リトル・ウィリー・ジョン

ウィリアム・エドワード・"リトル・ウィリー"・ジョンWilliam Edward "Little Willie" John1937年11月15日 - 1968年5月26日[3]は、アメリカのR&Bシンガーである。代表曲に「オール・アラウンド・ザ・ワールド」(1955年)、「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」(1956年)、「フィーヴァー」(1956年)、「トーク・トゥ・ミー、トーク・トゥ・ミー」(1958年)、「リーヴ・マイ・キトゥン・アローン」(1960年)、「スリープ」(1960年)がある[4]

リトル・ウィリー・ジョン
出生名 ウィリアム・エドワード・ジョン[1]
生誕
死没
ジャンル
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
活動期間 1955年 - 1968年
レーベル キング・レコード

モータウンスタックスなどで活躍したソウル歌手、メイブル・ジョンは彼の姉[5]

生涯

1937年11月15日、アーカンソー州カレンデールに生まれる[6]。4歳の時に一家でデトロイトに移り住み[7]、10代の時にゴスペルのクインテットを結成[8]。またタレント・ショーにも出演し、1952年、そこでのパフォーマンスがミュージシャン兼レコードプロデューサーのジョニー・オーティスの目に留まることとなった[7][5]。オーティスはジョンにキング・レコードと契約をさせようとしたものの、彼がまだ若すぎたため、契約には至らなかった[8][7]

1954年、ジョンは地元で知名度のあったポール・ウィリアムス率いる楽団でシンガーを務めるようになり、それを見たトランペット奏者のヘンリー・グローヴァーが1955年、自身がA&Rを担当していたキング・レコードと契約させたのだった[5]

背が低かったことから「リトル・ウィリー」のニックネームで呼ばれていた彼は[8]、1955年、「リトル・ウィリー・ジョン」の芸名でタイタス・ターナー作の「オール・アラウンド・ザ・ワールド」でデビュー。ビルボードのR&Bチャートで5位を記録するヒットとなり[5] 、順調な滑り出しとなると共に、同年「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」もビルボードのR&Bチャートで5位を射止めるヒットとなった[9]

1956年にはエディ・クーリーオーティス・ブラックウェル作の「フィーヴァー」もビルボードのR&Bチャート1位、ビルボードのシングルチャートで24位を記録するヒットとなった[10][5]

1958年はジョー・セネカ作の「トーク・トゥ・ミー、トーク・トゥ・ミー」がビルボードのシングルチャートで20位を記録するヒットとなる[9]

ジョンは当時の黒人の人種差別に対する公民権運動への参加も積極的で、1964年には全米黒人地位向上協会の主催によるコンサートに出演し、黒人コミュニティー向けの雑誌『ジェット』でのインタビューで「一人のエンターテイナーとして、サミー・デイビス・ジュニアハリー・ベラフォンテが全ての資金を稼いで、黒人社会に還流してくれることを呑気に待っている訳には行かない」と語っている[11]

また彼は気が短いことでも知られ、アルコールの乱用により、幾度も事件を引き起こし[12][13][14]、1963年にはデビュー当時から在籍していた、キングより契約を解除された[8]

1964年10月、公演先のシアトルで公演後に訪れたバーで、前科者の大男、ケンドール・ラウンドトゥリーと口論となり、数回殴られたのち所持していたナイフで彼を刺した。彼はその場で死亡する[15][7]

ジョンは当初殺人容疑で逮捕されたものの正当防衛による無罪を主張し、保釈金1万ドルを支払ってツアーを続けた[7][8][15]。翌1965年には裁判所に出廷したものの、彼の弁護士が正当防衛という主張を変更したため、結果として、過失致死で有罪となってしまった[7]

ジョンは判決が確定する前に再度保釈金2万ドルを支払い、既に決まっていたツアーに出ると同時に、キャピトル・レコードと契約。11曲をレコーディングした。しかしながら、ジョンとの契約がまだ残っていると主張するキングがキャピトルを訴えたため、このレコーディングはリリースが差し止められた[7][16]。この作品は40年以上が経過した2008年、英国エイス/ケント・レコードにより『Nineteen Sixty-Six – The David Axelrod and HB Barnum Sessions』としてリリースとなった[17][7]

懲役8年から20年の刑が確定し、ジョンは1966年7月6日、ワシントン州ワラワラのワシントン州立刑務所に収監された[18]。収監中にも、いくつか暴力沙汰を起こし、また看守から暴行も受けていたとされる。また、曲も書き続け、囚人向けに何度かパフォーマンスも行なっていた。獄中の彼との面会に訪れた人の中には、アレサ・フランクリンジェイムズ・ブラウンがいた[7]

刑務所にて肺炎を発症したジョンは厳重な警備下の部屋に移された後、1968年5月26日に死去[19][7]。死亡証明書によると死因は心臓発作[20]とされているものの、暴行疑惑や適切な世話がされなかったことから亡くなったのではとの声もあがっている[18]

1968年、ジェイムズ・ブラウンは、ジョンを追悼し、彼の曲を中心としたアルバム『Thinking About Little Willie John and a Few Nice Things』をリリースした[18]

ディスコグラフィ

アルバム

  • 1958年 Mister Little Willie John (King)
  • 1958年 Fever (King)
  • 1958年 Talk To Me (King)
  • 1959年 Sure Things (King)
  • 1960年 In Action (King)
  • 1961年 The Sweet, The Hot, The Teen-Age Beat (King)
  • 1962年 Come On And Join Little Willie John At A Recording Session (King)
  • 2008年 Nineteen Sixty Six (The David Axelrod & HB Barnum Sessions) (Kent Soul)

[21]

カヴァー

  • Need Your Love So Bad
    イギリスでは1968年にフリートウッド・マックがカヴァーして全英シングルチャートに送り込んだ。デイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイクもカヴァーし、1984年に発表したアルバム『スライド・イット・イン』の日本盤ボーナストラックとして収録、イギリスでの人気の高い曲として知られる。この他、ゲイリー・ムーアは1995年に発表した『ブルーズ・フォー・グリーニー』でカヴァーしている。
  • Fever
    1958年にペギー・リー、1993年にはマドンナがその前年に発表したアルバム『エロティカ』で大胆なアレンジを施してカヴァーしており、マドンナのカヴァーによる同曲は、イギリスとヨーロッパでヒットしている。
  • Talk To Me, Talk To Me
    アレサ・フランクリンがアルバム『ソウル'69』(1969年)向けにレコーディングしたものの、同作には収録されず、後になって2枚組コンピレーション盤『Rare & Unreleased Recordings from the Golden Reign of the Queen of Soul』(2007年)に収録された。
  • 脚注

    1. Whitall, Susan (2011). Fever: Little Willie John: A Fast Life, Mysterious Death, and the Birth of Soul. Titan Books. p. 16. ISBN 978-0-857-68796-8
    2. Floyd, John. Little Willie John Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年9月8日閲覧。
    3. Larkin, Colin, ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). Virgin Books. p. 677. ISBN 1-85227-745-9
    4. Fox, Ted (1983). Showtime at the Apollo. Da Capo. pp. 198-200. ISBN 9780030605338
    5. WBSS Media - Little Willie John
    6. Eagle, Bob; LeBlanc, Eric S. (2013). Blues: A Regional Experience. Santa Barbara, California: Praeger. p. 300. ISBN 978-0313344237
    7. MRRL Hall of Fame LITTLE WILLIE JOHN
    8. Little Willie John”. Encyclopediaofarkansas.net. 2019年10月9日閲覧。
    9. Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942–2004. Record Research. p. 228
    10. 117.) Fever - Little Willie John
    11. “Little Willie John Singing For Integration”. Jet 20 (12): 61. (July 13, 1961). https://books.google.com/books?id=nLMDAAAAMBAJ&q=Little+Willie+John+arested+jet&pg=PA61.
    12. “Singer Little Willie John Nabbed For Swindle”. Jet 15 (5): 57. (December 4, 1958). https://books.google.com/books?id=f0EDAAAAMBAJ&q=Little+Willie+John+arested+jet&pg=PA57.
    13. “Little Willie John Charged In D. C. Grand Larceny”. Jet 15 (12): 50. (January 22, 1959). https://books.google.com/books?id=2kEDAAAAMBAJ&q=Little+Willie+John+arested+jet&pg=PA50.
    14. “Nab Little Willie John On Narcotics Charge”. Jet 20 (9): 62. (June 22, 1961). https://books.google.com/books?id=LrQDAAAAMBAJ&q=Little+Willie+John+arested+jet&pg=PA62.
    15. “Little Willie John Stabs 240-Lb, Man To Death”. Jet: 58. (November 5, 1964). https://books.google.com/books?id=08ADAAAAMBAJ&q=Little+Willie+John+jet&pg=PA58.
    16. Whitall, Susan (2011) (英語). Fever: Little Willie John: A Fast Life, Mysterious Death, and the Birth of Soul. Titan Books (US, CA). pp. 162-170. ISBN 978-0-85768-796-8. https://archive.org/details/feverlittlewilli00whit. "appeal."
    17. Clarke, John (2008) "Little Willie John – Nineteen Sixty Six". The Times, November 22, 2008.
    18. “Little Willie John Dies in Prison”. Rolling Stone (13). (July 6, 1968).
    19. Fox, Jon Hartley (2009). King of the Queen City: The Story of King Records. p. 111
    20. Little Willie John Discography (Discogs)

    外部リンク

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