金城漢

金 城漢(キム・ソンハン、김성한1958年5月18日 - )は、韓国の元プロ野球選手内野手投手)。

金 城漢(キム・ソンハン)
Kim Sung Han
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 全羅北道群山市
生年月日 (1958-05-18) 1958年5月18日(65歳)
身長
体重
178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手投手
プロ入り 1982年
初出場 1982年3月28日
最終出場 1995年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ニックネームアヒルバットを後ろに構え、お尻を突き出した彼の打撃フォームがアヒルのようだと形容された事による。

経歴

全羅北道群山市出身。群山商業高校、東国大学校を経て1982年KBO創設と共に、ヘテ・タイガースに入団。

ヘテ・タイガース一筋で14シーズンを在籍した。MVP:2回(1985,1988)、本塁打王3回(1985,1988,1989)、打点王2回(1982,1988)、ゴールデングラブ賞:6回(一塁手・1985,1986,1987,1988,1989,1991)など輝かしい成績を残し、走攻守三拍子揃った選手としてヘテ屈指の人気選手となった。

特筆すべきは1982年シーズンである。この年はKBO創設の年という事もあり、各チームとも戦力不足という苦しい台所事情があった。ヘテも僅か14人のミニ選手団で出発したため、金は3番打者としてチームを牽引。捕手以外の全てのポジションを経験し、打率.305、本塁打13本の成績を残した。一方で投手としても26試合に登板し、10勝5敗、防御率2.88の成績を挙げ、10勝10本塁打[1]3割打者10盗塁に打点王[2]と空前絶後の記録を残した。

翌1983年には、チームの前期優勝と韓国シリーズ制覇に貢献。1986年まで投手と野手の二刀流として過ごし、投手としては通算15勝10敗,防御率3.02の成績を残した。1987年より打撃に専念すると、チームの主砲として活躍。1986年~89年の4連覇を含め、チームの7回の優勝に大きく貢献した。1988年にはKBO初の30本塁打をマークして2度目の本塁打王に輝いた。足も速く、1989年には20本塁打20盗塁も達成している。

オールスターゲームには12回出場。1992年にはミスターオールスター(オールスターMVP)に選ばれた。

国際試合では1991年に開催された、第1回日韓プロ野球スーパーゲームにもKBO選抜で選ばれ、3本の本塁打を放った。第1戦で伊良部秀輝ロッテ・オリオンズ)からホームランを打ち、東京ドームでホームランを記録した最初の韓国出身選手にもなっている。その時のバットは、野球殿堂博物館東京ドーム内)に展示されている。

1995年限りで、現役引退。引退時には安打(1389)、塁打(2285)、得点(762)、二塁打(247)の部門でKBO記録を保持していた。これらの記録はいずれも、張鍾勲ピングレ(のちハンファ))によって破られた。

引退後

引退の翌年である1996年にヘテのヘッドコーチに就任。同年には宣銅烈と共に来日し、コーチ修行のため中日ドラゴンズに在籍。当時の監督だった星野仙一の指導を受けた。2001年よりヘテ(2001年8月より起亜)の第4代監督に就任。しかし、チームを優勝に導く事は出来ず(2002年と2003年シーズンの2位が最高。両年ともプレーオフで敗退している)、2002年終盤には2軍捕手に暴行を加える事件を起こす[3]など散々だった。2004年、シーズン途中の7月26日に成績不振を理由に起亜の監督を解任された。

その後は、母校の群山商業高校の監督(2004年8月~2005年)、韓国のスポーツ専門ケーブルチャンネルのMBC ESPNの解説者を歴任。大宇自動車ティコCMにも出演した。2009年には、WBC韓国代表のヘッドコーチを務め、準優勝に貢献した。

2013年より2014年までハンファ・イーグルスのヘッドコーチを務めた。

詳細情報

年度別打撃成績









































O
P
S
1982ヘテ 8031848971741369105985575.305.506.335.841
198396339591112007401373843871.327.448.404.852
19849836548941621241753945962.258.411.337.748
19851054006613329122758542337610.333.575.397.972
198610440464113160185710103264587.280.453.342.795
19878130643962201546313032953.314.533.387.920
1988104404721311203089165311152411.324.577.386.963
19891184149311618026843288496276.280.512.420.932
199089331619317211491443965349.281.444.361.805
199111241169121255238316951157075.294.547.390.837
1992117410621071801559623775994.261.415.333.748
199310736245992306524227659128.273.387.331.718
199445157173710011443933102.236.318.288.606
199582229154140823011534798.179.301.242.543
通算:14年 1338485076213892471420778114367483886969181.286.471.362.833
  • 太字はリーグ最高

年度別投手成績









































W
H
I
P
1982

26311051106.1886456494434.6672.884.141.25
198341111017.113151864.5002.084.151.04
1985101043140.1351181121815.5293.352.671.31
19861000103.02030033.0009.000.001.67
通 算4152151021671388718697156.6003.023.711.25

獲得タイトル・受賞経歴

背番号

  • 11 (1982年 - 1995年)
  • 79 (1996年 - 2000年)
  • 70 (2001年 - 2004年)
  • 80 (2009年)
  • 71 (2012年 - 2014年)

脚注

  1. KBO唯一の記録であり、KBOより長い歴史を誇るMLBでは1918年ベーブ・ルースボストン・レッドソックス。13勝11本塁打)と2022年大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルス。15勝34本塁打)、NPBでは大谷翔平(北海道日本ハムファイターズ2014年に11勝10本塁打、2016年に10勝22本塁打)しか達成していない記録である。
  2. 打点王はルース・大谷ともに達成できていないが、打率3割は2016年の大谷が、10盗塁は2022年の大谷が達成。
  3. 起亜・金城漢監督、選手暴行の波紋広がる東亜日報2002年9月26日記事。

外部リンク

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