1979年東京都知事選挙
1979年東京都知事選挙(1979ねんとうきょうとちじせんきょ)は、1979年4月8日に執行された東京都知事選挙。第9回統一地方選挙の一環として実施された。
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概説
3期務めた社共公民4党支持の美濃部亮吉が高齢を理由に勇退。日本社会党委員長で前横浜市長の飛鳥田一雄は、元総評議長の太田薫の行政手腕を危惧し、連立維持のために元一橋大学学長の都留重人の擁立に動いた。だが、最終的には1967年以来たびたび名の挙がっていた太田が、労組の力に押し切られる形で美濃部の後継者として立候補した[1]。
自由民主党総裁の大平正芳の周辺にはウシオ電機社長の牛尾治朗を推す動きがあったが、公明党が太田と同じ1967年に一度は候補になりかけた鈴木俊一を推したことから、結局自民党も鈴木推薦で足並みを揃え[2]、ここに太田と鈴木の因縁の対決が実現した。
その2人に割り込んできたのが、無所属(元民社党)で衆議院議員の麻生良方で、議員を辞職して単騎出馬し、下野中のテレビタレント活動による抜群の知名度を利して選挙戦を展開した。
この他、常連候補では赤尾敏が7度目、深作清次郎と南俊夫が3度目の出馬。1980年~90年代にかけて多くの政治活動を展開していく同性愛者の東郷健が初めての都知事選挑戦となった。
立候補者
13名、届け出順
立候補者名 | 年齢 | 新旧 | 党派 | 肩書き |
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吉田浩 (よしだ ひろし) | 63 | 新 | 無所属 | |
かねまつこうさく (かねまつ こうさく) | 55 | 新 | 無所属 (緑風会、国民政治連合 推薦) | |
太田薫 (おおた かおる) | 67 | 新 | 無所属 (社会党、共産党、革新自由連合 推薦) | 元総評議長 |
安井けん (やすい けん) | 31 | 新 | アイデア黄中党 | |
秋山祐徳太子 (あきやま ゆうとくたいし) | 44 | 新 | 無所属 | 現代美術家 |
鈴木俊一 (すずき しゅんいち) | 68 | 新 | 無所属 (自民党、民社党、公明党、新自由クラブ 推薦) | 元自治省次官 |
東郷健 (とうごう けん) | 46 | 新 | 無所属 | 出版社役員 |
麻生良方 (あそう よしかた) | 55 | 新 | 無所属 | 元衆議院議員 |
赤尾敏 (あかお びん) | 80 | 新 | 大日本愛国党 | 大日本愛国党総裁、元代議士 |
南俊夫 (みなみ としお) | 67 | 新 | 世界連邦推進委員会 | 政治団体役員 |
野々上武敏 (ののがみ たけとし) | 68 | 新 | 無所属 (都政を正す会 推薦) | |
垂井正太郎 (たるい しょうたろう) | 66 | 新 | 国粋青年隊 | |
深作清次郎 (ふかさく せいじろう) | 67 | 新 | 無所属 (日本青年社、同結社 推薦) | 著述業 |
投票結果
投票率は55.16%で、前回1975年の67.29%を大きく下回った(前回比 -12.13%)[3] 。
候補者別の得票数の順位、得票数[4]、得票率、惜敗率、供託金没収概況は以下のようになった。供託金欄のうち「没収」とある候補者は、有効投票総数の10%を下回ったため全額没収された。得票率と惜敗率は未発表のため暫定計算とした(小数3位以下四捨五入)。
順位 | 候補者名 | 党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 供託金 | |
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当選 | 1 | ■鈴木俊一 | 無所属 | 新 | 1,900,210 | 43.28% | ---- | |
2 | ■太田薫 | 無所属 | 新 | 1,541,594 | 35.11% | 81.13% | ||
3 | ■麻生良方 | 無所属 | 新 | 911,825 | 20.77% | 47.99% | ||
4 | ■赤尾敏 | 大日本愛国党 | 新 | 11,045 | 0.25% | 0.58% | 没収 | |
5 | ■安井けん | アイデア黄中党 | 新 | 6,473 | 0.15% | 0.34% | 没収 | |
6 | ■吉田浩 | 無所属 | 新 | 6,039 | 0.14% | 0.32% | 没収 | |
7 | ■秋山祐徳太子 | 無所属 | 新 | 4,144 | 0.09% | 0.22% | 没収 | |
8 | ■東郷健 | 無所属 | 新 | 2,913 | 0.07% | 0.15% | 没収 | |
9 | ■南俊夫 | 世界連邦推進委員会 | 新 | 1,798 | 0.04% | 0.09% | 没収 | |
10 | ■かねまつこうさく | 無所属 | 新 | 1,601 | 0.04% | 0.08% | 没収 | |
11 | ■深作清次郎 | 無所属 | 新 | 1,320 | 0.03% | 0.07% | 没収 | |
12 | ■野々上武敏 | 無所属 | 新 | 750 | 0.02% | 0.04% | 没収 | |
13 | ■垂井正太郎 | 国粋青年隊 | 新 | 742 | 0.02% | 0.04% | 没収 |
「ばら撒き福祉」と揶揄された美濃部都政の放漫財政への批判と、有権者の「飽き」が革新離れを呼び、スト権ストに対するサラリーマンの恨みも重なって太田の人気が盛り上がらなかった。その一方、ロッキード事件等による自民党の金権腐敗体質への批判も強く、「しらけムード」の低投票率の中で政党の基礎票を固めた自民党・民社党・公明党などが推薦する鈴木が初当選を果たし、1967年から続いていた革新系知事から保守系知事に交替した。無党派を訴えた麻生は2人の得票数には遠く及ばず3位止まりとなったが、第3の候補としては90万票を超え異例の健闘とされた[5]。
脚注
- 船橋成幸 (2013年11月). “■証言:戦後社会党・総評史 飛鳥田一雄さんとともに歩んだ社会党――船橋成幸氏に聞く(上)” (PDF). 大原社会問題研究所雑誌 №661. 大原社会問題研究所. 2020年5月31日閲覧。
- 伊藤昌哉 『自民党戦国史』中巻 第二部 4 朝日文庫 pp.187-188(1985年)
- 東京都選挙管理委員会 | 選挙結果&データ | 各種選挙における投票率 - ウェイバックマシン(2003年8月11日アーカイブ分)
- 東京都知事選 - 過去の選挙 朝日新聞デジタル
- 2011年東京都知事選挙で、渡邉美樹が3位に終わった候補として初めて100万票を超えた。