1912年ドイツ帝国議会選挙
1912年ドイツ帝国議会選挙は1912年1月12日にドイツ帝国にて行われた選挙である。[2] この選挙では1890年の選挙以来常に議会にて最多得票数を持ち1907年の選挙では100万票を獲得したドイツ社会民主党が初めて第一党の座を手にした選挙である。[3][4]
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選挙区毎の結果 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概略
1912年のこの選挙は第一次世界大戦前並びに帝政時代最後の選挙であり、上層階級(ユンカー等の保守層)の寡占政治に反発するドイツ社会民主党、中央党 、進歩人民党等の政党が過半数を得た。この選挙結果は最終的にはベートマン・ホルヴェーク政権に対する不信任を明らかにするものとなり、1913年のツァーベルン事件による帝政史上初の不信任投票権の行使や、第一次世界大戦中の帝国議会平和決議案の採択へと繋がった。この3党の勝利は、政府へと不信感を突きつける形になったが、3党内、特に社会民主党とその他2政党間の政権に対する主張のすれ違いは大きく、政府の行動に十分な制約をかけられる程の協力関係は結べなかった。 フリッツ・フィッシャーを始めとする一部の歴史家は、第一次世界大戦にはこの選挙結果に対する保守的なプロイセンユンカー達の行動が原因の一翼を担ったのではないかと主張している。[5]つまり、彼らユンカー達は、保守的な政党や政策に対する支持の拡大や躍進を遂げた社会民主党に対する世間の目をそらすため、愛国心に訴える行動を起こすよう仕向けようとしたのだ。だが、それは結局ロシア帝国やセルビア王国等の東欧スラブ諸国との対立を招くこととなった。
選挙制度
ドイツ帝国は小選挙区制を採用している。投票は二回投票制(すなわち最初の投票において全得票の過半数を占める候補者が現れなかった場合、上位2名による決選投票を行い代議士を選出する制度)によって行われる。ドイツ帝国は選挙区の割り振りにおいて法的規制が緩いため、かなり不均一な区割りになっている。特にユンカー等の地主層への便宜で、田園地帯に選挙区が集中しており、人口の少ない地域の代表が議会に占める割合が非常に高くなっている。
選挙資格
1869年より選挙権は下記の条件を満たす者に付与される。
・満25歳以上の男子
・選挙区のある地域に居住している者
・従軍中の軍人ではない者
・有罪判決を受けていない者
・貧困による公的支援を受けていない者
・投票の能力を有さない者
選挙結果
党派 | 選挙区 | 合計 | ||||||||||
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得票数 | % | 増減% | 議席数 | 増減 | ||||||||
社会民主党 | 4,250,399 | 34.82 | 5.88 | 110 | 67 | |||||||
中央党 | 1,988,504 | 16.29 | 2.50 | 90 | 11 | |||||||
国民自由党 | 1,651,115 | 13.53 | 5.59 | 45 | 11 | |||||||
進歩人民党 | 1,448,097 | 11.86 | 1.24 | 41 | 9 | |||||||
ドイツ保守党 | 1,006,570 | 8.25 | 1.16 | 41 | 18 | |||||||
ドイツ帝国党 | 396,948 | 3.25 | 0.94 | 14 | 10 | |||||||
独立ポーランド人 | 246,275 | 2.02 | 0.11 | 10 | 0 | |||||||
ドイツ農民連盟 | 165,034 | 1.35 | 0.18 | 5 | 2 | |||||||
エルザス・ロートリンゲン党 | 148,202 | 1.21 | 0.11 | 9 | 2 | |||||||
キリスト教社会党 | 104,219 | 0.85 | 0.33 | 4 | 0 | |||||||
ポーランドカトリック党 | 93,629 | 0.77 | 0.33 | 3 | 1 | |||||||
ドイツ=ハノーファー党 | 90,168 | 0.74 | 0.08 | 5 | 3 | |||||||
ポーランド農民党 | 81,140 | 0.66 | 0.13 | 3 | 1 | |||||||
独立保守派 | 74,323 | 0.61 | 0.18 | 4 | 4 | |||||||
ドイツ社会党 | 73,169 | 0.60 | 0.18 | 3 | 5 | |||||||
ELD | 60,886 | 0.50 | 新政党 | 4 | 4 | |||||||
ドイツ改革党 | 60,758 | 0.50 | 0.52 | 3 | 3 | |||||||
独立自由派 | 53,939 | 0.44 | 0.32 | 0 | 3 | |||||||
バイエルン農民連盟 | 48,219 | 0.02 | 0.22 | 2 | 2 | |||||||
農民連盟 | 41,352 | 0.34 | 新政党 | 2 | 2 | |||||||
ドイツ民主連合 | 29,444 | 0.24 | 新政党 | 0 | 0 | |||||||
中流階級同盟 | 27,095 | 0.22 | 0.44 | 0 | 2 | |||||||
ポーランド宮廷党 | 20,700 | 0.17 | 0.18 | 1 | 1 | |||||||
デンマーク党(ドイツ) | 17,289 | 0.14 | 0.00 | 1 | 0 | |||||||
ロレーヌ土地党 | 7,039 | 0.06 | 0.14 | 1 | 0 | |||||||
リトアニア党 | 6,227 | 0.05 | 0.01 | 0 | 0 | |||||||
独立反ユダヤ主義者 | 1,604 | 0.01 | 0.13 | 0 | 0 | |||||||
少数保守派 | 1,081 | 0.01 | 0.03 | 0 | 0 | |||||||
少数農民派 | 4,027 | 0.01 | 0.24 | 0 | 1 | |||||||
その他 | 9042 | 0.08 | 0.01 | 0 | 0 | |||||||
無効票 | 53,099 | 0.43 | ||||||||||
合計 | 12,260,731 | 100 | 397 | 0 | ||||||||
有権者数・投票率 | 14,442,387 | 84.89 | ||||||||||
資料源:Wahlen in Deutschland |
党派 | 選挙区 | 合計 | ||||||||||
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得票数 | % | 増減% | 議席数 | 増減 | ||||||||
社会民主党 | 110,695 | 31.75 | 8.00 | 5 | 3 | |||||||
エルザス・ロートリンゲン中央党 | 96,646 | 27.72 | 0.75 | 7 | 0 | |||||||
ELD | 60,886 | 17.46 | 新政党 | 1 | 1 | |||||||
独立ロートリンゲン党 | 36,336 | 10.42 | 3.70 | 2 | 1 | |||||||
エルザス・ロートリンゲンの抵抗者 | 15,220 | 4.37 | 2.08 | 0 | 1 | |||||||
中央党 | 13,715 | 3.93 | 8.69 | 0 | 1 | |||||||
ドイツ帝国党 | 7,373 | 2.11 | 0.65 | 0 | 1 | |||||||
ロートリンゲン土地党 | 7,039 | 2.02 | 4.47 | 0 | 0 | |||||||
その他 | 744 | 0.21 | 0 | 0 | ||||||||
無効票 | 5807 | 1.64 | ||||||||||
合計 | 348,654 | 100 | 15 | 0 | ||||||||
有権者数・投票率 | 417,701 | 84.86 | ||||||||||
資料源:Wahlen in Deutschland |
脚注
- 合併前の政党たる
自由思想家人民党 (6.55%, 29議席)
自由思想家連合 (3.01%, 14議席)
ドイツ人民党 (1.10%, 7議席)の合計 - Dieter Nohlen & Philip Stöver (2010) Elections in Europe: A data handbook, p762 ISBN 978-3-8329-5609-7
- Nohlen & Stöver, pp. 774–789
- Nohlen & Stöver, p789
- Fischer, Fritz (1961). Germany's Aims in the First World War. W. W. Norton & Company. ISBN 0-393-09798-6