美東町
美東町(みとうちょう)は、山口県の中央部、カルスト台地秋吉台の麓にあった町である。
みとうちょう 美東町 | |||||
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廃止日 | 2008年3月21日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 美祢市、美東町、秋芳町 → 美祢市 | ||||
現在の自治体 | 美祢市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 |
中国地方 中国・四国地方 | ||||
都道府県 | 山口県 | ||||
郡 | 美祢郡 | ||||
市町村コード | 35461-9 | ||||
面積 | 129.49 km2 | ||||
総人口 |
5,928人 (推計人口、2008年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 山口市、宇部市、萩市、長門市、美祢郡秋芳町 | ||||
町の木 | ヒノキ | ||||
町の花 | カキツバタ | ||||
美東町役場 | |||||
所在地 |
〒754-0291 山口県美祢郡美東町大字大田5936番地 | ||||
外部リンク | 美東町 | ||||
座標 | 北緯34度13分31秒 東経131度20分34秒 | ||||
■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |||||
ウィキプロジェクト |
地理
山口県内陸部に位置し、夏暑く冬寒いという内陸部特有の気候である。
町は山間部に囲まれる様に位置しており、町内間の移動も峠を越える箇所が存在する。
歴史
奈良時代には長登(ながのぼり)銅山が奈良東大寺大仏鋳造のための銅を産出していたことがあり、寛永年間には町内の銭屋に寛永通宝の鋳銭所が開かれるなど、古くから銅の産地として栄えた。
江戸時代、萩に毛利氏の居城が築かれたことから、下関や小郡、宇部などと萩を結ぶ交通の要所となった。
幕末期には、長州藩内の俗論派と高杉晋作率いる奇兵隊が大田から絵堂にかけて大規模な戦闘を行った。この戦いで勝利を収めた高杉が萩まで進軍、俗論派を一掃し明治維新への大きな一歩を踏み出したのである。
交通
この地は交通の要衝であり、萩市から宇部市、美祢市から山口市、長門市から旧小郡町を結ぶ道路がある。
鉄道
町内に鉄道路線はなく、JR山陽線新山口駅またはJR山口線山口駅からバス乗り換えとなる。
戦前には宇部から延びていた船木鉄道が大田まで延伸される計画があったが、実現されないまま路線が廃止となった。
有料道路
- 小郡萩道路(合併前は建設中だった)
一般県道
タクシー
名所・旧跡・観光
- 長登銅山跡(国の史跡)
- 長州藩銭座跡
- 大田・絵堂の戦役跡
- 道の駅みとう
- 秋吉台
- 大正洞
- 景清洞
- 秋吉台サファリランド
- きららオーガニックライフ(旧美東いちごファーム)
- 湯ノ口温泉
関連項目
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