賀茂季鷹
賀茂 季鷹(かも の すえたか、1754年2月27日(宝暦4年2月6日)- 1841年11月21日(天保12年10月9日))は、江戸時代中期から後期の国学者、歌人、神職である。姓は山本、号は生山および雲錦[1]。
経歴・人物
京都の賀茂別雷神社の社官であった賀茂季種の子として生まれる。12歳の時に叔父であった賀茂季栄の養子となり、有栖川宮職仁親王から和歌を学ぶ[1]。19歳の秋に致仕して江戸に入り[1]、加藤千蔭や村田春海、三島自寛らから和歌や古学を学んだほか、歌学以外にも太田南畝ら狂歌師とも親交を持ち、自身も狂歌を詠んだ[1]。38歳の春、京都賀茂に戻って賀茂別雷神社の神職を務め、正四位下安房守に任じられる[1]。雲錦亭や歌仙堂を造築して歌会を催し[1]、和漢書1000巻を集めた文庫を建造する[1]。
小沢蘆庵の亡き後の京都における代表的な歌人であり、香川景樹とともに、化政・天保期の京都を代表する歌人である[1]。歌風は堂上風であった[1]。交友関係も広く、当時を代表する文人であった[1]。
主な弟子
- 安田躬弦
- 斎藤彦麿
- 松田直兄
出典
- 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、15頁。
参考文献
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