを日本語に翻訳して出版した翻訳家の富永和子は妻。同じく翻訳家の富永晶子は娘。著書に「ダース・ヴェイダーと仲間たち」(ジェフリー・ブラウン著 辰巳出版)など。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1956 東映 4126810119----.550837202.2183563231474076672.971.21
1957 3822421615----.286601142.2136751021063063573.591.31
1958 9400001----.00010222.128390140017155.871.66
1959 23911133----.50023756.05831602320125233.701.32
1960 6300011----.5008121.1191200600883.270.98
1961 3815512810----.444516129.1100731001240150372.561.01
1962 471421086----.571651165.11361230351291055442.391.00
1963 17400013----.25019944.25441402230033255.001.52
1964 22100000--------17841.24311100291019122.571.30
1965 4000000--------358.081301200555.631.38
1966 サンケイ 5000000--------234.170301200649.002.31
通算:11年 2509820643848----.4423460838.177244233517604923572973.191.20

背番号

  • 12 (1956年 - 1965年)
  • 20 (1966年)

脚注

  1. 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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