諸葛京
経歴
父と兄が戦死し、蜀が滅亡した時はまだ年少であり、264年に従甥の諸葛顕と共に河東への移住を命じられている。268年3月、元蜀将の羅憲が帝(司馬炎)に蜀の人材を推挙し、その中の一人に諸葛京を挙げている[1]。諸葛京は翌年269年に吏として西晋に取り立てられ[2]、後年郿県県令に昇進した。
晋の尚書僕射山濤は、帝(司馬炎)へ上表文を送って言った。
「郿県令諸葛京。その祖父の諸葛亮は、漢末の動乱に遭遇して中原から隔てられ、父子とも蜀に居住しました。天命をわきまえなかったとはいえ、自分の主君に対して心を尽くそうと努力いたしました。 諸葛京も郿を治め評判を上げております。臣は、彼を東宮舎人に任じて、人に仕える場合の道理を明らかにし、梁州・益州の世論に沿うべきだと思います。」
諸葛京は後に江州刺史まで昇進した。西晋による江州の設置が291年7月の為、没年はそれ以降と推察される。
現在、諸葛亮の子孫と称する一族は浙江省金華市蘭谿市に住み、諸葛八卦村という村を形成している(諸葛鎮参照)。その村で1992年に発見された家系図によると、諸葛京の血筋であるという。また村の家系図では、諸葛衝、諸葛喁と言う子がいたとされている。[3]
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