山ノ内 (鎌倉市)
山ノ内(やまのうち)は、鎌倉市の大字。住居表示未実施区域[5]。郵便番号247-0062[3]。
山ノ内 | |
---|---|
山ノ内 | |
山ノ内 山ノ内の位置 | |
北緯35度20分14.73秒 東経139度32分40.57秒 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 大船地域 |
面積 | |
• 合計 | 2.00 km2 |
人口 | |
• 合計 | 3,786人 |
• 密度 | 1,900人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
247-0062[3] |
市外局番 | 0467 (藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
地理
山之内などとも書かれる。また、北鎌倉駅があるため北鎌倉という通称で知られ、建長寺・円覚寺・東慶寺・浄智寺・明月院などの寺院で有名な観光地。市の区分では鎌倉地域(狭義の鎌倉)ではなく大船地域に入るが、鎌倉地域のすぐ北西に接し、巨福呂坂および亀ヶ谷坂の切通しで鎌倉地域につながる。
北西にある大船方面に開けた谷状の地形であり、その谷地を鎌倉街道・横須賀線が並行して走る。 南北丘陵地から鎌倉街道に向けて開けた小規模な谷戸は、1つの谷戸全体を1寺院が占めるように建てられている場所が多い。
北鎌倉駅開設後に別荘・住宅が増えたが、地内西側以外はあまり開発されておらず、特に南部・北東部の丘陵地帯には自然が多く残る。
山岳
歴史
古くは山内庄(現在の大船から横浜市栄区・戸塚区方面まで含む)の一部であり[7]、この一帯を領したのが山内氏である。鎌倉時代には有力武家の屋敷や建長寺、円覚寺が造られて栄えた。室町時代には関東管領の上杉氏(山内上杉家)が居を構え、現在でも「管領屋敷」という地名(北鎌倉駅近く)が残る。明治時代に鎌倉郡小坂村(のち大船町)の一部となり、1948年鎌倉市に編入。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8][9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~229、230-1〜2・-5 231、232-4・-14・-112 241-7~12・-21、244~247 248-1~9・-11〜12 248-16・-21、266~1548 | 鎌倉市立小坂小学校 | 鎌倉市立岩瀬中学校 |
230-3〜4、232-1~3・-5~13 232-15~111・-113~131 236~240、241-1~6 241-13~20、-22~51 242〜243、248-10・-13~15 248-17~20・-22~30 249~265 | 鎌倉市立今泉小学校 |
北鎌倉を舞台とした作品
脚注
- “平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
- “鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
- “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
- “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- 新編鎌倉志 1915, p. 62.
- “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
関連項目
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.