中野新町 (名古屋市)

中野新町(なかのしんちょう)は愛知県名古屋市中川区及び熱田区にある町名。現行行政地名は中川区に中野新町1丁目から中野新町7丁目と6つの小字が、熱田区に字イノ割が存在する。住居表示未実施[6]。熱田区中野新町は鉄道用地のみ[7]

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中野新町
中野新町の位置(愛知県内)
中野新町
中野新町
中野新町の位置
中野新町の位置(名古屋市内)
中野新町
中野新町
中野新町 (名古屋市)
北緯35度7分35.78秒 東経136度52分13.88秒
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
市町村 名古屋市
中川区熱田区
町名制定[1] 1921年大正10年)8月22日
人口
2019年(平成31年)2月1日現在)[2]
  合計 1,387人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
454-0837[3](中川区中野新町)
456-0069[4](熱田区中野新町)
市外局番 052 (名古屋MA)[5]
ナンバープレート 名古屋

地理

中川区中野新町は、名古屋市中川区の南東部に位置し、東に福船町、西に太平通、南に昭和橋通、北に八家町と接する。このほかに中川運河の河川用地に6つの小字が残る[8]

熱田区中野新町は、字イノ割が名古屋港線の鉄道用地のみに残存する。東に古新町、西に八剱町が接する[9]

字一覧

中野新町とその前身である中野外新田の小字は以下の通り[8][9][10]。 以下の表において、

  • 消滅した字については背景色    で示す。
  • 現存する字のうち熱田区に所在するものには★を、中川区に所在するものには■を付した。
イノ割(いのわり)★ロノ割(ろのわり)
ハノ割(はのわり)ニノ割(にのわり)
ホノ割(ほのわり)ヘノ割(へのわり)■
トノ割(おちだ)■チノ割(ちのわり)■
リノ割(りのわり)■ヌノ割(ぬのわり)■
ルノ割(るのわり)■ヲノ割(をのわり)
ワノ割(わのわり)カノ割(かのわり)
ヨノ割(よのわり)タノ割(たのわり)
レノ割(れのわり)西屋敷(にしやしき)

歴史

江戸期に開発された中野外新田の一部に該当する[1]

町名の由来

中野外新田の名による[11]

中野外新田

中野外新田(なかのそとしんでん)は、江戸時代尾張国愛知郡で開発された新田[12]中野村に隣接することからこの名がついた[12]1641年寛永18年)に当地周辺の有力百姓であった鬼頭家の先祖(鬼頭弥五郎なる人物のの5代前)が開発したと言い伝わる[10][12]。開発から26年後の1667年寛文7年)に尾張藩士の鈴木嘉十郎という人物の給地として縄入れが行われ[10]、以降全域が鈴木嘉十郎の給地となっていた[12]。頭百姓の鬼頭弥五郎以外は「高持細民」とされたという[12]。中野外新田の領域は現在の名古屋港線から西方に延び、名古屋市立工業高等学校西の「二十番用水」と呼ばれる用水路に及ぶ広大な範囲を含んでいた[10]。町名でいうと現在の中野新町のほか外新町、昭和橋通、福川町、八剱町、福船町、太平通、古新町、八家町、小碓通昭明町北江町法蔵町の各一部が該当する[13]。村落は笈瀬川の下流に当たる中川(中川運河の前身)により東西に分かれており[11]、中川の東が「中島屋敷」「五軒屋敷」、西が「西屋敷」とそれぞれ呼ばれていた[10]。江戸期は農業が主に行われており、カボチャトウガンスイカなどを栽培し、知多郡津島横須賀(現在の東海市横須賀町)へ売りに出していたという[11]が多かったため、周辺の丸米野村熱田新田八ツ屋村などから人手が来ていた[11]。『寛文村々覚書』によると中野外新田は本田概高200石、反別35町、新田3石、家数16、人口86、6[11]。このほかに萱野が1反あった[12]文政年間になると人口が増加し、家数64、人口243となっていた[11]

明治以降

中野外新田は、1889年明治22年)に合併に伴い八幡村大字中野外新田となった[1]1911年(明治44年)、中野外新田西端に国鉄名古屋港線が開通[10]1921年大正10年)には名古屋市に編入され同時に中野新町と改称された[1]。大正時代には中川運河の掘削が計画されたため西屋敷の約30戸が移転対象となり、現在の中野新町2~7丁目に住民の多くが移住した[10]1930年昭和5年)、中川運河は開通した[10]。中野新町は、戦後貸家ブームを呼び住宅地として大いに発展した[10]。昭和以降は、道路整備なども行われ鉄工業が栄えた[10]。新田開発の功績をたたえて弥五郎が建てた「鬼頭氏遺愛碑」が現在でも域内に残る[10]

行政区画の変遷

  • 1889年(明治22年)10月1日 - 愛知郡中野外新田が合併により、同郡八幡村大字中野外新田となる[1]
  • 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市に編入され、同市南区中野新町となる[1]
  • 1927年(昭和2年)12月5日 - 中区篠原町の一部を編入する[1]
  • 1937年(昭和12年)10月1日 - 名古屋市中川区に編入され、同区中野新町となる[1]
  • 1945年(昭和20年)2月5日 - 中川区篠原町の一部を編入する[1]
  • 1952年(昭和27年)1月15日 - 中川区篠原町の一部を編入する[1]

その他、一部が中川区太平通・八家町・福船町・福川町・八剱町・外新町・昭和橋通および熱田区古新町に編入されている[1]

年表

世帯数と人口

2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁世帯数人口
中野新町 602世帯 1,387人

学区

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[14][15]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[16]

  • 中川区中野新町
番・番地等小学校中学校高等学校
全域名古屋市立昭和橋小学校名古屋市立昭和橋中学校尾張学区
  • 熱田区中野新町
番・番地等小学校中学校高等学校
全域名古屋市立大宝小学校名古屋市立日比野中学校尾張学区

施設

[全画面表示]
略地図
1
名古屋市立昭和橋小学校
2
神明社
  • 名古屋市立昭和橋小学校
  • 神明社

その他

日本郵便

脚注

  1. 名古屋市計画局 1992, p. 824.
  2. 町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
  3. 郵便番号”. 日本郵便. 2019年2月10日閲覧。
  4. 郵便番号”. 日本郵便. 2021年2月26日閲覧。
  5. 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
  6. 中川区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2019年2月13日閲覧。
  7. 熱田区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2021年2月26日閲覧。
  8. 名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2021年2月26日閲覧。「中川区中野新町」のページを参考とした。
  9. 名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2021年2月26日閲覧。「熱田区中野新町」のページを参考とした。
  10. 山田寂雀 1979, p. 13-14.
  11. 名古屋市計画局 1992, p. 481.
  12. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 951.
  13. 中川倶楽部 1971, p. 17-18.
  14. 市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
  15. 市立小・中学校の通学区域一覧(熱田区)”. 名古屋市. 2021年2月26日閲覧。
  16. 平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
  17. 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年02月10日閲覧 (PDF)

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 NCID BN00094881OCLC 674681322全国書誌番号:89022577
  • 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、名古屋、1992年3月31日。 NCID BN08352481全国書誌番号:93012879
  • 中川倶楽部 編『中川区の町名一覧』名古屋、08-01。
  • 山田寂雀『中川区風土記』名古屋市中川図書館、名古屋、08-01。

関連項目

外部リンク

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