秋田豊

秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。実業家。現役時代のポジションDF。元日本代表1998年2002年W杯メンバー。 2022年10月より株式会社いわてアスリートクラブの代表取締役オーナー兼代表取締役社長を務める[1]

秋田 豊
名前
愛称 アキ
カタカナ アキタ ユタカ
ラテン文字 AKITA Yutaka
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-08-06) 1970年8月6日(52歳)
出身地 愛知県名古屋市
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2003 鹿島アントラーズ 334 (20)
2004-2006 名古屋グランパスエイト 57 (3)
2007 京都サンガF.C. 14 (0)
代表歴2
1995-2003 日本の旗 日本 44 (4)
監督歴
2010 京都サンガF.C.
2013 FC町田ゼルビア
2020-2022 いわてグルージャ盛岡
1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月12日現在。
2. 2003年6月8日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

来歴

選手時代

小学生時代は野球、中学生時代は夏に野球、冬にサッカーをやっていた[2][3]。中学生時代にはフォワード、センターバックを経験した。愛知高校から愛知学院大学に特待生で進学した。

1993年鹿島アントラーズに加入。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。9つのタイトル獲得に貢献した。

日本代表にも選出され、1998 FIFAワールドカップ・アジア予選が始まった段階ではセンターバックの3番手という立場だったため、4バックが基本のチームで控だった。しかし加茂監督がセンターバックを1枚増やした3バックを導入するとスタメンで出場し、対人や空中戦での強さを見せ評価を急上昇させると、岡田体制になり4バックに移行後もレギュラーに定着。ヘディングで2得点するなど、攻撃においてもセットプレイで大きな武器ともなった。1998 FIFAワールドカップ本大会ではアルゼンチンのバティストゥータ、クロアチアのシュケルなど相手のエースのマークを任される。

トルシエ体制では立ち上げ当初こそ招集されるも、まもなく構想から外され招集外となるが、本大会メンバーにまさかのサプライズ選出され、2002 FIFAワールドカップに出場。トルシエ曰く「試合には出ないがチームを纏めるためにベテランが必要」と語っており、実際大会前のテストマッチ1試合の後半途中から出場したのみで、本大会ではフィールドプレイヤーとして唯一出場機会がなかった。

代表監督がジーコに変わると立ち上げ当初はレギュラーストッパーとして招集されるが、バックラインの総入れ替えを断行されて以来、呼ばれることはなかった。

2003年のリーグ終了後戦力外通告を受け、名古屋グランパスエイトに移籍。移籍1年目の2004年はレギュラーとして活躍。以降は増川隆洋の加入や年齢もあって控えに回ることが多くなった。

2006年シーズン終了後に名古屋から戦力外通告を受け、この年J2に降格した京都サンガF.C.へ移籍。出場機会は多くなかったが、リーグ戦3位で進出したJ1・J2入れ替え戦では既に引退を発表した中で2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場し、クラブのJ1への昇格を経験した。

シーズン終了後、FC琉球の総監督に就任した元日本代表監督フィリップ・トルシエから現役復帰のオファーがあったものの、これを固辞。現役引退を表明し、2008年シーズンより京都のトップチームコーチに就任することが決定した。

指導者時代

2009年2月1日には、茨城県立カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。同年11月30日には、監督職に必要なS級ライセンスを取得。

2010年7月、成績不振により解任された加藤久の後任として、コーチから京都の監督に昇格した。当初は2011年までの1年半契約となっており、チームがJ2に降格しても続投する方針だったが、就任後2勝3分14敗という不振から2011年度の契約更新を撤回され、わずか半年で解任となった。

2012年東京ヴェルディトップチームのコーチに就任[4]。11月、東京Vとの契約を解除し[5]FC町田ゼルビアの監督に就任した[6]2013年シーズンは前半戦で3位につけるも、天皇杯のシード権を逃し、6月25日に解任された[7]

町田監督退任後の2013年8月23日、ジュビロ磐田がコーチ就任のオファーを出したと一部スポーツ紙で報じられたが、その日のうちに磐田側から完全否定された[8][9]

2020年よりいわてグルージャ盛岡の監督に就任すると発表され[10]、2021年にJ3リーグで2位フィニッシュ、初のJ2昇格に導いた。2022年の東北ダービーいわて秋田戦では、秋田の顔が印刷されたお面が配布され話題を呼んだ[11]。監督としては2022年シーズン一杯で退任した。

経営者時代

現役引退後は一時実業家としても活動しており、サンクト・ジャパンの代表取締役社長としてトレーニング器具の販売を手掛けている[12]

2022年10月、いわてグルージャ盛岡を運営する「株式会社いわてアスリートクラブ」の社長に就任[1]。また大株主のNOVAホールディングスから株式33.4%を譲り受け、同社のオーナーとなった。Jリーグの選手経験者でJリーグのチームオーナーとなったのは秋田が初[13]

その他

2015年本田圭佑がプロデュースを行っているSOLTILO FCユースとジュニアユースのスーパーアドバイザーに就任。

またeSports関連の活動も行っている。N高等学校サッカー部の特別顧問に就任し、2018年アジア競技大会のeSports(ウイニングイレブン 2018)競技に日本代表として出場した選手の指導を行い[14]、2018年9月には元チームメイトの岡山哲也とともに、eSportsの選手育成を行う「eスポーツジャパン」を発足させ、アジア大会や五輪への出場を目標に選手の指導を行うことを発表した[15][16]

引退試合

2009年2月1日
鹿島アントラーズレジェンドスターズ 4 - 2 ジュビロ磐田レジェンドスターズ
深井正樹 58分にゴール 58分
秋田豊 77分にゴール 77分, 78分, 88分
高原直泰 22分にゴール 22分
松原良香 56分にゴール 56分
出場選手
  • 鹿島アントラーズレジェンドスターズ
高桑大二朗名良橋晃秋田豊奥野僚右相馬直樹本田泰人サントス石井正忠増田忠俊黒崎久志マジーニョ曽ヶ端準内藤就行岩政大樹池内友彦金古聖司本山雅志中田浩二熊谷浩二野沢拓也小笠原満男長谷川祥之深井正樹鈴木隆行
  • ジュビロ磐田レジェンドスターズ
大神友明山西尊裕古賀琢磨渡邉一平名波浩福西崇史藤田俊哉三浦文丈川口信男高原直泰中山雅史佐藤洋平鈴木秀人大岩剛田中誠西紀寛倉貫一毅松原良香

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993鹿島-J3505152453
19943841000394
1995500-40540
19961604030230
199732132251286
19983231040373
1999J12826120363
20002817041392
20012926120373
20022948051425
20032815041372
2004名古屋22607020350
20051910020211
20061223010162
2007京都J2140-00140
通算日本J1 3912355543648934
日本J2 140-00140
総通算 4052355543650334

その他の公式戦

  • 1993年
  • 1996年
  • 1997年
  • 1998年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 1999年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2000年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2001年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2002年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2007年
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2002-03鹿島330
通算AFC 30

その他の国際公式戦

タイトル

クラブ

鹿島アントラーズ
  • Jリーグ年間王者 4回 (1996年、1998年、2000年、2001年)
    • Jリーグ1st優勝 2回 (1993年、1997年)
    • Jリーグ2nd優勝 3回 (1998年、2000年、2001年)
  • 天皇杯優勝 2回 (1997年、2000年)
  • リーグカップ優勝 3回 (1997年、2000年、2002年)
  • スーパーカップ優勝 3回 (1997年、1998年、1999年)
  • A3チャンピオンズカップ優勝 1回 (2003年)

個人

  • Jリーグベストイレブン 4回 (1997年、1998年、2000年、2001年)
  • JリーグチャンピオンシップMVP (1998年)
  • AFC All Star Team (1998年)
  • A3チャンピオンズカップMVP (2003年)
  • アントラーズ功労賞 (2009年)

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 44試合 4得点(1995-2003)
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199521
199620
1997162
1998100
199970
200000
200100
200230
200341
通算 444

指導歴

監督成績

年度所属クラブリーグ戦カップ戦
順位勝点試合ナビスコ杯天皇杯
2010J1京都17位9202315-3回戦
2012J2町田-------4回戦
2013JFL3位3117944--
2020J3岩手11位423411914--
20212位53281585-3回戦
2022J222位34429726-3回戦
  • 2010年は第15節より指揮。(第15節は監督代行として)
  • 2012年は天皇杯4回戦の1試合のみ指揮。
  • 2013年は第17節、解任時の成績。

著書

  • センターバック専門講座(2012年、東邦出版、ISBN 978-4809410628)

脚注

  1. 【クラブ】秋田豊氏 代表取締役オーナー兼代表取締役社長 就任のお知らせ
  2. プロ論
  3. 有名人スポーツワンポイント講座
  4. 秋田 豊コーチ就任のお知らせ”. 東京ヴェルディ1969 (2012年1月16日). 2013年9月6日閲覧。
  5. 秋田 豊コーチ契約解除のお知らせ”. 東京ヴェルディ. 2012年11月26日閲覧。
  6. 秋田豊氏 監督就任のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2012年11月26日閲覧。
  7. 秋田豊監督 解任のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2013年6月25日閲覧。
  8. 降格圏脱出へ!磐田 秋田氏にコーチ就任の緊急オファー”. スポーツニッポン. 2013年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月23日閲覧。
  9. 【磐田】秋田豊氏のコーチ就任を完全否定”. 日刊スポーツ. 2013年8月23日閲覧。
  10. 『【チーム】秋田豊氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)いわてグルージャ盛岡、2019年12月4日http://grulla-morioka.jp/tab02_team/191204news_009/2019年12月4日閲覧
  11. 「ガチで怖すぎ」秋田豊が大量発生!? J2岩手、指揮官のお面配布によるホームスタジアムの“異様な光景”に反響! | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2023年5月19日閲覧。
  12. 片渕茜 (2018年6月6日). 【トレたま】日本代表の“ゴムトレ”!?”. ワールドビジネスサテライト. テレビ東京. 2018年6月7日閲覧。
  13. 元日本代表・秋田豊、私財投じてクラブ社長の覚悟 - 東洋経済ONLINE・2023年6月2日
  14. 笠井智大 (2018年7月23日). eスポーツの“翼くん”―わずか3年で大舞台への切符をつかむまで”. 読売新聞社. 2018年9月10日閲覧。
  15. eスポーツ育成、元グランパス岡山さんら新会社”. 読売新聞社 (2018年9月9日). 2018年9月10日閲覧。
  16. 吉崎エイジーニョ (2018年9月8日). 元W杯代表・秋田豊はなぜ、eスポーツ最強を志す「STAND UP UNITED」にガチ参戦するのか?”. Yahoo!ニュース 個人. 2018年9月10日閲覧。
  17. ネット部活”. N高等学校(通信制高校 広域・単位制). 2017年11月12日閲覧。

関連項目

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.