詩篇第150番 (ブルックナー)
『詩篇第150番』ハ長調(WAB38)は、アントン・ブルックナーが作曲した合唱曲。
作曲の経緯
1892年、ウィーン国際音楽演劇博覧会が催されることになり、ブラームスのもとに祝祭のためのカンタータ作曲の依頼が届いた[1]。しかしブラームスは、依頼を持ち込んだリヒャルト・ホイベルガーに対してこう返答した。
「 | 身にあまる光栄で感謝しておりますと、失礼のないようにお伝えください。イベント関係には関わりたくないんだ。ブルックナーに頼むよう取りはからってよ[1]。 | 」 |
ホイベルガーはブラームスに言われた通り、ブルックナーに博覧会の開会式のために作曲するよう打診した。1891年12月23日のことである[2]。開会式は1892年5月7日だったが、ブルックナーはこの日に作品を間に合わせることができなかった[2]。5月21日、ブルックナーはヴィルヘルム・ゲーリケへの手紙にこう書いている。
「 | ホイベルガー氏が私に送ってきた詩篇第150番は、まだ完成していません。というのも私は足の痛みに悩まされており、それがしばしば障害となっているのです[3]。 | 」 |
そもそも作曲のために与えられた期間が短かったことに加えて、当時ブルックナーは健康上の問題を抱えていた。医師たちの診察によれば、動脈硬化、心不全、下肢水腫、静脈瘤、肝硬変、真性糖尿病などを抱えており、いずれも治癒不能と判断されていたのである[2]。おまけに、4月29日まで『ドイツの歌』(WAB63)の作曲に取り組んでいたことも、『詩篇第150番』の作曲が進まなかった理由のひとつと考えられる[3]。
6月29日、『詩篇第150番』はようやく完成された[2]。10月9日の閉会式で演奏されることに決まり、今度は披露するまで時間的余裕ができた。7月7日と11日、ブルックナーは『詩篇第150番』に修正を施している[2]。
初演
10月9日の閉会式で演奏される予定だったが、しかし博覧会に多額の赤字が生じたこともあって、閉会式における演奏は取りやめとなってしまった[4]。11月13日、ヴィルヘルム・ゲーリケの指揮によりウィーン楽友協会の第1回演奏会において初演された[5]。
演奏時間と楽器編成
木管 | 金管 | 打 | 弦 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
Fl. | 2 | Hr. | 4 | Timp. | ● | Vn.1 | ● |
Ob. | 2 | Trp. | 3 | 他 | Vn.2 | ● | |
Cl. | 2 | Trb. | 3 | Va. | ● | ||
Fg. | 2 | Tub. | 1 | Vc. | ● | ||
他 | 他 | Cb. | ● | ||||
その他 | ソプラノ独唱、混声四部合唱 |
演奏時間は、約9分である。
出典
- ホイベルガー(2004) p.80
- 根岸(2006) p.143
- 根岸(2006) p.144
- 根岸(2006) p.145
- 根岸(2006) p.146
参考文献
外部リンク
- 『詩篇第150番』の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- Psalm 150, WAB.38 - 『Musopen』より《合唱総譜(ピアノ伴奏)のみ》
- Psalm 150 WAB.38 - 『Free-scores.com』より《合唱総譜(ピアノ伴奏)のみ》
- Psalm 150 C-Dur, WAB.38 (1892)(ドイツ語) - 『Anton Bruckner Diskografie』より《当楽曲を収録したレコード(CD)類の一覧など》
- Salmo 150 in do maggiore(イタリア語) - 『Magazzini Sonori』より《2008年10月にボローニャにて収録された演奏音源を掲載》
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