高林隆
高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 2009年12月27日)は、埼玉県さいたま市出身[1]のサッカー選手。ポジションはMF。
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名前 | ||||||
カタカナ | タカバヤシ タカシ | |||||
ラテン文字 | TAKABAYASHI Takashi | |||||
基本情報 | ||||||
生年月日 |
1931年8月2日 大日本帝国, 埼玉県さいたま市[1] | |||||
没年月日 |
2009年12月27日(78歳没) 日本, さいたま市見沼区[1] | |||||
身長 | 164cm | |||||
体重 | 61kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1947-1949 | 埼玉県立春日部高校 | |||||
1950-1954 | 立教大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1954-? | 田辺製薬 | |||||
代表歴2 | ||||||
1953-1958 | 日本 | 9 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2009年12月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
埼玉県立春日部高校時代に頭角を現し3年次に高校選手権埼玉県予選優勝。1950年に立教大学へ進学し3年次の1953年に大学選手権優勝に貢献すると、4年次に日本代表に選出された。また関東大学選抜にも1年次から選出されている。
1953年に、日本学生選抜に選出され西ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場。この選抜員には長沼健、岡野俊一郎らといった日本サッカーの中枢となる人物が多数参加していた。
卒業後の1954年に田辺製薬に加入、3度の全日本実業団選手権優勝(1954年、1955年、1957年)に貢献した。
日本代表としては1953年11月29日のユールゴーデンIF(スウェーデン)戦で代表デビュー。1954年の1954 FIFAワールドカップ・予選、第2回アジア競技大会、1956年のメルボルン五輪、1958年の第3回アジア競技大会に参加するなど、国際Aマッチ6試合出場2得点を記録した。
所属クラブ
代表歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1954年3月14日 韓国戦(明治神宮競技場)
- 日本代表初出場:1953年11月29日 DIFユールゴルデン(スウェーデン)戦(明治神宮競技場)
- 日本代表初得点:1954年5月1日 インドネシア戦(マニラ)
出場大会
- 1954 FIFAワールドカップ・予選
- アジア競技大会(1954,1958)
- 1956年メルボルンオリンピックのサッカー競技
脚注
- “高林隆氏死去 56年五輪サッカー日本代表”. 47NEWS. (2009年12月28日) 2014年9月26日閲覧。
参考文献
- 『輝く埼玉サッカー75年の歩み』(埼玉県サッカー協会、1983年)
- 日本代表歴代記録 - 日本サッカー協会
外部リンク
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