スコット・エアー

スコット・アラン・エアーScott Alan Eyre , 1972年5月30日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡イングルウッド出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

スコット・エアー
Scott Eyre
フィラデルフィア・フィリーズ優勝パレードにて
(2008年10月31日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス郡イングルウッド
生年月日 (1972-05-30) 1972年5月30日(51歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 MLBドラフト9巡目(全体248位)でテキサス・レンジャーズから指名
初出場 1997年8月1日
最終出場 2009年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

弟のウィリー・エアーミネソタ・ツインズ等でプレーした元メジャーリーガーで、こちらは右投手である。

経歴

1991年MLBドラフト9巡目(全体248位)でテキサス・レンジャーズから指名を受け、プロ入り。メジャーデビューまでの道のりは決して平坦なものではなく、マイナーリーグで移籍した後、1997年シカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューを果たした。1997年は5.00台の防御率だったものの、11試合に先発投手として登板し、4勝(4敗)を挙げた。1998年先発で17試合、リリーフで16試合に登板。しかし、勝ち星は3勝(8敗)止まりで防御率も1997年より悪化してしまった。1999年はリリーフ専門で21試合に登板したが、防御率は7.00台に乗ってしまい、全く結果を残せない状態が続いた。

2000年は先発での1試合を含む13試合に登板。改善の兆しが少し見えたとは言え、防御率は6.00台とメジャーに定着するには苦しい成績だった。2001年からはトロント・ブルージェイズでプレイする事になったが、これまでの成績が悪かった為、登板は17試合に終わった。しかし、防御率3.45、2セーブを記録し、メジャー定着のきっかけを掴んだ。2002年はブルージェイズでリリーフ投手としてフル回転。49試合に登板した後、シーズン途中でサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。ここでも21試合に登板し、ジャイアンツ移籍後は1.00台の防御率を記録するなど、今までのエアーからは考えられないような大車輪の活躍を見せた。

2003年は、年間通じてジャイアンツでプレイし、自己ベストの74試合に登板。3.00台の防御率を記録し、左のワンポイントとしてジャイアンツに欠かせない存在となった。2004年は2003年を上回る83試合に登板。防御率こそ4.00台だったものの、対左打率.200(対左打率.240)を記録。前の投手から引き継いだランナー45人のうち、35人の生還を防いだ(生還阻止率約77.8%)。2005年からは、左右に関係なく登板する機会が増え、登板試合数は5年連続で自己ベストを更新。防御率も2.00台に下降し、リーグはおろかメジャーを代表するリリーフ投手となった。2006年からはシカゴ・カブスに移ってプレイする事になったが、新天地でも74試合に登板し、防御率3.38ときっちり結果を残した。

しかしながら、2008年は自身の故障に悩まされたことに加え、若手の台頭や同じリリーフ左腕としてニール・コッツが登板機会を増やしていたこともあり、登板機会が減少。8月5日ケリー・ウッド故障者リストから復帰してくるため、同日付けで40人枠から外れることが決まり、実質的な戦力外通告を受けた。2日後の8月7日ブライアン・シュリッターとのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[1]。移籍後は防御率1.88と好投、フィリーズのワールドシリーズ制覇に貢献した。

2010年1月7日、現役引退を表明した[2]

投球スタイル

フォーシームスライダーを中心としたピッチングで三振をどんどん奪うピッチングを見せる。右打者にはチェンジアップが有効に機能している。また、ジャイアンツで防御率が大幅に改善された最大の理由は、フライでアウトを稼ぐピッチングが持ち味だからである(ジャイアンツの本拠地であるオラクル・パーク:当時はSBCパーク:は球場面積が広く、海からの風で本塁打が出にくい。その証拠に、カブスでプレイした2006年には被本塁打が11本と、突然2ケタに増えている。カブスの本拠地リグレー・フィールドは風向きの関係で打者に有利)。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1997 CWS 1111000440--.50026760.262113111362036345.041.53
1998 3317000380--.273491107.0114246402737078645.381.66
1999 2100001101.50012925.03861521171022217.562.12
2000 1310001100.5009319.02931201160015146.632.16
2001 TOR 1700001223.3336615.21517211620663.451.40
2002 49300024012.33328363.16942970514037354.971.55
SF 2100000006----5011.1110710710421.591.59
'02計 70300024018.33333374.28043680585041374.461.55
2003 74000021120.66725657.06042601356023213.321.51
2004 83000022123.50022952.24382730493026244.101.33
2005 86000022032.50027768.14832604653021202.631.08
2006 CHC 74000013018.25026661.161113040736025233.381.48
2007 5500002105.66724052.15933551453026244.131.80
2008 19000020041.0005311.11514111410997.151.68
PHI 19000030041.0005314.1813111800331.880.77
'08計 38000050081.00010625.2232722321012124.211.17
2009 42000021013.66712830.022316012220651.501.27
通算:13年 6173200028304141.4832881649.16548333227155374103373054.231.52
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 36 (1997年 - 2000年)
  • 29 (2001年 - 2002年途中)
  • 49 (2002年途中 - 2004年)
  • 47 (2005年 - 2009年)

脚注

関連項目

外部リンク

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