市川局
経歴・人物
永禄12年(1569年)夫の市川経好が筑前立花城攻略にむかった隙を見て、豊後の戦国大名大友義鎮の支援を得た大内輝弘は豊後より周防へ侵攻した。大内氏残党の支援も得た輝弘は山口を制圧し、高嶺城を包囲・攻撃する。この際、城主である市川経好は九州に在陣中のため不在であったが、市川局が指揮を執り奮戦し、10日余の激戦にたえて城を守りきった[1]。輝弘は城を落とすことはできず、九州より反転してきた毛利軍の前に敗北、自害することとなった(大内輝弘の乱)。
関連項目
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