淅陽郡
概要
北魏により析陽郡が設置された。析陽郡は東析陽・西析陽の2県を管轄した。北周により淅陽郡と改称された。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、淅陽郡は廃止されて、淅州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、淅州が淅陽郡と改称された。淅陽郡は南郷・内郷・丹水・武当・均陽・安福・鄖郷の7県を管轄した[1]。618年(義寧2年)、武当・均陽の2県が分離されて、武当郡が置かれた。
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