横河電機サッカー部

横河電機サッカー部(よこがわでんきサッカーぶ)は、かつて存在した日本サッカークラブ。横河電機のサッカー部として1939年に創部した。東京武蔵野ユナイテッドFCの前身となったクラブの一つである。

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横河電機サッカー部
原語表記 横河電機サッカー部(1939 - 1982)
横河北辰電機サッカー部(1983 - 1986)
横河電機サッカー部(1986 - 2002)
横河武蔵野フットボールクラブ(2003 - 2015)
呼称 横河電機(1939 - 2002)
横河武蔵野FC(2003 - 2015)
クラブカラー     青、   
創設年 1939年
ホームタウン 東京都武蔵野市
ホームスタジアム 武蔵野市立武蔵野陸上競技場
運営法人 -
ホームカラー
アウェイカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

歴史

創設

文献から確認できる最初の公式戦(1941年2月、三菱倶楽部戦)の開催会場となった東京帝国大学

1939年に横河電機製作所の社内のサッカー同好会として創設され[1]、横河電機製作所が本社工場を置く東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺(現在の東京都武蔵野市)を拠点として活動を始めた[2]

1941年、関東蹴球協会主催の第10回関東実業団蹴球大会に出場して1回戦(2月2日)で三菱倶楽部(現:三菱養和)に0-1で敗北したが、この試合が文献から確認できる最初の公式戦である[3]

1941年4月16日に関東実業団蹴球連盟(現:関東サッカー協会)への加盟が承認され、関東実業団蹴球の6部(他に三菱倶楽部や東京海上など)に所属することが決定した[4]

太平洋戦争後の活動についてははっきりしないが、全日本実業団サッカー選手権大会全国都市対抗サッカー選手権大会の出場経験は無い。

1970年代

1976年に東京都社会人サッカーリーグ1部へ昇格し、初優勝も果たした。翌1977年は都リーグ1部で2年連続優勝。また、関東社会人サッカー大会で優勝した。

1978年、関東サッカーリーグに昇格。関東リーグは優勝した東邦チタニウムと勝点11差の勝点44(11勝(3PK勝)7敗(3PK負))で3位の成績。

1979年、関東リーグは優勝した埼玉教員と勝点6差の勝点47(12勝(1PK勝)6敗(1PK負))で3位の成績ながら、2年連続で上位2チームに認められていた全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場はならなかった。

1980年代

1980年、関東リーグは5勝2分11敗の勝点12で9位に終わり、翌年度からの都リーグ1部への降格が決まった。また、全国社会人サッカー選手権大会に初めて出場。初戦(1回戦)で三菱重工神戸を破り、全社初勝利を記録した。2回戦はマルヤス工業に敗れた。

1983年、合併により商号が変更したことに伴って横河北辰電機サッカー部へ名称を変更した。

1984年、都リーグ1部の優勝は成らなかった(東京ガスが優勝)が、関東社会人大会で7年ぶりに優勝した。

1985年、関東リーグに5年ぶりに昇格(復帰)したが、リーグ戦は2勝4分12敗の成績で最下位に終わり、1年での都リーグ1部への降格が決まった。5年ぶりに出場した全社は1回戦で三菱自工京都に敗れた。

1986年、商号変更に伴って横河電機サッカー部へ名称を変更した。

1988年、3年ぶりに全社へ出場したが1回戦で京都府警に敗れた。

1990年代

1991年、横河電機副社長(当時)の美川英二の肝煎りでチームの強化が始まり、ブラジル人のマルコス・ボカットが監督に就任し、またブラジル人選手3人と契約した[5][6]

1992年、都リーグ1部は3位の成績であったが関東社会人大会で準優勝した。4年ぶりに全社に出場したが1回戦で京セラ川内に敗れた。

1993年、関東リーグに3度目の昇格(復帰)。リーグ戦は9勝3分6敗の成績で優勝チームと勝ち点9差の3位の成績。2年連続で出場した全社は1回戦でNTT九州(現在のロアッソ熊本の母体)、準決勝で東北電力(現:ベガルタ仙台)などを破り、決勝でYKK(現在のカターレ富山の母体)に勝利して同大会で初めて優勝した。

1994年、会社としてジャパンフットボールリーグへの昇格を目指す意向を表明した[7]。関東リーグは10勝6分2敗の成績で2位に勝ち点4差をつけて初優勝。全社は準々決勝で北陸電力(現在のカターレ富山の母体)に敗れた。初めて出場した全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)は1次ラウンドを2戦2勝の首位で通過、決勝ラウンドは1勝2敗で4チーム中3位の成績でジャパンフットボールリーグへの昇格は成らなかった。

1995年、関東リーグは9勝4分5敗の成績で優勝したプリマハムFC土浦(現:水戸ホーリーホック)に勝ち点14差の2位。全社は1回戦で日立清水に敗退。地決は1次ラウンドを2戦2勝(1PK勝)の首位で通過、大分FC(現:大分トリニータ)やYKKなどと同組となった決勝ラウンドは1勝2敗(1PK負)で4チーム中3位の成績で2年連続の敗退。

1996年、関東リーグは8勝2分8敗の成績で優勝したホンダルミノッソ狭山に勝ち点17差の4位に終わり、3年連続の地決出場は成らなかった。全社は1回戦で同大会で優勝した教育研究社FCに敗れた。

1997年、元湘南ベルマーレエジソン・アパレシード・デ・ソウザが加入。関東リーグは14勝4分(無敗)の成績で2位に勝ち点10差を付けて3年ぶり2度目の優勝。全社は佐川急便SCなどを破って決勝に進出。決勝はホンダルミノッソ狭山に勝ち4年ぶりに優勝した(2度目)。地決は1次ラウンドを2戦2勝の首位で通過、ソニー仙台FCアルビレックス新潟などと同組となった決勝ラウンドは1勝2敗(1PK負)で4チーム中3位の成績で敗退した。

1998年、関東リーグは15勝1分2敗の成績で2位に勝ち点9差を付けて2年連続3度目の優勝。地決は1次ラウンドを2戦2勝の首位で通過、愛媛FCやNTT九州などと同組となった決勝ラウンドは3戦3勝(1PK勝)の成績で優勝した。また、1999年度より創設される日本フットボールリーグ(JFL)参加を2月までに申請し[8])、10月に日本サッカー協会によってJFLへの参加が承認された[9] (第7回JFLも参照)。

1999年、森井申一が監督に就任。第35回全国社会人サッカー選手権大会に出場して栃木SC水戸ホーリーホックなどを破ってベスト4に入った(準決勝でソニー仙台FCに敗北)。

2000年代

2000年、藤原義三が監督に就任。この年の東京都サッカートーナメント決勝で早稲田大学を破り大会初優勝。天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場したが、1回戦で阪南大学に敗れた。

2003年、社内組織から離れるとともにチーム名称を横河武蔵野フットボールクラブ(呼称:横河武蔵野FC)へ改称[10]。また、古矢武士が監督に就任した。

2007年2月に特定非営利活動法人武蔵野スポーツクラブが設立され、トップチームの運営を同法人へ移管した(ユース及びスクール事業は#アカデミーを参照)[1][11]。また、同年より依田博樹が監督に就任した。

2009年、JFLリーグ戦で17勝9分8敗の成績を収めて過去最高の2位に入った(優勝したSAGAWA SHIGA FCに勝点6差)。また、金守貴紀および太田康介がベストイレブンに選出された。なお、第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場し、初戦(2回戦)で大分トリニータにPK戦で敗退。

2010年代

2012年、第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦でJ1のFC東京に勝利し[10]、ベスト16に入った。2013年より吉田康弘が監督に就任した。

2015年11月26日、Jリーグ加盟を目指す方針を表明した。「Jリーグ入会の条件が緩和されたこと」、「主力選手がJリーグ入会を目指すチームに相次いで移籍したこと」を理由として挙げている[1]。2016年1月1日付で、チーム名を「東京武蔵野シティフットボールクラブ」(呼称は「東京武蔵野シティFC」)に変更した[12]。以降については東京武蔵野シティFCおよび東京武蔵野ユナイテッドFCの項目を参照のこと。

年度別成績・歴代監督

横河電機サッカー部

年度所属順位勝点試合得点失点天皇杯監督
1975東京都2部地区予選
敗退
1976東京都1部優勝
1977優勝
1978関東3位411811
(PK3)
-7
(PK3)
4120+21
19793位471812
(PK1)
-6
(PK1)
4420+24
19809位121852112743-16
1981東京都1部
1982
1983
1984
1985関東10位81824122064-44
1986東京都
1987
1988
1989
1990
1991ブラジルの旗 マルコス・ボカット
1992東京都1部3位
1993関東3位21189363229+3
1994優勝261810624119+22
19952位31189453121+10
19964位26188283124+7都予選敗退
1997優勝46181440378+29
1998優勝461815124912+37日本の旗 山崎正晴
1999JFL8位202470172643-17日本の旗 森井申一
200012位92223172141-201回戦敗退日本の旗 藤原義三
20017位4130125133754-17都予選敗退日本の旗 山崎正晴
20027位28178452126-5日本の旗 三富健大

横河武蔵野FC

年度所属順位勝点試合得点失点天皇杯監督
2003JFL13位293092193265-33都予選敗退日本の旗 古矢武士
200413位323088144151-10
20059位4830146103729+8
20066位603417985838+20
20077位5434166125044+6日本の旗 依田博樹
20087位5434159104334+9
20092位603417984834+143回戦敗退
201012位4434128143438-4都予選敗退
201115位363399153337-4
201210位4132118133550-15ベスト16
201310位4934131011363602回戦敗退日本の旗 吉田康弘
20146位352698931310都予選敗退
201512位303086163140-9
  • 出典
関東サッカーリーグ・過去の記録(2016年2月2日閲覧)
東京武蔵野シティFC・沿革(2016年2月2日閲覧)

主な結果・タイトル

リーグ戦

カップ戦

その他

  • 日本フットボールリーグ
    • 2002年 - 努力賞
    • 2013年 - フェアプレー賞
    • 2014年 - 特別賞

個人

スタジアム・練習場

スタジアム

練習場

  • 練習場:横河電機グラウンド[10]

年度別入場者数

略記について
年度所属合計
入場者数
最多入場者数最少入場者数平均
入場者数
試合数ホームゲーム
開催スタジアム
入場者数相手会場入場者数相手会場
1999JFL7,1941,556横浜FC駒沢268本田技研駒沢59912駒沢3、西が丘3、多摩2、武蔵野1、夢の島1、町田1、川越1
20007,7362,744横浜FC武蔵野265デンソー西が丘70311西が丘5、武蔵野4、夢の島1、多摩1
20017,3341,198静産大東京ス240ジヤトコ富士北麓48915西が丘5、武蔵野2、多摩2、駒沢2、東京ス1、江戸川1、夢の島1、富士北麓1
20024,7701,057佐川大阪252アローズ夢の島5309武蔵野4、西が丘2、夢の島2、東京ス1
20036,610777愛媛FCアミノV215佐川印刷44115武蔵野5、西が丘2、アミノV2、多摩2、味スタ1、夢の島1、江戸川1、駒沢1
20048,645988SC鳥取味スタ350大塚製薬アミノV57615武蔵野9、アミノV2、西が丘2、味スタ1、夢の島1
200510,2011,123ホリコシ武蔵野448佐川印刷西が丘68015武蔵野10、江戸川2、西が丘2、駒沢1、味スタ1、多摩1
200611,6971,194Honda403流経大68817武蔵野10、西が丘3、味スタ1、駒沢1、江戸川1、夢の島1
200711,4371,405栃木SC317ソニー西が丘67317武蔵野7、西が丘4、駒沢3、味スタ1、夢の島1、江戸川1
200817,0874,101A高崎国立384FC刈谷多摩1,00517武蔵野12、西が丘2、国立1、多摩1、夢の島1
200912,9501,326町田武蔵野281SAGAWA武蔵野76217武蔵野13、駒沢2、西が丘1、上柚木1、夢の島1
201013,1961,212鳥取西が丘440SAGAWA77617武蔵野11、西が丘6
201112,1791,648松本229秋田西が丘71617武蔵野8、西が丘5、夢の島2、江戸川1、駒沢1
201211,4451,312長野武蔵野316佐川印刷夢の島71516武蔵野9、夢の島3、味フィ西2、駒沢1、味スタ西1
201313,0852,257町田298金沢味フィ西77017武蔵野10、夢の島3、味フィ西3、江戸川1
20149,6131,227鹿児島335岡山N73913武蔵野9、味フィ西3、夢の島1
201512,2552,305マルヤス438FC大阪武蔵野81715武蔵野13、味フィ西2

アカデミー

トップチームは2007年2月に設立された特定非営利活動法人武蔵野スポーツクラブが運営していたが、ユース・ジュニアユースやスクール事業については横河パイオニックス株式会社が手掛けていた[11]

2014年11月には横河武蔵野FCジュニアがダノンネーションズカップで優勝した[13]

ユニフォーム

チームカラー

  •     青、   

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度背中パンツサプライヤー
2006横河パイオニックス-東京車人ナカノフドー建設UMBRO
2007
2008YOKOGAWA
2009
2010ING
2011
2012
2013ナカノフドー建設-
2014
2015

脚注

  1. 「横河武蔵野、J目指す 都内4番目、「17年にJ3」」、朝日新聞むさしの版、2015年11月26日
  2. YOKOGAWA HISTORY”. 横河電機. 2016年2月1日閲覧。
  3. 「関東実業団蹴球第1日」朝日新聞東京、1941年2月3日、2016年2月16日閲覧
  4. 「実業団蹴球の加盟チーム」朝日新聞東京、1941年4月18日、2016年2月16日閲覧
  5. 「横河電機サッカーチーム監督のM・ボカットさん」、朝日新聞、1993年12月06日
  6. 「Jリーグ加盟、視野に 外国選手迎え強化 横河電機サッカー部」、毎日新聞、1994年1月12日
  7. 「横河電機のJFL入り、美川社長が正式表明」毎日新聞、1994年1月25日、2015年2月16日閲覧
  8. 朝日新聞、1998年2月13日
  9. 朝日新聞、1998年10月10日
  10. 「横河武蔵野FC、奮闘中 サッカー天皇杯、王者FC東京破る大金星」、朝日新聞むさしの版、2012年9月22日
  11. サッカースクール”. 横河パイオニックス. 2016年2月1日閲覧。
  12. 新年のご挨拶”. 東京武蔵野シティFC (2016年1月1日). 2016年2月1日閲覧。
  13. 『横河武蔵野FCジュニアがジュニアサッカーの世界大会「ダノンネーションズカップ2014」で優勝』(プレスリリース)横河パイオニックス、2014年11月18日http://www.yokogawa.co.jp/cp/topics/2014/pr-topics-2014-1118-ja.htm2016年2月1日閲覧

関連項目

外部リンク

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