秋村謙宏
秋村 謙宏(あきむら のりひろ、1966年2月26日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(投手)、現在はプロ野球審判員。審判員袖番号は1。
2023年4月21日、京セラドーム大阪にて | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県 |
生年月日 | 1966年2月26日(57歳) |
身長 体重 |
177 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト外 |
初出場 | 1990年4月7日 |
最終出場 | 1996年5月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
宇部商業高では豪速球投手として注目を集め、エースとして甲子園に3回出場。2年次の1982年夏は、山口県予選で準々決勝の岩国高(5回コールド)、準決勝の萩工を相手に連続ノーヒットノーランを達成。決勝でも下関商を完封し夏の選手権に出場。しかし2回戦(初戦)で高岡商に敗退[1]。翌1983年の春の選抜は、1回戦で久留米商の山田武史投手に完封を喫する[2]。同年の夏の選手権は準々決勝に進むが、三浦将明投手を擁する横浜商に敗退[1]。この大会では3回戦で、仙台商の荻原満から大会第23号本塁打を放っている。
高校卒業後は、法政大学へ進学。東京六大学野球リーグで在学中4回の優勝を経験するが、1年上に猪俣隆、石井丈裕の両投手がおり、下級生の時は登板機会が少なかった。しかし4年生時はエースとして1987年秋季リーグで優勝、同季のベストナインに選出される。同年の明治神宮野球大会では決勝で渡辺正和、小林昭則のいた筑波大に延長10回の熱戦の末に敗れた。リーグ通算33試合に登板し14勝1敗、防御率3.01、96奪三振。大学同期に鈴木俊雄、松井達徳らがいる。
大学卒業後は、社会人野球の日本石油に進み、1989年の都市対抗野球に出場。1回戦でNTT北海道を相手に先発するが4回に集中打を浴び降板、チームは2回戦で松下電器に敗れた[3]。
1年目の1990年から主に中継ぎとして起用され、1993年には6勝と活躍したが、翌年以降は不振に陥り未勝利に終わる。1995年オフに金銭トレードで日本ハムファイターズに移籍、しかしここでも登板機会に恵まれず、1997年限りで現役を引退した。
広島時代には中日ドラゴンズの森田幸一に「投手のプロ初打席初本塁打」を献上するという珍しい記録があった[4]。
引退後の1999年、パシフィック・リーグ審判部入局。審判員袖番号は2003年まで10、2004年以降は1。秋村の入局前に10をつけていた斎田忠利(元・審判部長)と、秋村よりも前に1をつけ、秋村の入局前年に退職した五十嵐洋一(元・審判部副部長)はともに法政大学の先輩である。1を選んだ理由は、学生時代に出席番号などで1番が多かったからだという[5]。
1年目の1999年に早くも一軍試合初出場を果たし、2003年には入局5年目にしてオールスターゲーム第1戦(7月15日・大阪ドーム)で球審を務める。2006年にはパ・リーグ審判員奨励賞を受賞した。
2007年、念願の日本シリーズ初出場を果たし、第3戦で球審を担当している。9年目での日本シリーズ出場は異例の早さである(本来は15年程度は要する)。2007年8月、『四番、ピッチャー、背番号1』(横尾弘一著)で、その歩みが取り上げられた。2010年7月16日の千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ13回戦(千葉マリンスタジアム)で1000試合出場を果たした[6]。
2016年シーズンから球審の構えをシザーススタンスからボックス(スロット)スタンスに変更した。ただし、場面によっては以前のようなシザースで構えていることもある。
2016年4月14日、東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ6回戦(神宮球場)で三塁塁審を務め、史上88人目となる通算1500試合出場を達成した[7]。
上記の通り、1年目から一軍の試合に出場し、9年目に日本シリーズに出場するなど、評価は高く、セ・パ統合前は「選手が選ぶ!ベストアンパイア」にも、何度か選出されている。
2021年6月26日の東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ(明治神宮野球場)9回戦にて一塁塁審を務め、史上71人目の通算2000試合出場を達成した。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1990 | 広島 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | -- | .500 | 233 | 57.0 | 42 | 4 | 28 | 0 | 0 | 45 | 2 | 0 | 24 | 23 | 3.63 | 1.23 |
1991 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 72 | 17.0 | 14 | 5 | 7 | 0 | 0 | 21 | 0 | 0 | 10 | 10 | 5.29 | 1.24 | |
1992 | 39 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | -- | .333 | 240 | 57.1 | 52 | 5 | 18 | 1 | 2 | 59 | 3 | 0 | 27 | 24 | 3.77 | 1.22 | |
1993 | 48 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | -- | .600 | 334 | 75.0 | 83 | 14 | 35 | 1 | 1 | 58 | 4 | 1 | 43 | 36 | 4.32 | 1.57 | |
1994 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | -- | .000 | 159 | 38.1 | 35 | 6 | 14 | 0 | 2 | 24 | 0 | 0 | 20 | 20 | 4.70 | 1.28 | |
1995 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 64 | 14.0 | 18 | 2 | 8 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 12 | 11 | 7.07 | 1.86 | |
1996 | 日本ハム | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 28 | 5.0 | 7 | 2 | 5 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 | 4 | 7.20 | 2.40 |
通算:7年 | 173 | 4 | 0 | 0 | 0 | 9 | 11 | 3 | -- | .450 | 1130 | 263.2 | 251 | 38 | 115 | 2 | 7 | 212 | 10 | 1 | 140 | 128 | 4.37 | 1.39 |
記録
背番号
- 53 (1990年 - 1992年)
- 47 (1993年 - 1995年)
- 24 (1996年)
- 00 (1997年)
審判出場記録
- 初出場:1999年10月1日、ロッテ対日本ハム26回戦(千葉マリンスタジアム)、三塁塁審。
- 出場試合数:2140試合
- オールスター出場:4回(2003年、2009年、2016年、2021年)
- 日本シリーズ出場:3回(2007年、2013年、2017年)
(記録は2022年シーズン終了時)
表彰
- パシフィック・リーグ審判員奨励賞(2006年)
(記録は2022年シーズン終了時)
脚注
- 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- 【4月10日】1991年 中日・森田幸一、41年ぶりの投手初打席初本塁打は決勝弾 スポニチ 日めくりプロ野球
- 2010年5月4日の埼玉西武ライオンズ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の試合前に行われたイベント「野球のお仕事大解剖!」にて発言。
- 秋村審判員が1000試合出場 スポーツニッポン、2010年7月16日
- 秋村謙宏審判員 1500試合出場達成のお知らせ - NPBニュース(日本野球機構オフィシャルサイト)、2016年4月14日
外部リンク
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- NPB審判員 秋村謙宏 - NPB.jp 日本野球機構
- 個人年度別成績 秋村謙宏 - NPB.jp 日本野球機構