閔公 (魯)
閔公(びんこう、生年不詳 - 紀元前660年)は、春秋時代の魯の君主。『春秋左氏伝』では「閔公」であるが、『史記』では「湣公」と表記される。名は啓。
閔公 姫啓 | |
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魯 | |
公 | |
王朝 | 魯 |
在位期間 | 前661年 - 前660年 |
都城 | 曲阜 |
姓・諱 | 姫啓 |
諡号 | 閔公 |
没年 | 紀元前660年 |
父 | 荘公 |
母 | 叔姜 |
生涯
閔公は荘公の子だが、次期魯公は季友が推す庶子の公子斑が有力視されていたため、公位の対象外にあった。しかし、紀元前662年に荘公が没した直後に魯公となった斑を慶父が暗殺し、慶父の推挙を受けて翌紀元前661年魯公の座に就く。
その後、斉に亡命していた季友を呼び戻すために、斉の桓公に季友の帰国を働きかけ、首尾よく実現させる。その際に閔公自らが帰国途中の季友を迎えに行ったことから、閔公は季友を慶父以上に信頼していたことがうかがえる。
だが、紀元前660年に魯公の座を狙っていた慶父によって、暗殺されてしまう。在位はわずか2年で、正に慶父に振り回された人生であった。
参考文献
- 陸峻嶺、林幹合編、『中国歴代各族紀年表』、1982年、台北、木鐸出版社
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