河合町
河合町(かわいちょう)は奈良県北葛城郡の町。奈良盆地西部に位置する(奈良県全体では北西部に位置する)。
かわいちょう 河合町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 奈良県 | ||||
郡 | 北葛城郡 | ||||
市町村コード | 29427-6 | ||||
法人番号 | 7000020294276 | ||||
面積 |
8.23km2 | ||||
総人口 |
16,547人 [編集] (推計人口、2023年6月1日) | ||||
人口密度 | 2,011人/km2 | ||||
隣接自治体 | 北葛城郡王寺町、上牧町、広陵町、生駒郡斑鳩町、安堵町、磯城郡川西町、三宅町 | ||||
町の木 | サザンカ | ||||
町の花 | 福寿草 | ||||
河合町役場 | |||||
町長 | 森川喜之 | ||||
所在地 |
〒636-8501 奈良県北葛城郡河合町池部1丁目1-1 北緯34度34分42秒 東経135度44分12秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村 | |||||
ウィキプロジェクト |
地理
西大和開発株式会社が1960年代から「西大和ニュータウン」を開発し、隣町の上牧町にまたがる大規模な住宅地を形成している[1]。
地区
- 636-0053 池部(いけべ)
- 636-0053 池部(いけべ)1丁目〜3丁目
- 636-0091 泉台(いずみだい)1丁目〜3丁目
- 636-0093 大輪田(おおわだ)
- 636-0051 川合(かわい)
- 636-0082 薬井(くすりい)
- 636-0063 久美ケ丘(くみがおか)1丁目〜2丁目
- 636-0062 佐味田(さみた)
- 636-0092 城内(じょうない)
- 636-0081 星和台(せいわだい)1丁目〜2丁目
- 636-0071 高塚台(たかつかだい)1丁目〜3丁目
- 636-0052 長楽(ちょうらく)
- 636-0072 中山台(なかやまだい)1丁目〜2丁目
- 636-0054 穴闇(なぐら)
- 636-0055 西穴闇(にしなぐら)
- 636-0056 西山台(にしやまだい)
- 636-0073 広瀬台(ひろせだい)1丁目〜3丁目
- 636-0061 山坊(やまのぼう)
- 636-0057 彩りの杜(いろどりのもり)
歴史
古代の大和国広瀬郡の地であり、延喜式内廣瀬神社が鎮座し、川合大塚山古墳群・馬見丘陵古墳群など遺跡も豊富である。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、広瀬郡川合村・長楽村・穴闇村・池部村・沢村・佐味田村・山坊村・大輪田村・城内村・西穴闇村・寺戸村・大野村・薬井村の区域をもって河合村が発足。
- 1892年(明治25年)2月12日 - 広瀬郡河合村の一部(大字沢・大野・寺戸)が箸尾村に編入。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 広瀬郡河合村の所属郡が北葛城郡に変更。
- 1971年(昭和46年)7月1日 - 村章を制定[2]。
- 1971年(昭和46年)12月1日 - 河合村が町制施行して河合町となる。
2003年に河合町・王寺町・上牧町・斑鳩町・三郷町・平群町・安堵町の7町を合併し、西和市とする計画があったが、王寺町・斑鳩町の住民投票で反対多数となり合併はされなかった。
町域の変遷
明治22年 | 明治29年 | 昭和46年 | 現在 |
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奈良県 | |||
広瀬郡 | 北葛城郡 | ||
河合村 | 河合町 | ||
行政
- 町長:森川喜之
なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第2区」[3]、奈良県議会議員選挙の選挙区は「北葛城郡選挙区」(定数:3)となっている[4]。
町役場
河合町役場は奈良県北葛城郡河合町池部1丁目1番1号に所在する。近鉄田原本線池部駅下車徒歩1分。同一敷地内には、老人福祉センター(森本千吉旧邸・役場旧庁舎)、セミナーハウスなどがある。
町役場の敷地は、もともと「豆山荘」(まめやまそう[5])と呼ばれる邸宅地であり、日本庭園(池泉回遊式庭園)がある[6][7]。役場の正門は大正時代に建築された木製瓦葺[5]の屋敷門で[6]、「河合町役場」と墨書された木の看板がかけられており[5][5]、門の両脇には阿吽一対のライオンのレリーフを施した石が配置されている[6][5]。門から庁舎まではゆるやかな上り坂となっており、庭園を通って庁舎に入ることになる[5]。「町役場の門とは思えない」光景はメディアにしばしば取り上げられ[6][7][5]、また町の側もその珍しさを自任している[5]。『河合町史』には「全国でも珍しい存在」との記載があり[5]、町が選定した人気のある名所「河合八景」の一つにも「役場の古い門」が選ばれている[8]。
「豆山荘」は、田原本線の前身となった鉄道を敷設した大和鉄道の創業者・森本千吉によって、大正時代(阿吽のライオンには大正12年(1923年)の文字が刻まれている)に作られた邸宅である[6][7][9]。1937年に森本が没したのちは、地元財界人の吉川京松が譲り受けて管理していた[6][7][9]。「豆山」とは、馬見丘陵一帯をさす通称である[6][7]。1948年、中学校建設に伴って村役場の移転が必要となった際、当時の村長は吉川に「豆山荘」に役場を移転する要望を出した[9]。吉川は快諾し、同年町に「豆山荘」を譲渡した[6][7][9]。以後、「豆山荘」森本千吉旧邸(現在は老人福祉センター)が村役場として使用されるようになった[10]。
1971年に町制が施行され河合町が発足すると、新庁舎が建設された[6][9](1975年完成[11])。この際に「豆山荘」の建物や庭の一部は撤去されており、往時の1/2~1/3程度の規模になっている[7]。
正門は役場の開庁・閉庁時間に合わせて開閉するが[7][5](車の通行可能な入口は別に設けられている)、庭園は散策可能である[9]。
姉妹都市・提携都市
海外
- 姉妹都市
経済
- 岡井食産:穴闇にある。
- 東洋ベーカリー:西穴闇にある食品メーカーであり、学校給食委託会社である。パンや米飯を主に製造している。生駒郡、北葛城郡などの各幼稚園・小学校・中学校ほか一部の近隣高等学校への購買で販売されているパンなどを製造・配達を行っている。現在、ホームページは存在しない。
金融機関
- 南都銀行 西大和支店(星和台)
地域
人口
河合町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 河合町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 河合町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
河合町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
奈良県統計
- 2007年10月1日現在 : 19,202人
- 人口増加率(2002年→2007年) : -3.3%
小学校
- 河合町立河合第一小学校(池部)
- 河合町立河合第二小学校(星和台)
- 河合町立河合第三小学校(高塚台)
中学校
- 河合町立河合第一中学校(池部)
- 河合町立河合第二中学校(星和台)
- 西大和学園中学校(薬井)
高等学校
- 西大和学園高等学校(薬井)
短期大学
- 白鳳女子短期大学(薬井)
保育園
- 社会福祉法人 白鳳会 西大和保育園(星和台)
県の施設
- 馬見丘陵公園 公園館(佐味田)
主な出身者
脚注
- 西大和開発株式会社は現存しない。
- 図典 日本の市町村章 p164
- 2017年の区割変更により3区から変更となった
- 選挙区と定数 奈良県選挙管理委員会
- “まだまだ勝手に関西遺産 レトロな門 役場へカモ~ン”. 朝日新聞(大阪本社版・夕刊). (2016年10月26日) 2016年10月26日閲覧。
- “近代化遺産ある記 vol.16 河合町役場庭園(旧豆山荘)”. ええ古都なら. 南都銀行. 2016年10月26日閲覧。
- “河合町役場”. ええ古都なら. 南都銀行. 2016年10月26日閲覧。
- “河合八景”. 河合町. 2016年10月26日閲覧。
- “河合町役場庭園”. 河合町. 2016年10月26日閲覧。
- “河合町の歴史年表” (PDF). 河合町. 2016年10月26日閲覧。
- “沿革”. 河合町. 2016年10月26日閲覧。
- “姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2016年10月27日閲覧。