南安府
概要
990年(淳化元年)、北宋により虔州大庾県に南安軍が置かれた。南安軍は江南西路に属し、大庾・南康・上猶の3県を管轄した[1]。
1277年(至元14年)、元により南安軍は南安路に昇格した。南安路は江西等処行中書省に属し、大庾・南康・上猶の3県を管轄した[2]。1365年、朱元璋により南安路は南安府と改められた。
明のとき、南安府は江西省に属し、大庾・南康・上猶・崇義の4県を管轄した[3]。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.