泉町 (八王子市)
泉町(いずみちょう)は東京都八王子市の地名である。丁番を持たない単独町名であり、住居表示未実施区域[1]。郵便番号は193-0814(八王子西郵便局管区)[3]。
泉町 | |
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泉町 泉町の位置 | |
北緯35度40分27.27秒 東経139度18分7.15秒 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
市町村 | 八王子市 |
地域 | 西部地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.43 km2 |
人口 | |
• 合計 | 3,229人 |
• 密度 | 7,500人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
193-0814[3] |
市外局番 | 042[4] |
ナンバープレート | 八王子 |
※座標は泉町会館付近 |
地理
八王子市役所の北西部に位置し、北浅川西岸の扇状地にあたる。地内には市営泉町団地・市営泉町南団地・泉町住宅・が整備され、住宅が多く存在する。南西部で北浅川上を中央自動車道が通過する。
北から東にかけて楢原町・清川町、東で中野上町4丁目・元本郷町4丁目、南で横川町・叶谷町、西で四谷町と接する。
河川
- 浅川(北浅川)
歴史
江戸時代においては下壱分方村(下一分方村とも)の一部であった。福岡部落について『部落問題・水平運動資料集成3巻』に1935年の地区調査票が掲載されており、それによれば戸数は148、人口は787で、大正表、靴工、日稼が主な職業だった[5]。菊池山哉の著書『長吏と特殊部落』によると「農家も多いが、皮革業が盛大である。多摩郡第一の集団地で、百五十戸ばかり、日稼ぎ、行商もあり、宛然一つの町を形成している」という[6]。
地域
施設
- 宗教
教育
- 小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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1901〜1903番地 | 八王子市立横川小学校 | 八王子市立横川中学校 |
その他 | 八王子市立元八王子東小学校 | 八王子市立四谷中学校 |
交通
道路
- 中央自動車道
- 東京都道46号八王子あきる野線(高尾街道)
名所・旧跡
- 近代先覚者の碑 - 泉町会館の敷地にある石碑[7]。顕彰碑の上部に「先覚之碑」の文字が大きく刻まれ、その中央部に「近代日本史上劃期的偉業を記念」と記した説明板が嵌め込まれている[8]。「明治の初年維新革命の目的を完成し、永い封建の眞黒い幕を取り除く爲に、日本の先覚者達はこゝ柏木豊次郎氏邸に集うた。板垣退助、石阪昌孝、星亨、村野常右ヱ門、大江卓、森久保作造、景山英子、林副重等々外有名無名の人々、特に村内の先覚者八氏を交えて、自由と平等を基とする人民自らの政權を目指し、廣く教育に文化に宗教に産業に志を一にし、先駆的偉業が発足した近代日本史は、先ず元八王子より輝いた。一九五七年十一月三日撰文先覚者讃碑建設委員會」とある[8]。
脚注
- “八王子市の町名と面積一覧(住居表示実施状況)”. 八王子市 (2016年6月29日). 2018年1月15日閲覧。
- “住民基本台帳 町丁別世帯数及び人口”. 八王子市 (2018年1月15日). 2018年1月15日閲覧。
- “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月15日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月15日閲覧。
- 学術・研究 部落探訪(120)東京都八王子市泉町示現舎公式サイト。2022年3月26日閲覧。
- 『長吏と特殊部落』209頁。2022年4月8日閲覧。
- わがまち八王子探訪シリーズ「元八王子」、はちとぴ2020年涼風号No.45。
- 宮橋國臣 関東(東京中心)の部落史調査4 - 5頁、関西大学人権問題研究室 室報(第45号2010.7)。2022年3月26日閲覧。
- “通学区域一覧・通学区域図(町名別)”. 八王子市 (2016年6月29日). 2018年1月15日閲覧。
参考文献
- 菊池山哉『長吏と特殊部落』東京史談会、1953年。
- Web八王子事典
関連項目
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