ガヴィナ (潜水艦)

ガヴィナ (USS Guavina, SS/SSO/AGSS/AOSS-362) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名は西インド諸島、中部大西洋に生息するカワアナゴ科の一種ガヴィナに因む。

艦歴
発注
起工 1943年3月3日[1]
進水 1943年8月29日[1]
就役 1943年2月15日[1]
1950年2月1日[1]
退役 1946年6月8日[1]
1959年3月27日[1]
除籍 1967年6月30日[1]
その後 1967年11月14日に標的艦として沈没[2]
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[2]
2,424トン(水中)[2]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[2]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[2]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[2]
機関 ゼネラルモーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基[2]
ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[2]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[3]
水中:9 ノット (17 km/h)[3]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[3]
試験深度 300 ft (90 m)[3]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[3]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[3]
兵装 (竣工時)4インチ砲1基、20ミリ機銃2基、50口径機銃2基[4]
21インチ魚雷発射管10基

艦歴

ガヴィナは1943年3月3日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工する。8月29日にマリー・ローエンの手によって進水し、艦長カール・タイデマン少佐(アナポリス1933年組)の指揮下12月23日に就役する。整調後、ガヴィナは浮きドックに入れられたまま曳船ミネソタによってミシシッピ川を下り、1944年1月24日にニューオーリンズに到着した。その後ニューオーリンズとパナマ運河地帯バルボアで訓練演習を行い、4月5日に真珠湾に到着。ここで第1の哨戒の準備を行った。

第1の哨戒 1944年4月 - 5月

4月6日、ガヴィナは最初の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。4月19日、ガヴィナは北緯30度20分 東経140度23分鳥島近海でトロール船を発見し、魚雷を3本発射して1本が命中したものの不発だった[5]。4月22日の明け方には、北緯27度37分 東経141度46分の地点でデッキに材木と貨物を搭載していた2隻の475トン級トロール船をレーダーで探知した上で接近し、砲撃で1隻を撃沈[6]。4月25日朝には北緯28度55分 東経140度25分の地点で大型輸送船を発見し、魚雷を4本発射したが命中せず、続いて魚雷をもう3本発射してすべてを命中させ、23発の爆雷攻撃に遭ったものの目標は沈没したと判断された[7]。翌4月26日朝、ガヴィナは北緯28度42分 東経141度26分の地点で中型輸送船3隻、小型輸送船1隻、護衛艦3隻の7隻からなる輸送船団を発見。このうちの2隻に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、1隻には3本すべてが命中し、別の爆発音から、もう1隻にも魚雷が2本命中したと判断された[8]。しかし、護衛艦の制圧を受けてガヴィナはその様子を観察できず潜航した。ガヴィナは一連の攻撃で、輸送船能代丸川崎汽船、2,333トン)を撃沈した。5月21日から26日までは、ウェーク島沖で空襲を行ったB-24の支援任務に従事した[9]。5月28日、ガヴィナは52日間の行動を終えてマジュロに帰投した。

第2の哨戒 1944年6月 - 7月

6月20日、ガヴィナは2回目の哨戒でパラオ方面に向かった。7月3日13時24分ごろ、ガヴィナは北緯08度02分 東経131度36分の地点でセパ01船団を発見する[10]駆潜艇2隻と海防艦2隻を伴った輸送船多摩丸日本郵船、3,052トン)で構成されたセパ01船団に対し、ガヴィナは攻撃可能位置に入るため追跡を行い、翌7月4日3時48分に北緯07度50分 東経133度40分のパラオ西水道入口140キロ地点にいたったところで魚雷を4本発射[11][12]。このうち1本が多摩丸の左舷側に命中し、多摩丸は3時59分に沈没した[12]。ガヴィナは攻撃後に3時間潜航を続け、18発の爆雷および8発の対潜爆弾を投じられたが全て回避した。6時43分に浮上して改めて戦果を確認した。この前後、ガヴィナは7月2日から21日までヤップ島近海で救助任務に従事し、撃墜されたB-25パイロットを12名救助し、マヌス島ゼーアドラー湾でパイロットを降ろした[13]。7月31日、ガヴィナは42日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。

第3、第4の哨戒 1944年8月 - 12月

8月16日、ガヴィナは3回目の哨戒でミンダナオ島方面に向かった。8月23日にゼーアドラー湾に寄港[14]。8月31日、ガヴィナは北緯05度54分 東経124度49分サランガニ島近海で2隻の沿岸汽船を発見し、海岸際まで追いかけて最終的に破壊した[15]。担当海域に到着の後、ガヴィナはダバオ湾南方とモルッカ海の北方で救助任務に従事した[16]。救助任務を終えた後、9月15日に北緯05度34分 東経125度23分のミンダナオ島沿岸で座礁している第3号輸送艦を発見[17]。ガヴィナは、第3号輸送艦を香取型巡洋艦と判断していた[18]。最初の攻撃で魚雷を6本発射し、4本を命中させた[19]。二度目の雷撃では2本発射するも命中せず[19]。第3号輸送艦は炎上していたが沈没の気配を見せなかったため、ガヴィナは止めの魚雷を1本ずつ計4本発射してすべて命中させ、ようやく第3号輸送艦を撃沈した[20]。翌9月16日にも北緯05度12分 東経124度32分の地点で小型トロール船を発見し、魚雷を1本ずつ計2本発射したが命中しなかった[21]。9月29日、ガヴィナは44日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。

10月27日、ガヴィナは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。11月5日にダーウィンに寄港して燃料油、潤滑油と清水を補給[22]。哨区に入ったあとの11月15日夜、ガヴィナは北緯12度28分 東経120度50分ミンドロ海峡で輸送船団を探知[23]。魚雷を1本ずつ計3本発射し、2本の魚雷が命中した目標は沈没したと判定される[24]。アメリカ側記録では、ガヴィナのこの攻撃で、シマ04船団に加入していた輸送船豊丸(中川汽船、2,704トン)を撃沈したとするが[25]、日本側記録では、シマ04船団は前日11月14日に第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機による空襲を受けており、豊丸は10時44分ごろに沈没したとある[26][注釈 1]。11月22日には、北緯10度18分 東経114度15分南沙諸島長島沖で漂泊中の輸送船同和丸(日東汽船、1,916トン)を発見し、ここでも魚雷を1本ずつ計2本発射して、2本とも命中させて19時45分に撃沈した[27][28]。この近辺には、フラウンダー (USS Flounder, SS-251) の攻撃を受けて大破し漂流していた輸送船暁山丸拿捕船、5,698トン)がいた。11月23日、ガヴィナは北緯10度22分 東経114度22分の地点で漂流中の暁山丸を発見し、魚雷を1本ずつ計3本発射して1本を命中させて撃沈した[29]。この経緯から暁山丸撃沈はガヴィナとフラウンダーの共同戦果となったが[30]、日本側記録では暁山丸の沈没を11月26日とする[28]。しかし、ガヴァナは11月26日に戦闘行動を行っていない[31]。11月28日には北緯12度52分 東経109度29分インドシナ半島ヴァレラ岬沖で輸送船団を発見し、魚雷を3本発射して2つの爆発を聴取し輸送船撃沈と判定されたが、反撃を受けて退散した[25][32]。12月11日から17日まではカムラン湾沖で哨戒を行った[33]。12月18日には北緯11度20分 東経109度28分の地点で2隻の海防艦を発見して魚雷を計6本発射したが、命中しなかった[34]。12月27日、ガヴィナは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投[35]。艦長がラルフ・H・ロックウッド少佐(アナポリス1938年組)に代わった。

第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月

1945年1月23日、ガヴィナは5回目の哨戒でパンパニト (USS Pampanito, SS-383) 、ベクーナ (USS Becuna, SS-319) 、ブレニー (USS Blenny, SS-324) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。2月6日、ガヴィナはパンパニトの報告で近辺に獲物があることを知り、予想進路上で待機した[36]。翌2月7日、ガヴィナは北緯06度58分 東経106度08分の地点で南号作戦のヒ88D船団が北上してくるのを発見し、4時54分ごろに魚雷を6本発射してタンカー大暁丸大阪商船、6,892トン)に3本を命中させ大暁丸を撃沈し、その他「4,000トン級輸送船を撃破した」と判定された[37][38]。同じ日の夜には北緯06度33分 東経104度31分の地点で護衛艦に向けて魚雷を1本だけ発射したが、回避された[39]。翌日ガヴィナはパンパニトに、返礼代わりに獲物があることを知らせ[40]、パンパニトはこれによって輸送船永福丸(日本郵船、3,520トン)を撃沈することができた。ガヴィナ自身は2月20日朝に北緯11度55分 東経109度20分のインドシナ半島パダラン岬沖で、これも南号作戦参加船団であるヒ90船団を発見[41]。魚雷を4本発射し、タンカー永洋丸(日本油槽船、8,673トン)の右舷側に命中させてこれを撃沈したが、直後から7時間にわたって、哨戒機と護衛艦に98発もの爆雷や対潜爆弾を投下され、ガヴィナは深度40メートルの海底でじっとしてる他はなかった[42]。しかし、幸運にも大きな被害を受けなかった。3月5日、ガヴィナは42日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[43]

3月21日、ガヴィナは6回目の哨戒でロック (USS Rock, SS-274) およびコビア (USS Cobia, SS-245) 、ブレニーとウルフパックを構成し南シナ海に向かった。このころには哨戒海域に日本の船舶の姿はほとんどなく、3月27日に北緯11度33分 東経109度10分の地点で遠方に輸送船団を発見したのと、4月5日に北緯10度26分 東経110度42分の地点で病院船高砂丸(大阪商船、9,315トン)を発見したぐらいだった[44]。ほかに、3月28日にB-25の乗員5名を救助した[45]。しかし、この哨戒での攻撃の機会は一度もなかった[46]。5月8日、ガヴィナは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ガヴィナは西海岸に回航されてオーバーホールに入った。オーバーホール終了後、8月6日に真珠湾に向かったが、途中で終戦を迎えて引き返し、メア・アイランド海軍造船所にて現役のまま保管された。

戦後・潜水タンカー

P5M マーリン に給油を行うガヴィナ、1955年。 P6M ジェット飛行艇に給油を行う計画のため、ガヴィナは160,000ガロンの燃料を運搬できるよう改修された。

1949年3月から、ガヴィナはメア・アイランド海軍造船所で広範囲オーバーホール及び給油潜水艦への転換が行われ、シュノーケルの装着が行われた。1950年2月1日に SSO-362 (給油潜水艦)として再就役し、西海岸沿いでの作戦活動の後、バルボアとサンフアンを経由して8月25日にノーフォークに到着した。ノーフォークでの活動の後フィラデルフィアでオーバーホールを行い、1951年1月29日に新たな母港のキーウェストに到着した。以後、ガヴィナはキーウェストを拠点として主にメキシコ湾フロリダ海峡で活動を行い、カリブ海や東海岸、ノバスコシアへ巡航し水上機や他の潜水艦に給油試験を行った。1952年4月18日から7月26日までフィラデルフィアでオーバーホールを行った後、ガヴィナは AGSS-362 (実験潜水艦)に再び艦種変更される。その後2年にわたって東海岸沿いに活動し、フィラデルフィアで広範囲に及ぶオーバーホールが行われた。燃料補給を支援するためガヴィナは後部魚雷室の上に大きなプラットホームが取り付けられ、それは「フライトデッキ」とあだ名された。その後、1956年1月に飛行艇への給油実験が行われる。最初の2週間の試験期間後、ガヴィナは1956年の大半を通じて様々な水上飛行機に給油試験を行った。その後ガヴィナは9月18日にチャールストンを出航し地中海に向かう。地中海の第6艦隊第56偵察部隊で2ヶ月間の配備後、12月1日にキーウェストに帰投し、チャールストンでオーバーホールが行われた。オーバーホールの完了後1957年7月13日に AOSS-362 (潜水タンカー)に艦種変更されたガヴィナは、主としてカリブ海で様々な潜水艦及び水上機への給油試験を再開した。さらにニューロンドンからバーミューダの海域で対潜訓練及び様々な平時訓練任務に従事した。

ガヴィナは1959年1月4日にチャールストン海軍工廠入りし、3月27日に退役、そのまま保管される。その後第5海軍区の予備役訓練艦に指定され、1967年6月30日に除籍されるまで訓練任務に従事した。ガヴィナは1967年11月14日にバージニア州ヘンリー岬沖で、標的艦としてキューベラ (USS Cubera, SS-347) の雷撃により沈められた。

ガヴィナは第二次世界大戦の戦功で5個の従軍星章を受章した。

脚注

注釈

  1. このことを踏まえてか、豊丸撃沈はガヴィナと空母機の共同戦果となっている(#Roscoe p.565)。

出典

  1. #Friedman pp.285-304
  2. #Bauer
  3. #Friedman pp.305-311
  4. #SS-362, USS GUAVINA p.9,31
  5. #SS-362, USS GUAVINA pp.9-11, p.26, pp.29-30
  6. #SS-362, USS GUAVINA p.9, pp.12-13, p.26,31
  7. #SS-362, USS GUAVINA p.9, pp.14-15, p.26, pp.32-33
  8. #SS-362, USS GUAVINA p.9, pp.15-18, p.26, pp.34-35
  9. #SS-362, USS GUAVINA p.23
  10. #SS-362, USS GUAVINA p.52,64
  11. #SS-362, USS GUAVINA p.48,53, pp.772-74
  12. #駒宮 (1987) p.202
  13. #SS-362, USS GUAVINA p.59,62
  14. #SS-362, USS GUAVINA p.89
  15. #SS-362, USS GUAVINA p.91,108,120
  16. #SS-362, USS GUAVINA p.95
  17. #SS-362, USS GUAVINA p.99,108
  18. #SS-362, USS GUAVINA p.108,121
  19. #SS-362, USS GUAVINA p.100,121,123
  20. #SS-362, USS GUAVINA pp.100-101, p.121,123
  21. #SS-362, USS GUAVINA p.103, pp.124-125
  22. #SS-362, USS GUAVINA p.135
  23. #SS-362, USS GUAVINA p.137
  24. #SS-362, USS GUAVINA p.138, pp.158-159
  25. Chapter VI: 1944 (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012年12月28日閲覧。
  26. #駒宮 (1987) p.286
  27. #SS-362, USS GUAVINA pp.139-140, pp.160-161
  28. #駒宮 (1987) p.294
  29. #SS-362, USS GUAVINA pp.162-163
  30. #Roscoe p.564)
  31. #SS-362, USS GUAVINA pp.140-141
  32. #SS-362, USS GUAVINA pp.141-142, pp.164-165
  33. #SS-362, USS GUAVINA pp.144-147
  34. #SS-362, USS GUAVINA p.147, pp.166-167
  35. #SS-362, USS GUAVINA p.149
  36. #SS-362, USS GUAVINA p.185
  37. #SS-362, USS GUAVINA p.186, pp.200-202
  38. #駒宮 (1987) p.344
  39. #SS-362, USS GUAVINA pp.203-204
  40. #SS-362, USS GUAVINA pp.187-188
  41. #SS-362, USS GUAVINA pp.191-192
  42. #SS-362, USS GUAVINA pp.192-193, pp.205-206
  43. #SS-362, USS GUAVINA p.196,222
  44. #SS-362, USS GUAVINA p.224,227,232
  45. #SS-362, USS GUAVINA p.225
  46. #SS-362, USS GUAVINA p.235

参考文献

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  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6。
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会『日本郵船戦時船史』 上、日本郵船、1971年。
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1
  • 駒宮真七郎『続・船舶砲兵 救いなき戦時輸送船の悲録』出版協同社、1981年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9。
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、92-240頁。

外部リンク

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