愛本橋
愛本橋(あいもとばし)は、富山県黒部市宇奈月町下立と同市宇奈月町中ノ口に跨る、黒部川中流に架かる橋。富山県道13号朝日宇奈月線の一部を形成する。1998年(平成10年)には日本百名橋に選定されている。
愛本橋 | |
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愛本橋 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 富山県黒部市 |
交差物件 | 黒部川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 富山県道13号朝日宇奈月線 |
管理者 | 富山県 |
施工者 | 川田工業 |
竣工 | 1972年(昭和47年)7月 |
座標 | 北緯36度51分37秒 東経137度33分14秒 |
構造諸元 | |
形式 | ニールセンローゼ橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 130.000 m |
幅 | 9.300 m |
最大支間長 | 128.400 m |
地図 | |
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関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
歴史
旧橋(刎橋)
かつては全長61.42メートル (m) 、幅3.62 mにも及ぶ刎橋であったため、山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋、山梨県大月市の桂川に架かる猿橋とともに日本三奇橋の1つといわれていた[1]。
かつて黒部四十八ヶ瀬ともいわれ、河道が移動する暴れ川であった黒部川下流部を避けて敷かれた、北陸街道の上街道に架かる橋で、加賀藩5代藩主・前田綱紀が架橋を命じたとされる[2]。 綱紀は、弱冠3歳にして父4代藩主・光高が亡くなり5代目藩主となったが、幼少期は3代利常が後見人となって、江戸屋敷にとどまっていた[3]。やがて利常も亡くなり、1661年(寛文元年)7月の18歳(数え年で19歳)のときに初めて領国入りしたときに、参勤路の難所である黒部四十八ヶ瀬を無事に越えて金沢に到着した後、家臣たちを集めて会議を開き、黒部川下流域の入膳宿がある北陸道の下街道を迂回する山沿いに新道を開いて黒部川に橋を渡して諸人の往来を容易にしようと相談した[4]。家臣たちは、領地防衛の要害地に橋を架けることに反対したが、綱紀ただひとりは「国の安危は得失にあり。山河の険阻によるべきにあらず。」と主張してこれを断行したといわれている[4]。
橋は、普通の橋としての架橋が出来なかったため[5]、甲斐の猿橋と同じ形式の刎橋で、橋長33間、幅10尺で架橋されて愛本橋と名付けられた[4]。両岸は岩山で上流部をのぞけばもっとも川幅が狭く、洪水時には大量の土石と水が集中する。橋脚は1年も持たずに流されてしまうために橋の中間に立てることが非常に難しく、川の両岸から大木を突き出す構造であった[6]。
旧愛本橋が架けられていた場所に近いところには、幕末の儒学者である頼三樹三郎がこの橋を称えた詩碑があり、2015年(平成27年)の北陸新幹線開通、黒部宇奈月温泉駅開駅を機に、地元黒部市では観光資源とするために旧愛本橋(刎橋)の復元を検討している[7][8]。
旧橋(トラス橋)
橋は明治になって近代的な橋に架け替えられていた。1920年(大正9年)4月に鉄骨製のトラス橋となる[9]。
ところが、1969年(昭和44年)8月11日の豪雨で、愛本堰堤の建物内に濁流が押し寄せた[10]。愛本橋でも増水により濁流は橋を越えて流れ、1969年(昭和44年)8月11日14時58分に宇奈月町に橋が流失したとの連絡が入り流失が確認された[10]
年表
- 1626年(寛永3年) - 打渡橋を架橋[18]。
- 1663年(寛文3年) - 刎橋を架橋[18](以降、1862年の最後の架け替えまで8回架け替えられる) 。
- 1678年(延宝6年) - 富山藩が橋番人を置く[19]。
- 1891年(明治24年) - 木造アーチ橋(木拱橋)を架橋[18]。
- 1920年(大正9年)4月 - 鋼鉄製トラス橋を架橋[9]。
- 1969年(昭和44年)8月11日 - 豪雨のため鋼鉄製トラス橋が流失[9]。後の1998年(平成10年)6月に150m下流での河床から大きな鉄骨の一部を発見[9]。発見された橋の一部はうなづき友学館の前庭に展示されている。
- 1970年(昭和45年) - 現在の橋が着工[18]。
- 1972年(昭和47年)7月 - 旧橋の65 m下流に現在の橋を架橋[14]。
文学作品等
愛本橋の記述が残る作品等[20]
参考文献
脚注
注釈
- 現在の川田テクノロジーズ
出典
- 角川日本地名大辞典 16 富山県(1979年10月8日、角川書店(現・KADOKAWA・DWANGO)発行)51ページ
- 歴史秘話ヒストリア 「参勤交代はつらいよ 加賀百万石 お殿様の遥かな旅」 (NHK 2014年7月16日放送)
- 武部健一 2015, pp. 121–122.
- 武部健一 2015, p. 123.
- 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)51ページ
- 武部健一 2015, pp. 123–124.
- 北國新聞公式サイト2010年2月26日付 「愛本刎橋」復元へ一歩 黒部市視察団、金沢で設計図閲覧
- 武部健一 2015, p. 124.
- “黒部市歴史民俗資料館 第13回特別展「黒部川の洪水・治水のあゆみ」紹介 No.2”. 黒部市. 2020年8月19日閲覧。
- “黒部市歴史民俗資料館 第13回特別展「黒部川の洪水・治水のあゆみ」紹介 No.4”. 黒部市. 2020年8月19日閲覧。
- 『富山新聞』1969年12月25日付朝刊14面『愛本橋の仮橋完成 きょう四ヶ月ぶり開通』より。
- 『富山の橋 THE BRIDGES OF TOYAMA』富山県土木部道路課、2012年、22頁。
- 『宇奈月町ところどころ』(1983年10月10日発行)94頁。
- 松村博 1998, p. 81.
- 宇奈月町教育センター発行『愛本橋周辺 -その見どころ-』1990年、6頁。
- 大西信久、安原宗光、野村国勝「愛本橋(ニールセン橋)における斜材張力調整について」(PDF)『土木学会年次学術講演会講演概要集』第27巻、土木学会、1972年、625–628、2020年11月2日閲覧。
- 原田政彦、梶川康男、深田宰史「30年を経過したニールセンローゼ橋の調査」(PDF)『土木学会年次学術講演会講演概要集』第57巻、土木学会、2002年、579–580、2020年11月2日閲覧。
- 『保存版 魚津・黒部・下新川今昔写真帖』(2007年4月15日、郷土出版社発行)62ページ『美しいトラス橋の愛本橋 黒部市(宇奈月町)』より。
- 宇奈月町史編纂委員会編『宇奈月町史』宇奈月町、1969年、575頁。
- 宇奈月町史編纂委員会編『宇奈月町史』宇奈月町、1969年、598-606頁。