蜂須賀城
蜂須賀城(はちすかじょう)は、尾張国海東郡蜂須賀村、現在の愛知県あま市蜂須賀にあった日本の城。
(愛知県) | |
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蜂須賀城跡に立つ「蜂須賀正勝公碑」 | |
城郭構造 | 平山城[1] |
築城主 | 蜂須賀氏[1] |
築城年 | 不明[1] |
主な城主 |
蜂須賀正利 蜂須賀正勝 |
廃城年 | 不明[1] |
遺構 | なし(埋没?) |
指定文化財 | 史跡等未指定[2] |
再建造物 | 石碑 |
位置 | 北緯35度12分17.3秒 東経136度46分10.4秒 |
地図 |
蜂須賀城 |
歴史
尾張国の土豪である蜂須賀氏が鎌倉時代よりこの地に住んでいたとされるが、築城年は不明である[1][3]。
戦国時代には、蜂須賀正利の長男である蜂須賀正勝(母は安井御前)がこの城で生まれ、幼少期を暮らした。しかし、織田信秀との対立により、土地を奪われてしまい、その後は同国丹羽郡宮後村(現在の江南市宮後町)の宮後城に移り住む。また、正勝の長男・蜂須賀家政(後の阿波徳島藩祖)の生誕地とする説もあるが、正勝と母・安井御前は宮後城に移り住んでいたため、宮後城で生まれたと考える説が有力である[4]。
蜂須賀城址のすぐそばには、蜂須賀家の菩提寺である蓮華寺がある。
脚注
- 平井聖ほか 1979, p. 313.
- 「あま市の指定文化財」あま市公式HP
- 一部では蜂須賀家政が築城と記されることがあるが、これは誤りである。
- 宮後城址には家政公生誕碑が建てられている。
参考文献
- 平井聖ほか 編『日本城郭大系 第9巻』新人物往来社、1979年。ASIN B000J8HHFO。
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