岸田杜芳
来歴
寛政年中に没したとする説と、1788年(天明8年)に没したとする説がある[1]。前者は杜芳の黄表紙が1793年(寛政4年)まで刊行されたことに由来するが[1]、後者の由来は不明[1]。
江戸芝(現在の東京都港区)神明前三島町に住む表具師であった[1]。杜芳の活躍はいずれも天明期に集中しているが、それ以前の事蹟や活動は不明[1]。黄表紙は『擲打鼻上野』(天明2年刊)をはじめ、約20作品を残した[1]。作風は歌舞伎趣味が濃厚で、ほどよいうがちが見られる[1]。狂歌の分野では狂文が得意だった[1]。
脚注
- 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、126頁。
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