日本基督教団松山教会
概要
1879年(明治12年)12月に日本組合基督教会の今治教会により、松山伝道が開始される。
1881年(明治14年)には新島襄、松山高吉、横井時雄らが来訪して大説教会を行った[1]。
1883年(明治16年)に今治教会の伝道師二宮邦次郎が定住して、1885年(明治18年)1月28日に組合教会松山第一基督教会を設立する。二宮邦次郎が初代牧師に就任する。横浜バンドで、伊予松山藩士族の押川方義が所有していた寄席を仮会堂として発足する。
1887年(明治20年)、松山市内の巽小学校跡地の土地家屋を購入する。教会員の西村清雄とコーネリア・ジャドソンが協力して普通夜学会(現・松山学院高等学校)を設立する。
1919年(大正8年)には教会付属石手川幼稚園を設立する(のち閉園)。
1945年(昭和20年)7月に戦災で会堂が焼失する。1948年(昭和23年)、三番町の八坂小学校跡地に会堂を再建する。
1961年(昭和36年)に養護施設あゆみ学園を設立する。
1984年(昭和59年)に松山市味酒町2丁目の土地を購入して現在の会堂を建築し、1986年(昭和61年)2月9日に献堂式を行った[2][3]。
歴代牧師
脚注
- 『回顧四十年』 2頁
- 『松山教会百年史稿』 415-417頁
- 松山東雲学園百年史編纂委員会 『松山東雲学園百年史 通史編』 学校法人松山東雲学園、1994年、1228頁
参考文献
- 『回顧四十年』 松山基督教会、1925年
- 『松山教会百年史稿』 日本基督教団松山教会、1986年
- 『日本キリスト教会歴史大事典』 教文館、1988年
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