学校法人梅村学園

学校法人梅村学園(がっこうほうじんうめむらがくえん)は、日本学校法人愛知県名古屋市に本部を置き、中京大学および中京大学附属中京高等学校を設置する。

学校法人梅村学園
法人番号 9180005002148
創立者 梅村清光
理事長 梅村清英
創立 1923年大正12年)
所属学校 中京大学
中京大学附属中京高等学校
所在地 466-8666
愛知県名古屋市昭和区
八事本町101番地2
ウェブサイト https://www.umemura.ac.jp/top.html
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Portal:教育

設置学校

現在の設置学校

過去の設置学校

  • 三重中京大学(三重県松阪市) - 旧称:松阪大学。1982年設立、2013年閉学。
  • 三重中京大学短期大学部(三重県松阪市) - 旧称:松阪女子短期大学→三重中京大学女子短期大学部。1964年設立、2011年閉学。
  • 中京短期大学(愛知県名古屋市)[注釈 1] - 1954年設立、中京大学への移行により1957年廃止。
  • 三重中学校・高等学校(三重県松阪市) - 1961年(高校)・62年(中学校)設立。2018年、新設の学校法人三重高等学校に移管。
  • 松阪女子高等学校(三重県松阪市) - 1962年設立。1994年、三重高等学校に統合。
  • 松阪女子中学校(三重県松阪市) - 1962年設立。1974年、三重中学校に統合。
  • 中京中学校(愛知県名古屋市) - 1947年設立、1979年休校、1998年廃止。
  • 梅村幼稚園(三重県松阪市) - 旧称:松阪女子短期大学附属梅村幼稚園。2018年、学校法人三重高等学校に移管。

校訓・建学の精神

校訓
「真剣味」[1]
1923年大正12年)の中京商業学校開校時に梅村清光が制定。水戸藩校弘道館の精神「文武不岐」を受け継いだものとされる。「真」=「知育」、「剣」=「体育」、「味」=「徳育」のバランスの取れた人間形成を意味する[1]
建学の精神
「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」[1]
1956年昭和31年)、中京大学設立時に梅村清明が制定[1]

沿革

1923年(大正12年)の中京商業学校開設をもって学園の創立とし[注釈 2]梅村清光を学祖と位置付ける[3]

梅村家はもともと水戸藩士の家系で、祐筆として250石を給され、代々書に秀でていた[4]水戸藩徳川光圀に招かれた梅村清茂が、享保元年(1716年)に私塾「清信館」を開いたことに、教育機関として淵源をもとめる言説もある[4]

梅村清光は水戸中学校[5]を経て茨城師範学校卒業[4]。当時の清光は短距離走で茨城県下一であったというスポーツマンでもあった[5]。各地の小中学校で教員・校長を歴任[4]。新聞社勤務を経て[4]、1923年(大正12年)に中京商業学校を開校した[4]。国家の前途のため私学で商業方面の人材の育成するという理念に加え、当時の愛知県に甲種(5年制)私立商業学校がなかったことが、商業学校設立の背景としてある[5]

清光は知育・体育・徳育を意味する「真剣味」を校訓とし[4]、学術とともにスポーツによる教育を高く掲げた。中京商業学校は、1931年(昭和6年)からの甲子園(全国中等学校優勝野球大会)3連覇など、第二次世界大戦の戦前期よりスポーツ面で名を残している[4]

急逝した父の跡を継いだ2代校主梅村清明は、第二次世界大戦に出征しシベリア抑留も経験(その間、元陸上オリンピック選手のすみ子夫人が学園長代理を務めた)。1949年に清明は日本に帰国して学園復興に努め、1956年(昭和31年)に中京大学を設立した。中京大学は中京商業学校以来の伝統を受け継ぐものとして商学科の単科大学としてはじまったが、1959年(昭和34年)に2番目の学部として体育学部を設けており、この方針は建学の精神に基づくものとされる[5]1961年(昭和36年)は三重県松阪市に三重高等学校を設立、その後松阪地区に松阪大学(のち三重中京大学2013年平成25年)廃止)を設置している。

梅村家出身者がおおむね理事長を継承しており、2021年令和3年)時点の理事長である梅村清英は清光の曾孫にあたる。三重高等学校などの運営に当たる学校法人三重高等学校も梅村家出身者が理事長を務めており、包括連携協定を締結し、校訓と建学の精神を共有する[6]。なお、清光の次男(梅村清明の弟)である安達寿雄[注釈 3]は、1962年(昭和37年)に岐阜県に学校法人安達学園を設立[注釈 4]中京高等学校(一時期「中京商業高等学校」「中京学院大学附属中京高等学校」を校名とした)や中京学院大学を設立しており[9]、同じ校訓や建学の精神を掲げている[7][10][8]

年表

脚注

注釈

  1. 1966年から2010年まで「中京短期大学」を称していた岐阜県の学校(学校法人安達学園が設置。2021年現在は中京学院大学短期大学部)とは別。
  2. 梅村清明は、1923年(大正12年)3月17日を学園創設とする[2]
  3. 中京商業高等学校の第4代校長(1957年 - 1960年)を務めた[3]
  4. 「分離独立」という表現も用いられている[7][8]2019年(令和元年)の全国高校野球選手権大会で安達学園が設置する中京学院大中京(当時の名称。現在の中京高等学校)が活躍した際の新聞取材では、中京学院大中京の副校長が中京大中京を「本家」と呼び、中京大中京の野球部部長が年1・2回程度練習試合で交流する中京学院大中京にエールを送るという関係性が伝えられている[8]
  5. 1943年10月12日の閣議決定「教育ニ関スル戦時非常措置方策」において、男子商業学校の縮小と、女子商業学校(あるいは工業・農業学校)への転換が定められたため[12]。1943年度、愛知県には商業学校が23校あったが、すべて男子校であった[11]

出典

  1. 校訓”. 学校法人梅村学園. 2021年3月23日閲覧。
  2. 梅村清明 1981, p. 2.
  3. 歴史”. 学校法人梅村学園. 2021年3月23日閲覧。
  4. みとの水脈(6) 梅村清光(中京商業学校創始者)”. 広報みと 平成21年10月1日号 (2009年10月1日). 2021年3月23日閲覧。
  5. 梅村清明 1981, p. 1.
  6. 法人概要 沿革”. 学校法人三重高等学校. 2021年3月24日閲覧。
  7. 校長あいさつ”. 学校法人安達学園 (2020年4月). 2021年3月24日閲覧。
  8. “中京大中京ではありません SNSで混同多発、話題に”. 朝日新聞. (2019年8月17日). https://www.asahi.com/articles/ASM8K469CM8KOIPE00B.html 2021年3月24日閲覧。
  9. 中京大中京と中京学院大中京、なぜこんなにややこしい? 両校を取材すると...”. Jタウンネット (2019年8月19日). 2021年3月24日閲覧。
  10. 建学の精神”. 学校法人安達学園. 2021年3月24日閲覧。
  11. 佐藤実芳 2013, p. 32.
  12. 佐藤実芳 2013, p. 31.
  13. 佐藤実芳 2013, p. 33.

参考文献

関連項目

外部リンク

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