谷中 (足立区)
谷中(やなか)は、東京都足立区東部の町名。現行行政地名は谷中一丁目から五丁目。郵便番号は120-0006[2]。
谷中 | |
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谷中 | |
谷中 谷中の位置 | |
北緯35度46分38.65秒 東経139度49分55.73秒 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 足立区 |
人口 | |
• 合計 | 10,554人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
120-0006[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
住居表示実施済み区域であり、住居表示実施直前の旧町名は東谷中町、上谷中町、下谷中町、北三谷町、普賢寺町、北加平町、東加平町、大谷田町、辰沼町、神明町、花畑町、佐野町。
地域
東京都足立区の東部、東西に走る東京都道318号環状七号線(環七通り)をまたいで南北に広がる町が谷中である。南北1,800m、東西500mとその細長い町域が特徴であり、また町域内での土地利用法も住宅地や鉄道基地など多様である。
環七通りの南側にある谷中一・二丁目は東京メトロ千代田線北綾瀬駅や綾瀬駅に近く、北綾瀬駅改良工事の千代田線直通運転に伴い各所に高層マンションが建設されており、商業施設も多い。北綾瀬駅には隣接するしょうぶ沼公園は地域住民の憩いの空間となっている。
環七通り北側の谷中三・四丁目には広大な東京メトロ千代田線の綾瀬車両基地とその関連施設が南北に広がる。この鉄道基地の敷地だけで谷中地区全体の二割を占める。農業経営者も多く、農地が点在している。
地名由来
江戸時代初めに使用されていた谷中新田という旧名称による[4]。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
谷中一丁目 | 1,677世帯 | 3,191人 |
谷中二丁目 | 981世帯 | 1,799人 |
谷中三丁目 | 1,072世帯 | 2,087人 |
谷中四丁目 | 926世帯 | 1,706人 |
谷中五丁目 | 928世帯 | 1,771人 |
計 | 5,584世帯 | 10,554人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる。[6][7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
谷中一丁目 | 全域 | 足立区立東渕江小学校 | 足立区立蒲原中学校 |
谷中二丁目 | 6番以降 | ||
その他 | 足立区立東加平小学校 | 足立区立東綾瀬中学校 | |
谷中三丁目 | 全域 | 足立区立中川小学校 | 足立区立谷中中学校 |
谷中四丁目 | 9〜19番 | ||
その他 | 足立区立辰沼小学校 | ||
谷中五丁目 | 全域 |
施設
- 綾瀬警察署
- 北綾瀬変電所
- 足立区立辰沼小学校
- 足立区立谷中中学校
- 東京地下鉄綾瀬車両基地
- 綾瀬検車区
- 綾瀬工場
- 谷中公園
- しょうぶ沼公園
- 綾瀬循環器病院
史跡
- 稲荷神社
- 法立寺
- 稲荷神社
歴史
上記に記載されている旧町名11か町を見れば分かるとおり、谷中は極めて多数の町域を寄せ集めて成立した感がある。実際、この地域は谷中の構成諸町の境界が複雑に入り組んでおり、江戸時代の開拓後は周辺諸村の飛び地も多かった。しかし各丁目は寄せ集めの出来合いなどではなく、それぞれの地区にそれぞれの旧町村の中心があった。
関連項目
脚注
- “足立区の町丁別の世帯と人口”. 足立区 (2017年12月4日). 2017年12月7日閲覧。
- “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月7日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月7日閲覧。
- 竹内誠編『東京の地名由来辞典』、東京堂出版、2006年、421頁。
- “区立小・中学校の通学区域表・通学区域図”. 足立区 (2017年4月15日). 2017年12月7日閲覧。
- “学校選択制度について”. 足立区 (2017年6月1日). 2017年12月7日閲覧。
- “小学校の「学校選択制度の改正」について”. 足立区 (2017年5月3日). 2017年12月7日閲覧。