趙秉世
経歴
哲宗治世下で科挙の文科に合格し、1889年に右議政を、1893年に左議政を歴任した。1894年の甲午改革で政治形態が変更されると辞職し、しばらく加平郡で隠遁生活を送った。
1905年に大日本帝国・大韓帝国間で第二次日韓協約が締結されると、協約を締結した朝鮮側の政治家5人(後の乙巳五賊)の処刑を皇帝に申し出たが、日本の介入により失敗した。
その後、趙は閔泳煥らとともに宮廷に留まり協約の破棄を主張し続けたが、日本軍により解散させられ、これを不服として自害した。
脚注
- “조병세(趙秉世)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月20日閲覧。
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