広島電鉄1050形電車

広島電鉄1050形電車(ひろしまでんてつ1050かたでんしゃ)は、1947年(昭和22年)に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄京阪電鉄が統合した会社)から移籍し、1953年(昭和28年)に車体更新した広島電鉄宮島線専用の電車である。その後、連結改造など行い1982年(昭和57年)に1090形に改番した。市内線(路面電車)の車両に対して床の地表からの高さが高かったため、「高床車」とも呼ばれた。

京阪100型電車 > 広島電鉄1050形電車
広島電鉄1050形電車
(車体更新前)
基本情報
製造所 梅鉢・東洋[1]
主要諸元
軌間 1435 mm
車両定員 84(着席 44)人[1]
車両重量 20.0t(PR-10搭載車)[1]
21.5t(Q2D搭載車)[1]
全長 14,637[1] mm
全幅 2,464[1] mm
全高 4,220[1] mm
台車 ブリル27E-1[1]
主電動機 TDK9-C[1]
主電動機出力 37.3kW[1]
搭載数 4[1] / 
歯車比 59:20[1]
備考 両数:4両
広島電鉄1050形電車
(車体更新後)
基本情報
製造所 ナニワ工機[2]
主要諸元
軌間 1435 mm
車両定員 110(着席 48)人[3]
車両重量 24.0t[4]
全長 15,956[4] mm
全幅 2,640[4] mm
全高 4,230[4] mm
車体 全金属製[4]
台車 ブリル27E-1[4]
主電動機 TDK9-C[4]
主電動機出力 37.3kW[5]
搭載数 4[4] / 
駆動方式 吊り掛け駆動[6]
歯車比 59:20[6]
備考 両数:4両
広島電鉄1090形電車
基本情報
製造所 ナニワ工機[7]
主要諸元
軌間 1435 mm
車両定員 114(着席 48)人[8]
車両重量 25.5t(1091・1093)[8]
28.5t(1092・1094)[8]
全長 15,875[8] mm
全幅 2,642[8] mm
全高 4,284[8] mm
車体 全金属製[8]
台車 ボールドウィン78-25AA[8]
主電動機 HS-314-Ar[8]
主電動機出力 90kW[8]
搭載数 2[8] / 
駆動方式 吊り掛け駆動[7]
歯車比 55:15=3.67[7]
制動装置 SME[7]
備考 両数:4両

歴史

1050形(更新前)時代

第二次世界大戦後、宮島線の輸送力が切迫[9]1947年(昭和22年)に、運輸省の斡旋により[9]、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄京阪電鉄が統合した会社)京阪線(現在の京阪電気鉄道京阪本線およびその支線)の木造車両を4両購入した[9][補足 1]。元々、100型およびその改造車である200型である(戦時中に京阪は阪急に統合されており、再独立したのは1949年)。譲渡された時は元車が異なるために、1051・1052と1053・1054では、制御機器が異なっていた[10]

1050形(更新後)時代

1953年(昭和28年)に、ナニワ工機で、前中扉・前面非貫通大型2枚窓の全金属製車体を新造し載せ替えた[10]。その後に製造された1060形との車体の違いは、1050形は前面窓上部に通風器が2カ所設けられている[11]、車体幅が1060形より狭いためにドア部にステップを設けているなど[12]

新製以来、単行で活躍していたが、1979年(昭和54年)に1053と1054を連結車に改造[10]。同時に、連結した側の運転台を撤去して片運転台化[10]。制御器の改造[10]、台車をブリル27E-1からボールドウィン78-25AAに交換[10]、通風器の撤去[10]、前面窓左側上部に大型方向幕の設置、前照灯のシールドビーム2灯(いわゆる豚鼻ライト)化を行った[10]

広島電鉄 1051号 山陽女学院前 昭和36年

1980年(昭和55年)10月に、1051と1052が未改造のまま一旦廃車になった[補足 2]

1090形時代

1982年(昭和57年)8月に[13]、1053と1054が1091、1092に改番[14]。一旦廃車になっていた1051と1052の車体を利用し、同様の機器に交換して1093、1094として復活した[15]。これまで元車が異なるために機器が異なっていたが、その改造で機器が統一された。1984年(昭和59年)に、ひろしまシティ電車に対抗する形で[11]三菱MDA方式で冷房化改造[11]され、高床車では唯一の冷房車となった。

しかし、宮島線の運用を直通車に統一する方針で、1990年(平成2年)に3900形が登場[16]し、これに交代する形で1990年から1991年にかけて廃車となった[15]。1090形の運行終了で1991年8月で宮島線に残った鉄道車両は消滅した[17]

1093、1094は冷房機器を3900形へ転用した後、長らく荒手車庫で保管されていたが、2002年にアメリカの博物館での車両(ポートランド・ルイストン・インターアーバン線のナルシサス号)復元に当たって台車を提供するために解体された。

各車状況

1050形
時代車番
1090形
時代車番
京阪神急行
時代車番
広電入線 車体更新 冷房改造 廃車日 備考
105110932291947年2月[18]1954年1月27日[19]1984年12月26日[20]1991年12月17日[13]1980年12月31日廃車(車籍抹消)[21]
1982年車籍復活[13]
105210942301947年2月[18]1954年1月28日[19]1984年12月26日[20]1991年12月17日[13]1980年12月31日廃車(車籍抹消)[21]
1982年車籍復活[13]
105310911091947年2月[18]1953年12月26日[19]1984年12月4日[20]1990年6月15日[13]1982年8月10日車番変更[13]
105410921111947年2月[18]1953年12月29日[19]1984年12月4日[20]1990年6月15日[13]1982年8月10日車番変更[13]

脚注

補足

  1. これは、京阪神急行が運輸省規格型電車の製造割当を受けるに当たり、その条件として拠出することになったものである。京阪線ではこれに基づいて1300系が製造された。
  2. 3000形を近代化補助金を使っての代替導入になったためとされている。

出典

  1. 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 私鉄車両めぐり 山陽・山陰』66ページ
  2. 『鉄道ビクトリアル1994年9月号(No.595)』71ページ
  3. 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』159ページ
  4. 『広島の路面電車65年』180ページ
  5. 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 私鉄車両めぐり 山陽・山陰』67ページ
  6. 『広島の路面電車65年』181ページ
  7. 『私鉄の車両3 広島電鉄』135ページ
  8. 『私鉄の車両3 広島電鉄』134ページ
  9. 『広島電鉄開業100年・創立70年史』126ページ
  10. 『私鉄の車両3 広島電鉄』84ページ
  11. 『私鉄の車両3 広島電鉄』85ページ
  12. 『私鉄の車両3 広島電鉄』92ページ
  13. 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』160ページ
  14. 『私鉄の車両3 広島電鉄』92・93ページ
  15. 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』79ページ
  16. 『鉄道ビクトリアル1994年10月号(No.596)』100ページ
  17. 『広島電鉄開業100年・創立70年史』226ページ
  18. 『広島の路面電車65年』188ページ
  19. 『私鉄の車両3 広島電鉄』155ページ
  20. 『私鉄の車両3 広島電鉄』149ページ
  21. 『私鉄の車両3 広島電鉄』160ページ

参考文献

  • 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』(JTBパブリッシング・寺田裕一) ISBN 4533047181
  • 『私鉄の車両3 広島電鉄』( 保育社・飯島巌) ISBN 4586532033
  • 『広島の路面電車65年』(毎日新聞ニュースサービス社・広島電鉄)
  • 『鉄道ビクトリアル』1994年9月号(No.595)
  • 『鉄道ビクトリアル』1994年10月号(No.596)
  • 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 私鉄車両めぐり 山陽・山陰』
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄株式会社社史編纂委員会編、2012年11月
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