FIFAワールドカップトロフィー
FIFAワールドカップトロフィー(フィファ ワールドカップトロフィー)は、FIFAワールドカップの優勝国・地域に贈られるトロフィーである。
FIFA World Cup Trophy | |
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受賞対象 | FIFAワールドカップ優勝チーム |
主催 | 国際サッカー連盟 |
初回 | 1930(ジュール・リメ杯) 1974(FIFAワールドカップトロフィー) |
最新受賞者 | アルゼンチン |
トロフィーの歴史
FIFAワールドカップトロフィーは、種類としては2種類、物としては三代ある。
1st デザイン (ジュール・リメ杯)
最初のトロフィーはFIFAワールドカップを企画した当時のFIFA会長ジュール・リメが寄贈したため、その名を冠しジュール・リメ・トロフィーと呼ばれる。
製作は、フランスの彫刻家であるアベル・ラフレールが行った[1]。純銀製に金メッキ[2]で、高さ35センチメートル、重さは3800グラムあり、勝利の女神ニケが十角形のカップを支える形をしている。1970年にブラジルが3回目の優勝を果たし、その偉業を称えてブラジルに永久に渡されることになった。しかし現在ブラジルで保管されているトロフィーはレプリカである(後述)。
2015年1月、破損したために取り替えられたオリジナルの台座(第1回から第4回までの大会優勝国の銘が貼られている。盗まれて行方不明になっているのは第5回大会から使用され始めた2代目)がFIFA地下倉庫で偶然に発見された。この部品は2016年にチューリヒに作られた「FIFAワールド・フットボール・ミュージアム」で公開されている[3]。
盗難
第二次世界大戦中、カップは1938年の第3回大会で優勝したイタリアのローマに保管されていた。1943年にイタリアが降伏すると、ローマを占領したナチスが金採取の目的で捜索した。しかし、盗難の危機を察知したイタリアチーム関係者が自宅のベッドの下に靴の箱に入れて命懸けで隠し、難を免れた[4]。
最初の盗難は1966年、イングランド大会の前に行っていた展示期間中のことだった。盗難の直後にイングランドサッカー協会に金銭を要求する脅迫状が届き、警察のおとり捜査によって港湾労働者の男が逮捕された。しかしこの男は別の男に500ポンドで雇われて受け渡しを頼まれただけだと主張し、カップは見つからなかった。しかし数日後、ロンドン郊外のある一般住宅のピクルスという子犬が、自宅の庭で新聞紙に包まれたトロフィーを発見し、事なきを得た。この子犬は一躍ヒーローとなり、1年分のペットフードが贈られたり、映画に出演したりするなどしたという[4]。
2度目の盗難は、ブラジルに永久譲渡された後の1983年に起きた。当時のブラジルは政治・経済の混乱期で犯罪が多発していたうえに、ブラジルサッカー連盟のドアには鍵がかけられておらず、警備員も一人しかいなかった。しばらくして容疑者が逮捕された(元ブラジルサッカー連盟職員のセルジオ・ペレイラという銀行員と、この銀行員に窃盗を依頼したとされる無職一般人の男2名)。
しかし、必死の捜査にもかかわらずトロフィーそのものは現在も見つかっていない。公式には現在も捜査中というが、イタリア人の富豪がカップほしさに購入したという説や、アルゼンチン人の妬みによる犯行という説まである[4]。そのため、現在ブラジルに保管されているのはレプリカとなっている 。
2nd デザイン
ブラジルへ永久譲渡された後、新しいトロフィーのデザインが一般公募され、この最優秀デザインを元にイタリアの彫刻家であるシルビオ・ガザニガが再デザインし、ミラノの工房にあるGDEベルトーニ社によって作られた[6]。GDEベルトーニ社はUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグ、UEFAスーパーカップなどの優勝カップも手掛けている[7]。
ピッチをイメージしたマラカイト装飾入りの18金でできており、高さ36cm(14インチ)、重さ4970g(11ポンド)と、初代のトロフィーより大きく重い。「シュートを決め、『やったぞ!』と両手拳を突き上げ、走って自陣に戻って来る選手」2人が背中合わせで地球を支えているデザイン。このトロフィーは1974年の西ドイツ大会から使用されるようになったが、2002年の日本・韓国大会までにおいては、次回大会までの4年間を優勝国・地域が保管し、次回大会の開会式の時に返却した後にレプリカが授与された。
FIFAワールドカップトロフィーツアー
第1回・2006年(ドイツ大会)
ドイツ大会に先駆け、トロフィーは2006年1月から4月にかけて世界28箇国の31箇所を順に巡る形式で「コカ・コーラFIFAワールドカップ™トロフィーツアー」と題し、撮影許可の一般公開が行われた。
第2回・2010年(南アフリカ大会)
2009年9月にエジプト・カイロをスタートし、2010年5月4日に2010 FIFAワールドカップが開催される南アフリカに到着するまで、世界86か国・13万4017kmを巡る。トロフィーを直接触れることができるのは、その大会の優勝国のチーム以外では、トロフィーツアーを訪れる国家元首(大統領、首相、国王など。日本の場合なら内閣総理大臣、天皇・皇后)のみ。一般公開もされるが、前述の人物以外は直接手を触れることができず、特殊なガラスケースに入れられて展示された[8]。
事件
塩振りおじさんによる接触事件
塩を振るモーションで有名なトルコのシェフのヌスレット・ギョクチェ(愛称: 塩振りおじさん)が、2022 FIFAワールドカップの決勝の試合後行われた閉会式の後に、無許可でピッチに侵入し、優勝国のアルゼンチンの選手と自撮りしたり、更にはFIFAワールドカップトロフィーに触れたりした。このトロフィーに触れる行為は国際サッカー連盟 (FIFA) の規則で「FIFAワールドカップトロフィーに触れられることができる人物は、FIFAワールドカップ優勝国の選手と国家元首のみ」と定められているため禁止行為にあたる。この塩振りおじさんは国際サッカー連盟により処分されることとなった[13]。
授与国
FIFAワールドカップトロフィー
脚注
出典
- “ワールド・カップ物語”. 牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 公式サイト (1966年3月). 2013年5月8日閲覧。
- 「【W杯のツボ】初代はいずこへ? 奇々怪々のカップ」 MSN産経ニュース 2010年6月11日
- 盗まれた初代W杯トロフィー…FIFA本部地下でオリジナルの台座が発見 サッカーキング2015年1月14日
- イタリア・アルゼンチン共同制作「初代トロフィーの数奇な運命〜ワールドカップ物語〜」(NHK BS1 2011年6月9日・2013年6月29日放送)
- “本大会の組合せ決まる!前景気盛りあがるワールドカップ!!”. 牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 (1974年3月). 2013年8月31日閲覧。
- “W杯トロフィー「門外不出の製造過程」を特別に撮った…4代目女性社長いわく「情熱が工房の隅々にまで息づいています」”. 2022年12月20日閲覧。
- 以上の出典 FIFAフットボール・ムンディアル(GAORA・毎日放送 2010年1月放送)
- コカ・コーラとFIFAが世界最大のFIFAワールドカップ・トロフィーツアーをリオデジャネイロからスタート(ブルームバーグ 2013年9月17日 2014年2月6日閲覧)
- FIFA ワールドカップのトロフィー世界ツアーがドバイからスタート(FIFA.com)
- FIFAワールドカップオリジナルトロフィーが間近で見れるチャンス!
- 「コカインで作った!W杯トロフィー、空港で押収」 読売新聞 2010年7月5日付け
- “独特な“塩振り”フォームで有名なシェフ、禁止されているW杯トロフィーへの接触などでFIFAが処分へ…会長の数少ないフォローからも外される”. ライブドアニュース. 2022年12月23日閲覧。