山崎林太郎
経歴
兵庫県出身[4]。1893年(明治26年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業した後、『上毛新聞』の主筆となった[5]。星亨の知遇を得て、星が朝鮮法部顧問となると、顧問付となった[5]。帰国後、前橋市会議員に当選[5]。1901年(明治34年)、星が東京市会議長に就任すると市会書記長となった[5]。尾崎行雄市長時代には市区改正課長、庶務課長、勧業課長、臨時市区改正局主事、助役を歴任した[5]。1909年(明治42年)から2年余りイギリスを視察[5]。帰国後、浅草区長となり、1919年(大正8年)には東京市助役に再任され、さらに市理事を務めた[1]。1921年(大正10年)からは名古屋市助役に転じた[6]。
脚注
- 名古屋市会史 1939, p. 597.
- 「山崎林太郎氏(前関東水力電気常務、元東京市助役)」『朝日新聞』、1944年6月1日、2面。
- 「山崎林太郎氏(元下関市長)」『読売新聞』、1944年6月2日、3面。
- 人事興信録 1937, p. ヤ134.
- 大正東京府市名鑑 1914, p. 453.
- 名古屋市会史 1939, p. 593.
- 『下関名鑑』海峡社、1925年、p.114。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 牛田義三郎編『大正東京府市名鑑』大正東京府市名鑑編纂会、1914年。
- 名古屋市会事務局編『名古屋市会史 第1巻』名古屋市会事務局、1939年。
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