萩原敏雄

萩原 敏雄(はぎわら としお、1936年5月18日 - )は、日本実業家日本テレビ元社長。

はぎわら としお
萩原 敏雄
生誕 (1936-05-18) 1936年5月18日(86歳)
日本の旗 日本 東京府
出身校慶應義塾高等学校
慶應義塾大学文学部
職業テレビプロデューサー
実業家
活動期間1959年 - 2009年
雇用者日本テレビ放送網
著名な実績日本テレビ放送網 社長
子供萩原大(読売テレビプロデューサー)
萩原雄祐(父)
親戚小坂善之助(曽祖父)
深井英五(祖父)
萩原章嘉(甥)
萩原隆雄(甥)

来歴・人物

萩原雄祐・結子夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれた[1][2]。父・雄祐は日本を代表する天文学者として知られており[2][3]、母・結子は深井英五・はる夫妻の長女[2][3]。外祖父の深井は日本銀行総裁を務めた銀行家で[2][4]、外祖母・はるは北信政財界の第一人者として知られた小坂善之助の次女にあたる[2][4]。善之助の孫で結子の従弟にあたる小坂徳三郎三井十一家の1つである本村町家2代目・三井弁蔵の長女と結婚したので[2][5]、萩原家は深井家・小坂家を通じて三井財閥の創業者一族である三井家と姻戚関係で結ばれているといえる[2][6]。なお敏雄の次兄・道雄は外祖父・深井英五の養嗣子となり[2]、日銀勤務を経て日本長期信用銀行の監査役を務めた[2]。また大伯父(外祖母・はるの兄)に小坂順造(善之助の長男)[1][2]、母の従弟に小坂善太郎(順造の長男、徳三郎の兄)[1][2]、又従弟に小坂憲次(善太郎の次男)がいる[1][2]関根達雄(曽祖父が小坂善之助のはとこ)を通じて、読売新聞・日本テレビ幹部の正力松太郎(日テレ初代社長、初代会長)、小林與三次(日テレ4代目社長、2代目会長)とも遠戚関係である。

1959年3月に慶應義塾大学文学部を卒業と同時に4月に日本テレビに入社。ドラマ、バラエティ番組の制作を経験した後、広報局長、スポーツ局長を歴任、1982年9月に第1制作局制作第2部長、1984年12月に編成局編成部長、1986年7月に編成次長、1993年5月に編成局長、同年6月に取締役、1996年5月に常務取締役、2000年5月に専務取締役を経て2001年6月にそれまで読売新聞社出身者が歴代の社長を務めていた日本テレビで開局以来初のプロパー社員出身の代表取締役社長となるが、2003年11月に発覚した「日本テレビ視聴率買収事件」の責任を取り副社長に降格。その後、Jリーグ東京ヴェルディを運営する日本テレビフットボールクラブの会長兼社長を2009年まで務めた。

日本テレビの視聴率4冠王を10年連続連覇した要因も、萩原の功績が一番だと言われている。

社長在任中は、吉本興業林裕章社長(当時)と漫才コンビ「ザ・社長ズ」を結成するなどのパフォーマンスを行ったこともある。

俳優早川保川口浩慶應義塾高等学校の同級生でもある[7]。なお、早川は慶應義塾大学でも同期であった。

担当した番組

担当作品

脚注・出典

  1. 『閨閥』、320-321頁。
  2. 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版。
  3. 『閨閥』、320-321頁、326頁。
  4. 『閨閥』、320-321頁、325頁。
  5. 『閨閥』、320-321頁、324頁。
  6. 『閨閥』、320-321頁、324-326頁。
  7. 但し、川口は高校を卒業せずに中退している。

参考文献

関連項目

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