ブルーフィッシュ (潜水艦)

ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の11番艦。艦名は全世界の温水域に生息するオキスズキ科に唯一属するオキスズキに因む。なお、退役から13年後にスタージョン級原子力潜水艦26番艦として2代目ブルーフィッシュ (SSN-675)が就役している。

オキスズキBluefish
USS ブルーフィッシュ
基本情報
建造所 エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 ガトー級潜水艦
艦歴
発注 1940年7月1日[1]
起工 1942年6月5日[2]
進水 1943年2月21日[2]
就役 1943年5月24日[2]
退役 1953年11月20日[3]
除籍 1958年6月1日[4]
その後 1960年6月8日、スクラップとして売却
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311 ft 9 in (95.02 m)
水線長 307 ft (93.6 m)
最大幅 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水 17 ft (5.2 m)
主機 ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源 ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力 水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25 ノット
水中:8.75 ノット
航続距離 11,000 海里/10ノット時
潜航深度 試験時:300 ft (90 m)
乗員 士官、兵員70名(平時)
士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装

艦歴

ブルーフィッシュはコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1943年2月21日にロバート・Y・メンジー夫人によって進水し、ジョージ・E・ポーター中佐(アナポリス1932年組)の指揮下1943年5月24日に就役する。副長にはチェスター・W・ニミッツ・ジュニア大尉(アナポリス1936年組)が就任した[7]。ブルーフィッシュはニューロンドン海軍潜水艦基地を7月21日に出航し、ココ・ソロを経由して8月21日にオーストラリアブリスベンで第72任務群に合流し[2]、来る哨戒に備えダーウィンに進出した[8]

第1、第2、第3の哨戒 1943年9月 - 1944年1月

9月9日、ブルーフィッシュは最初の哨戒でジャワ海セレベス海方面に向かった。9月18日、ブルーフィッシュは南緯05度38分 東経120度48分の地点で2本マストのスクーナーと2隻の小型帆船を発見し、浮上砲戦でスクーナーを炎上させた[5]。9月21日午後には南緯03度58分 東経122度54分ケンダリ近海で10,000トン級貨客船を発見し、魚雷を4本発射して2つの爆発を確認したが、目標はそのまま北上していった[9]。9月25日朝、ブルーフィッシュは南緯06度22分 東経118度55分の地点[10]で2隻の護衛艦が配された輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して1本が目標に命中する[11]。直ちに反転して艦首発射管から魚雷を6本発射し、2本を目標に命中させた[11]。一連の攻撃で陸軍輸送船明石丸三井船舶、3,227トン)に魚雷が1本命中した[10]。2日後の9月27日未明、ブルーフィッシュは南緯05度45分 東経121度50分アンボン南西190海里の地点で、アンボンからセレベス島ポマラに向かっていた特設運送船北陸丸(大阪商船、8,359トン)と、北陸丸を護衛中の水雷艇を発見し、北陸丸に対して魚雷を6本発射したが、魚雷は鵲の左舷中部に命中してこれを撃沈[10][12][13]。ブルーフィッシュは第二撃で改めて北陸丸に対して魚雷を2本発射し、1つの爆発音を聴取した[11]。9月28日夜には第4号掃海特務艇と水雷艇に護衛されていた明石丸を再度発見し、南緯06度05分 東経125度55分の地点に至って浮上攻撃により魚雷を2本発射して2本とも明石丸に命中し、明石丸は爆発を起こして沈没した[10][14]。ブルーフィッシュはこの攻撃で魚雷を使い果たしたため哨戒を打ち切った[15]。10月4日、ブルーフィッシュは25日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[16]

10月26日、ブルーフィッシュは2回目の哨戒で南シナ海に向かった[17]。11月6日夜、ブルーフィッシュは北緯10度40分 東経115度15分の地点で遠方に輸送船団、11月3日にシンガポールを出港し門司に向かっていたヒ14船団を発見する[18]。いったんは見失うも、翌11月7日午後に再度発見して船団の全貌をおおよそつかむ事ができた[19]。11月8日朝、ブルーフィッシュは北緯16度44分 東経116度22分南沙諸島東方に至ったところで浮上攻撃を仕掛け、先頭船、五番船および六番船に対して、艦首と艦尾の両発射管を使って魚雷を計10本発射し、全て命中させたと判断される[20]。1時間後に二度目の攻撃で後落したタンカーに対して魚雷を4本発射したが、1本は命中したものの不発で2本は命中せず、残る1本が命中しただけだった[21]。三度目の攻撃で魚雷を2本発射して1本を命中させ、四度目の攻撃でも魚雷を2本発射し2本とも命中させた[21]。ブルーフィッシュはこの一連の攻撃でタンカー旭栄丸(日東汽船、10,571トン)を撃沈した。11月18日午前には北緯05度06分 東経123度39分の地点でパラオからバリクパパンに向かっていた第2513船団を発見し[22][23]、深夜まで追跡の上、北緯04度52分 東経122度07分バシラン島沖に至ったところで駆逐艦早苗と特務艦隠戸に対して魚雷を4本、隠戸に対して魚雷をさらに2本発射[24]。魚雷は3本が早苗に、1本が隠戸に命中して早苗は沈没し、隠戸は中破して行き足を止めた[22][24]。ブルーフィッシュは、またもや魚雷を早々に使い果たした[25]。11月26日、ブルーフィッシュは32日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[26]

12月20日、ブルーフィッシュは3回目の哨戒でラッシャー (USS Rasher, SS-269) とともに南シナ海、タイランド湾方面に向かった[27]。12月30日夕刻、ブルーフィッシュは南緯02度45分 東経109度10分カリマタ海峡でタンカー一宇丸(共同企業、5,061トン)を発見し、魚雷を5本発射して全て命中させて撃沈した[28]。1944年1月2日から3日未明にかけては、北緯04度50分 東経103度33分を中心とするマレー半島東岸ドゥングンテンゴール島間の海域に機雷を11個敷設[29][30]。1月4日午後、ブルーフィッシュはラッシャーと会合する[31]。会合の後ラッシャーと別れてから約2時間半後、ラッシャーから敵発見の報告がもたらされ、すぐさまその方角に移動する[31]。ラッシャーの攻撃に起因すると思われる何度かの爆発を確認しつつ目標に接近し、21時ごろから北緯07度00分 東経107度30分[32]ナトゥナ諸島北北東沖でミリからサンジャックに向かっていたタンカー船団に対する浮上攻撃を開始する[33]。最初の攻撃目標をタンカー八紘丸帝国船舶/共同企業運航、6,046トン/元パナマ船クリフォード)と応急タンカー崑山丸(大連汽船、2,733トン)とし、元はアメリカで建造された八紘丸[34][注釈 1]に対して魚雷を4本、崑山丸に対して魚雷を2本発射[35]。魚雷は八紘丸に2本が命中したと思われ、ブルーフィッシュは掃射ののち潜航と反転行い、手負いの八紘丸に対する第二撃で魚雷を2本発射して1つの命中音を確認[36]。八紘丸は北緯07度05分 東経108度30分の地点で瞬時に爆沈し、ラッシャーがその様子を確認していた[37][38]。再浮上の後、ラッシャーが特設運送船(給油)紀洋丸(浅野物産、7,251トン)を撃沈する様子を見届けた後[38]北緯07度16分 東経108度34分の地点で崑山丸に対して魚雷を5本発射するが命中せず[39]、日付が1月5日に変わってから北緯07度40分 東経108度25分の地点で魚雷をさらに3本発射したが、これも命中しなかった[38]。攻撃後、八紘丸と紀洋丸の沈没地点に戻ると、合計50名の日本人が乗った2隻の救命ボートが漂っており、そのうちの何人かを捕虜にして尋問した[40]。1月13日、ブルーフィッシュは27日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がチャールズ・M・ヘンダーソン少佐(アナポリス1934年組)に代わった。副長のニミッツ・ジュニア大尉も少佐に昇進してハッド (USS Haddo, SS-255) 艦長となり、ブルーフィッシュを退艦した。

第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月

2月13日、ブルーフィッシュは4回目の哨戒で南シナ海に向かった[41]。日付が3月3日になってすぐ、ブルーフィッシュのレーダーは17,500ヤード(約16キロ)先に目標を探知する[42]。間合いを取って追跡を行い、明け方には先頭船と二番船に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、反転し三番船に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射するも、全て外れた[43]。この目標はヒ47船団で、魚雷は特設運送船能代丸日本郵船、7,189トン)に向かったが回避された[44][45]。一度はヒ74船団との接触が途絶えるが、翌3月4日未明に再び発見[46]。前日同様に接敵し、明け方に北緯05度29分 東経108度46分の地点で艦尾発射管から魚雷を3本発射[47]。魚雷は特設運送船(給油)大峯山丸(三井船舶、10,536トン)に2本から3本命中し、大峯山丸はわずかに船首を海面上に突き出した状態で沈没した[48]。攻撃後は哨戒の傍らで南沙諸島の偵察も行う[49]。3月20日には北緯07度35分 東経110度56分の地点で日本潜水艦を発見するが、攻撃の機会がなかった[50]。3月28日夜、ブルーフィッシュは北緯06度34分 東経118度33分の地点で「沖島型敷設艦」を発見し、北緯05度58分 東経119度15分の地点に至った所で、艦首発射管から魚雷を4本と、最後に艦尾発射管に残った魚雷を1本発射したが、目標が針路を変えたため命中しなかった[51]。4月12日、ブルーフィッシュは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[52]

5月7日、ブルーフィッシュは5回目の哨戒でセレベス海方面に向かった[53]。途中、当時インド洋方面にいた空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機が5月17日にスラバヤを空襲する(トランサム作戦)ので、空襲を援護する任務を命じられた。援護任務が終了すると通常の哨戒任務に戻った。5月25日ごろからは、タウィタウィの日本艦隊の動静を監視。5月26日には3隻の戦艦、4隻の重巡洋艦、3隻の軽巡洋艦その他の艦艇を認めた[54]。5月30日、ブルーフィッシュはカブリラ (USS Cabrilla, SS-288) とともにタウィタウィ沖で、渾作戦のために出撃した戦艦扶桑、重巡洋艦妙高羽黒以下の第一次渾部隊を発見した。ブルーフィッシュは部隊の3海里以内までに接近することができず、部隊が視界外に去ってから日本艦隊出撃の報を司令部に打電した[55][56]。6月1日、定例の湾内の偵察を終えたブルーフィッシュは、高速で接近する「照月型駆逐艦」を探知し、艦尾発射管を目標に差し向ける[57]。しかし、続いて別の巡洋艦あるいは駆逐艦が現れ、彼我の目標および暗礁との距離を探っているうちに攻撃の機会を逸した[58]。タウィタウィの監視を終えた後の6月12日未明、ブルーフィッシュは南緯00度05分 東経118度45分の地点で「占守型海防艦」を発見し、魚雷を6本発射するが外れ、逆に爆雷攻撃を受ける羽目となった[59]。6月15日未明にも大型輸送船に対して魚雷を5本発射するが、命中しなかった[60]。6月16日朝、ブルーフィッシュは北緯02度28分 東経118度09分の地点で3隻の輸送船を発見し、二番手の中型輸送船に対して魚雷を3本発射する[61]。魚雷は輸送船南進丸帝国船舶/南洋海運運航、1,422トン/元中国船泳安)に1本命中してこれを撃沈[62]。6月20日夕刻、ブルーフィッシュは南緯04度06分 東経117度26分の地点で「大型輸送船」と「千鳥型水雷艇」を発見し、まず魚雷を2本発射するが命中しなかった[63]。続いて魚雷を3本発射したもののこれも外れ[64]、日付が6月21日になってから南緯04度04分 東経116度45分の地点で行われた三度目の攻撃では魚雷を4本発射し、うち2本が輸送船河南丸(日本海汽船、3,312トン)に命中して撃沈した[65]。6月28日、ブルーフィッシュは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[66]

ブルーフィッシュから撮影された特務艦速吸の断末魔(1944年8月19日)

7月22日、ブルーフィッシュは6回目の哨戒で南シナ海、ルソン島西岸方面に向かった[67]。ダーウィンに寄港の後[68]、哨区に進出。8月15日、ブルーフィッシュはラッシャーから、8月12日にパファー (USS Puffer, SS-268) の攻撃で損傷した艦船を捜索するよう指示を受け、ミンドロ島沿岸部に向かう[69]。8月17日朝に3隻の艦艇に囲まれた特設運送船(給油)神鳳丸飯野海運、5,135トン)を発見し、夕方まで静観した後に再接近して魚雷を1本発射[70]。魚雷は神鳳丸に命中し、神鳳丸は北緯13度31分 東経120度23分の地点で沈没した[70][注釈 2]。8月19日未明、ブルーフィッシュはレーダーで目標を探知[71]。この目標は伊万里湾からマニラに向かっていたヒ71船団で、すでに8月18日22時20分ごろに、ラッシャーが船団最後尾の空母大鷹を撃沈し、次いで23時12分に、特徴的な煙突を持ち、かつて交換船としても活躍した帝亜丸(帝国船舶、元フランス船アラミス/日本郵船委託、17,537トン)に魚雷を2本命中させて撃沈。船団は混乱し悪天候の中を右往左往するようになり、各船は陸岸に近接して避退していった。ブルーフィッシュは混乱続くヒ71船団に14ノットの速力で接近し、北緯17度34分 東経119度24分ビガン西岸沖105キロの地点に達した3時20分に、「図南丸級タンカー」と二番目のタンカーに対して魚雷を4本発射し、2本から3本が命中した事を確認する[72]。1時間半後に二度目の攻撃で「二番目のタンカー」魚雷を3本発射し、2つの爆発を確認[73]。三度目の攻撃はその1時間後に行われ、同じく二番目のタンカーに対して魚雷を2本発射して2本とも命中させる[73][注釈 3]。霧が出て爆発がとどろく中、明け方には北緯17度35分05秒 東経119度38分05秒の地点で行き足を止めた「図南丸級タンカー」に対して魚雷を3本発射し、全て命中させて目標を沈めた[74]。この「図南丸級タンカー」は特務艦速吸であり、ブルーフィッシュは沈み行く速吸の写真を潜望鏡越しに撮影したが、これが現在までのところ、速吸唯一の写真となっている。攻撃後も8月31日までビガン近海とルソン海峡で哨戒を続け、その後はミッドウェー島に針路を向けた[75]。9月14日、ブルーフィッシュは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投[75]サンフランシスコに回航され、ベスレヘム・スチールオーバーホールに入った[6]。オーバーホール成って戦列に復帰したブルーフィッシュは、真珠湾を経由して1945年2月9日にグアムアプラ港に到着した[76]

第7、第8、第9の哨戒 1945年2月 - 9月

2月10日、ブルーフィッシュは7回目の哨戒で日本近海に向かった[76]南西諸島方面で救助配備任務に就き、3月1日に戦闘機の援護を得て2名のパイロットを救助したものの、息を引き取って水葬で葬られた[77]。3月19日、ブルーフィッシュは北緯32度30分 東経137度57分の地点で200トン級監視艇を発見し、浮上砲戦で損傷を与えた[78]。3月24日、ブルーフィッシュは42日間の行動を終えてアプラ港に帰投。艦長がジョージ・W・フォーブス・ジュニア少佐(アナポリス1939年組)に代わった。

4月23日[79]、ブルーフィッシュは8回目の哨戒で東シナ海に向かった。4月29日、ブルーフィッシュは先島諸島方面での救助配備任務中に音信不通になったスヌーク (USS Snook, SS-279) に代わって救助配備任務に就き[80]、5月29日まで任務を続けた[81]。その間の5月7日未明、ブルーフィッシュは石垣島宮良の航空基地に対して5インチ砲による艦砲射撃を行ったが、大した損害は与えなかったと判定される[82]。石垣島への艦砲射撃は5月24日夕刻と5月28日夕刻にも行われ、5月7日に攻撃したのとは別の航空基地に対して5インチ砲弾を撃ち込んだ[83]。6月1日、ブルーフィッシュは38日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[84]

伊351の艦橋部

6月25日[85]、ブルーフィッシュは9回目の哨戒で南シナ海に向かった。6月30日に僚艦ブロワー (USS Blower, SS-325) と会合し、テンゴール岬から北がブルーフィッシュ、南がブロワーの哨戒海域となった[86]。7月8日夜、ブルーフィッシュはブロワーから「北緯02度42分 東経105度34分の地点に2隻の小型艦艇がいる」と教えられ、その方向に艦を進めて北緯02度13分 東経105度03分の地点で目標を発見し、魚雷を4本発射するが命中しなかった[87]。日付が7月9日に変わってすぐ、深度を浅くして魚雷を4本発射して2本を命中させ、程なく三度目の攻撃で魚雷を4本発射したが、これは命中しなかった[88]。この攻撃で、第50号駆潜特務艇を撃沈した[89]。7月13日からは、ブロワーとともにハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364)、チャー (USS Charr, SS-328) と合流しウルフパックを構成[90]。この頃、「大型潜水艦がシンガポールを出た」という情報を得たブルーフィッシュは、この潜水艦を撃沈するよう司令部から命令を受けた[91]。7月15日未明、ブルーフィッシュは2つの魚雷爆発音を聞く[92]。ブロワーが目標に対して攻撃をしたと判断され、そのブロワーから「攻撃を行ったが、その結果は疑わしい」との報告が入る[92]。やがてブルーフィッシュは、北緯05度44分 東経110度06分の地点で12ノットの速力で浮上航行中の大型潜水艦を発見した。これはガソリン輸送潜水艦の伊号第三五一潜水艦(伊351)であり、ガソリン輸送のついでに第九三六海軍航空隊関係者を便乗させて、7月11日にシンガポールを出港し佐世保に向かってる途中だった[93]。ブルーフィッシュは伊351に魚雷を4本発射し、そのうちの2本を命中させて撃沈して伊351の乗組員3名を捕虜とした[91][94]。7月19日には南緯00度04分 東経105度08分の地点で日の丸を掲げたジャンクを発見し、威嚇射撃で停船させて原住民を退去させた上で砲撃により撃沈した[95]。7月29日、ブルーフィッシュは33日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[96]

戦後

戦争が終了するとブルーフィッシュは本国に帰還し、10月9日にフィラデルフィア海軍工廠に到着する。第16艦隊に配属された後、10月31日にニューロンドン潜水艦基地へ移動、その後グロトンのエレクトリック・ボートに曳航され修理を受ける。1946年6月12日にブルーフィッシュは復帰し、1947年2月12日に予備役となる。ブルーフィッシュは1952年1月7日にニューロンドン海軍潜水艦基地で再就役し、大西洋艦隊第82潜水艦部隊に配属される。4月7日にフロリダ州キーウェストに向かい、4月11日に第41潜水艦部隊に合流する。ブルーフィッシュは1953年5月までフロリダ沿岸およびカリブ海での訓練演習および作戦活動に従事した。同年6月7日にブルーフィッシュはポーツマス海軍基地に到着し、ポーツマス海軍造船所で不活性化オーバーホールを受け、11月20日にニューロンドンで予備役となった。その後、ブルーフィッシュは1958年6月1日に除籍され、1960年6月8日にスクラップとして売却された。

ブルーフィッシュは第二次世界大戦の戦功で10個の従軍星章を受章した。

脚注

注釈

  1. 元々アメリカで建造された船ゆえ知られていたのか、"HAKKO MARU (Ex "CLIFFORD"), 6,035 gross tons. whale factory converted to oil tanker. " とある(#SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.122)。
  2. この経緯から、神鳳丸撃沈はブルーフィッシュとパファーの共同戦果となっている(#Roscoep.564)。
  3. 帝洋丸の被雷時刻と、ブルーフィッシュが「2番目のタンカー」を攻撃していた時刻が近いことから、帝洋丸はブルーフィッシュの戦果と思われる。帝洋丸撃沈はラッシャーによるものになっているが(#Roscoep.547)、ラッシャーは当時魚雷を撃ちつくしており、また当該時刻に対敵行動をとっていない(#SS-269, USS RASHER_Part1pp.298-299、#駒宮pp.227-228)。

出典

  1. #海と空p.170
  2. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.3
  3. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.16
  4. #Friedman
  5. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.39,51
  6. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 2p.43
  7. #Blairp.490
  8. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.37
  9. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.40-41, pp.52-53
  10. #二四特根1809p.42
  11. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.42
  12. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.43-44, pp.57-59
  13. #舞鎮1810p.22
  14. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.42, pp.60-61
  15. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.64
  16. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.47
  17. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.71
  18. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.73,84
  19. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.73-74
  20. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.75, pp.87-89
  21. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.76
  22. #一護1811pp.29-30, p.39
  23. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.85
  24. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.81, pp.92-93
  25. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.96
  26. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.82
  27. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.103
  28. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.106-107, pp.120-121
  29. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.108
  30. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 2pp.142-144
  31. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.109
  32. #十一特根1901p.39
  33. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.109-110
  34. #松井pp.92-93
  35. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.110, pp.122-123
  36. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.110-111, pp.124-125
  37. #十一特根1901p.40
  38. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.111
  39. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.112, pp.126-129
  40. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.113
  41. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.142
  42. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.148
  43. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.149-150, pp.174-177
  44. #十一特根1903p.17
  45. #一護1903p.71
  46. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.151
  47. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.153
  48. #野間p.231
  49. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.159,171
  50. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.160-161, p.172
  51. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.165,172, pp.180-182
  52. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.169
  53. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.196
  54. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.202
  55. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.203-204
  56. #木俣戦艦pp.364-365
  57. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.205
  58. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.206
  59. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.213-214, pp.228-229
  60. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.216, pp.230-231
  61. #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1pp.217-218, pp.232-233
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外部リンク

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