勝亦治
勝亦 治(かつまた おさむ、1952年4月30日 - )は、静岡県富士市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県富士市 |
生年月日 | 1952年4月30日(71歳) |
身長 体重 |
175 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト9位 |
初出場 | 1972年 |
最終出場 | 1972年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
来歴・人物
静岡商業高校では、2年生時の1969年に夏の甲子園に控え捕手として出場。チームは準々決勝に進出するが、この大会に優勝した松山商に敗退[2]。翌1970年は同期のエース池谷公二郎とバッテリーを組む。春季中部大会は決勝に進み、中京高のエース樋江井忠臣(のち三協精機)を攻略、優勝を飾る。しかし夏の県予選では2回戦で敗退。
1970年ドラフト会議で阪神タイガースから9位指名を受け入団[1]。1971年オフの第2回選抜会議(トレード会議)の対象となり。指名を受けたヤクルトアトムズへ移籍[1]。選手登録ながら一軍では偵察要員としての出場にとどまり、ブルペン捕手を長くつとめ、1981年に引退した。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972 | ヤクルト | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
背番号
- 53 (1971年)
- 57 (1972年 - 1981年)
脚注
- プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、147ページ
- 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
外部リンク
- 個人年度別成績 勝亦治 - NPB.jp 日本野球機構
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.