田中和一郎 (政治家)

田中 和一郎(たなか わいちろう、1888年明治21年)7月[1] - 1950年昭和25年)4月8日[2])は、日本の衆議院議員厚生参与官

田中和一郎

経歴

京都府京都市出身。1919年大正8年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し[3]京都帝国大学大学院で都市社会政策を専攻した。大阪毎日新聞社に入社。その後、京都市会議員、同議長、京都府会議員に選ばれた。

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。幣原内閣で厚生参与官を務めた。

1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[4]。追放中の1950年死去。

その他、京都ホテル株式会社取締役、内外出版印刷株式会社監査役を務めた。

脚注

  1. 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』(〈衆議院公報附録〉、1942年)、3頁には「12月28日」と記載。
  2. 日外アソシエーツ『昭和物故人名録』、1983年。
  3. 東京帝国大学『東京帝国大学卒業生氏名録』、1939年、p.121。
  4. 『朝日新聞』1946年2月10日一面。

参考文献

  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
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