中湧別駅
中湧別駅(なかゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字中湧別中町(現・湧別町中湧別中町)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122124[2]。名寄本線は当駅で本線と湧別支線が分岐し、加えて1987年(昭和62年)までは湧網線の分岐駅であった。
中湧別駅 | |
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駅舎(1993年2月) | |
なかゆうべつ Naka-Yūbetsu | |
所在地 | 北海道紋別郡上湧別町字中湧別中町 |
所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) 日本国有鉄道(国鉄) |
電報略号 | ナユ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
開業年月日 | 1916年(大正5年)11月21日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | 名寄本線 |
キロ程 | 121.9 km(名寄起点) |
所属路線 | 名寄本線(支線) |
キロ程 | 0.0 km(中湧別起点) |
所属路線 | 湧網線 |
キロ程 | 0.0 km(中湧別起点) |
備考 | 名寄本線廃線に伴い廃駅 |
歴史
1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。
年表
- 1916年(大正5年)11月21日:鉄道院湧別軽便線社名淵(後の開盛) - 下湧別駅(後の湧別)間延伸開通に伴い開業[3]。一般駅。野付牛(現・北見)機関庫中湧別分庫設置。
- 1919年(大正8年):富士製紙が湧別町芭露より当駅裏土場まで馬車鉄道による森林軌道敷設[4][5]。
- 1922年(大正11年)9月2日:湧別軽便線が湧別線に改称され、同線の駅となる。
- 1923年(大正12年)11月5日:中湧別機関分庫が渚滑機関庫所属となる。
- 1924年(大正13年)10月1日:中湧別機関分庫廃止。
- 1930年(昭和5年)頃:富士製紙の森林軌道廃止[4]。
- 1932年(昭和7年)10月1日:湧別線が名寄本線に編入され、同線の駅となる。
- 1935年(昭和10年)10月20日:湧網西線当駅 - 計呂地駅間開通に伴い同線の分岐駅となる[6]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道に移管。
- 1953年(昭和28年)10月22日:湧網西線が湧網線に改称され、同線の分岐駅となる。
- 1958年(昭和33年):駅舎改築[7]。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)5月1日:名寄本線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[9]。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した[9]。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が上下共用の1番線、島式ホーム駅舎側が名寄本線下りの2番線、外側が湧網線発着用の上下共用の3番線となっていた。また島式ホーム北側は切欠きとなっていたが側線扱いとなっていた。3番線の外側に多数の側線を有し、そのほか1番線の名寄方から分岐し駅舎北側の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた[9]。名寄本線湧別支線と湧網線の合流地点にはシーサス・クロッシングが設置されていた[9]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置し単式ホームから少し離れた場所に存在していた[9]。コンクリート製の駅舎であった。
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は686人[9]。
駅周辺
駅跡
旧駅構内は1993年(平成5年)4月1日から上湧別町(当時)により「中湧別鉄道資料館」として整備され[11]、さらに資料館を包含する形で「道の駅中湧別」として整備された[11]。その後道の駅は「道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯」としてリニューアルされ、鉄道資料館は「上湧別百年記念公園 中湧別駅記念館」となった。また「湧別町文化センターTOM」が開設された。
上湧別百年記念公園 中湧別駅記念館
駅舎は撤去されたが、開業当時からの木造跨線橋及びレールとホームが保存・展示されている[11]。車輌は旧1番線と旧2番線上に横付けする形で除雪用モーターカー(番号無し。形状からTMC200CSと思われる)1両と、ヨ3500形車掌車ヨ 4407、ヨ 4421、ヨ 4430、ヨ 4433の4両[11][12]が静態保存・展示されている。車掌車内にはダイヤグラム[12]、ダルマストーブ[11]などの古い備品類、また「文化センターTOM」内にも駅名標や制服、改札鋏などの名寄本線関連の備品などが保存・展示されている[12]。ホームの湧別方には腕木式信号機が設置保存され、遠軽方には「国有鉄道 中湧別保線区之碑」という石碑が建立されている[12]。
2011年(平成23年)時点でも同様で、ホームには本物の駅名標も保存されていた[13]。
- ホームと跨線橋はそのまま活用される
- 駅名標や乗換案内板もそのまま
- 名所案内
- 入口反対側のホーム上
- 中湧別保線区之碑
湧別町文化センターTOM
文化ホールと公民館、図書館、漫画美術館、湧別町役場中湧別出張所等がある複合施設。鉄道資料館の管理も行っている。
名称の「TOM」には、
などの意味合いが込められている。
隣の駅
脚注
- 石野 1998, p. 912.
- 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、198頁。ASIN B000J9RBUY。
- 湧別町百年史 昭和57年12月発行。
- 地形図 (Map). 1:50,000. 内務省地理調査所. 1947. § 「中湧別」「遠軽」.。地図中「木材運搬馬車軌道」と記述。湧別町芭露の芭露川支流ポン川上流より山裾に沿って北上した後(後の湧網線の軌道とは重ならない)東7号線(現・国道238号)上を通って当駅裏土場まで森林軌道が敷かれている。当初は福島との境界に当たるテイネ川岸の土場から敷かれていたが、大正12年頃にポン川上流へ延長された。昭和5年頃に軌道が廃止されて馬橇に戻り、湧網西線開通後は伐採地に近い芭露駅や計呂地駅へ送られた。
- 石野 1998, p. 914.
- 上湧別町史 昭和54年11月発行。
- 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、188頁。ISBN 978-4893915498。
- 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、212頁。ISBN 978-4093951012。
- 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。
- 白川淳 編『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1998年10月、52頁。ISBN 978-4533030963。
- 秘境駅を旅する (テレビ番組). 旅チャンネル. (2011年10月)
- 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、116頁。ISBN 978-4894536128。
- 「中湧別バスターミナル乗車券販売等窓口が上湧別町商工会になります」(PDF)『かわらばん』第23号、湧別町、2010年9月10日。
- “高速えんがる号が、ますます便利に! 遠軽-札幌 2012年4月1日(日)ダイヤ改正!” (PDF). 楽得バス13. 2012年4月1日閲覧。