後藤太郎
後藤 太郎(ごとう たろう、1969年12月24日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。
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名前 | ||||||
カタカナ | ゴトウ タロウ | |||||
ラテン文字 | GOTO Taro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1969年12月24日(53歳) | |||||
出身地 | 広島県 | |||||
身長 | 164cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW/MF | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
Jリーグ創成期に名古屋グランパスエイトで活躍。三浦知良をはじめ、当時はゴールした選手による派手なパフォーマンスが話題となったが、ゴールしてもまったく喜ばない選手として有名であり、チームメイトからは「アイスマン」の異名で呼ばれた。
現役引退後はサガン鳥栖のユースチーム、次いで山口県の徳山大学サッカー部で監督を務めた。徳山大学では女子チームの監督も兼任したほか[1]、大学教員として一般学生向けの講義も担当したが[2]、2012年には中村重和に監督職を譲った[3]。
その後は母校東海大学の大学院に進む傍ら、サッカー部のコーチに就任し[4]、後に部内の暴力事件により監督が解任[5]されると、後任の監督に就任。2019年度監督退任。
所属クラブ
- 東海大学付属第五高等学校
- 東海大学
- 1992年 - 1995年 名古屋グランパスエイト
- 1995年 - 1996年 ジェフユナイテッド市原
- 1997年 - 1998年 サガン鳥栖
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 名古屋 | - | J | - | 7 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | |
1993 | 21 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 21 | 6 | |||
1994 | 24 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 26 | 1 | |||
1995 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
1995 | 市原 | 12 | 1 | - | 1 | 0 | 13 | 1 | |||
1996 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
1997 | 鳥栖 | 8 | 旧JFL | 15 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 21 | 1 |
1998 | 22 | 1 | - | 0 | 0 | 22 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J | 57 | 8 | 10 | 1 | 3 | 0 | 70 | 9 | |
日本 | 旧JFL | 37 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 43 | 2 | ||
総通算 | 94 | 10 | 15 | 1 | 4 | 0 | 113 | 11 |
脚注
- 日本サッカー協会公式サイト 第33回全日本女子サッカー選手権大会公式記録 2011年12月3日開催(1回戦) 「徳山大学 vs 静岡産業大学磐田ボニータ」
- 徳山大学経済学部 2011年度講義要項(シラバス)
- 中国新聞2012年8月25日付記事 「天皇杯サッカー山口26日決勝」
- 関東大学サッカー2部リーグ特集vol.2 東海大学 内山秀一監督&小山真司主将インタビュー
- 東海大学体育会サッカー部・学生暴力事件について(報告) - 平成25年7月9日 関東大学サッカー連盟
外部リンク
- 後藤太郎 - WorldFootball.net (英語)
- 後藤太郎 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 後藤太郎 - J.League Data Siteによる選手データ
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